元事件記者風情が初めて著書を出して思うこと(2)

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朝日新聞元編集委員 緒方健二 氏

 初めまして、緒方健二と申します。いま66歳です。まごうことなき高齢者です。約40年間の事件記者生活の後、短大保育学科に入学し、保育士資格や幼稚園教諭免許などを取りました。2024年12月に初の著書『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス)を上梓し、NetIB-Newsでもご紹介いただきました。旧知の同社代表取締役会長、児玉直さんからのご依頼で駄文を連ねます。

新聞記者になろうかな

 4歳から小学5年生まで過ごしたのは田舎町の朽ちかけた旧武家屋敷でした。父の職場兼自宅です。
 トイレは母屋からいったん外に出て、長さ5mほどの廊下を歩いた先にあります。風呂場も屋外です。薪をくべて焚く「五右衛門風呂」です。鉄の釜の風呂に「底板」に乗って入ります。
 家の一画に暗室がありました。取材で撮影したフイルムを現像し、印画紙に焼き付ける部屋です。現像液や定着液の独特のにおいが充満していて、あまり好きではありませんでした。
 印画紙に焼き付けた写真は母が近くのバスターミナルに持参し、バスの運転手さんに渡します。県庁所在地にある新聞社本社に送るのです。
 いまはデジタルカメラで撮影、そのデータをインターネット経由で瞬時に現場から送稿できます。便利になりました。

イメージ    父ら記者の取材や原稿執筆、写真送稿の様子を眺めているうち、「面白そうだな」と子ども心に思いました。
 そのころNHKのドラマ「事件記者」が放送されていました。東京の警視庁に詰めて事件や警察を追う記者たちを描いています。読者に速く、正確な情報を届けるため、寝食を忘れて仕事に打ち込む姿に憧れました。
 ぼんやりながら新聞記者をやってみたいと思い始めていました。

 大学は「新聞学専攻」のある同志社大学(京都市)に進みました。
 同じようにジャーナリズムに関心のある学生やマスコミ出身の教員らと触れ合ううち、出来事を歴史に刻む記者になろうと決意しました。
 ほかの学生が金融機関や商社、メーカーなどへの就職を目指して会社訪問などの活動をするなか、当方は無謀にも新聞社一本に絞っていました。

 第一志望は毎日新聞でした。就職を目指した82年当時、毎日新聞の経営は厳しい状況でした。それでも記事には活気があり、記者の個性を前面に出す「記者の目」欄も魅力的でした。給料が安くても読者のためになる記事を書くんだという気概が紙面から伝わっていました。
 いまでは考えられないほどマスコミを熱烈に志望する学生が多かった。そのなかでも毎日新聞の人気は高かったです。競争率は数十倍だったと記憶しています。
 当時、毎日新聞を含む全国紙は11月1日以降に始める筆記試験を採用活動の起点としていました。筆記試験に合格しなければ次の面接に進めません。
 いまは各社が筆記試験前に「●●セミナー」などと称して小論文を書かせたり、職場研修をさせたりする催しを開いて、「これ」と思う学生を採ろうとしますが。

 毎日新聞は当時、朝日新聞と同じ日に筆記試験を実施していました。両社とも「うちを第一志望にする学生しか採用しねえ」と強気だったのですね。読売新聞は違う日に筆記試験を実施していました。
 読売新聞大阪本社も受験し、合格しました。当時、大阪読売は黒田清さんという名物社会部長がいて東京読売とはまったく異なる紙面づくりをしていて、多くの読者からの支持を集めていました。事件にもめっぽう強く、わくわくするような事件記事が大好きでした。
 毎日新聞と読売大阪のどちらに行くか。大いに悩みました。「黒田軍団」の記者に相談しました。「記者はどの新聞社にいるかより、読者のために何を取材し、何を書くのかが大事。毎日もいい新聞だ」との助言を得て、毎日に決めました。
 82年に入社し、88年に朝日新聞に移りました。誘われての転身でしたが、黒田軍団記者の助言はずっと大切にしています。

事件の海に溺れる日々

 朝日新聞では2021年に退社するまで大半が事件や警察の担当でした。
 東京本社勤務が最も長く、1992年に福岡から移って以来20数年いました。持ち場は警視庁が10年、警察庁が10年、国税が3年です。すべてが「事件職場」で、無数の殺人、テロ、誘拐、暴力団抗争、贈収賄、脱税を取材しました。
 なかでも95年3月の東京・地下鉄サリンをはじめとするオウム真理教事件が印象深いです。
 朝の通勤ラッシュの時間帯に東京の地下鉄電車内で、猛毒の化学兵器サリンをまいて多数の人を殺傷しました。世界史に残るテロの実態を読者に提供しなければ、と半年間不眠不休で取材しました。
 首魁の教団トップをはじめ関与した幹部信徒はすでに死刑が執行されました。
 動機はいまも不明ですが、狂信的なテロ集団に引き寄せられた若者が多かったことが気になっています。当時の取材では、生き方や社会に不安や不満を持つ人たちが熱心な信徒となり、トップに言われるままさまざまな犯罪に関与していました。
 いまも同じように不安や不満を抱える人は多くいます。オウム真理教の後継団体が複数暗躍していて勧誘を続けています。悪夢のごとき事件が再発しても不思議ではない、と警戒しています。

(つづく)


<プロフィール>
緒方健二
(おがた・けんじ)
1958年生まれ。毎日新聞社を経て88年朝日新聞社入社。西部本社社会部で福岡県警捜査2課(贈収賄)・4課(暴力団)、東京本社社会部で警視庁捜査1課(地下鉄サリンなどオウム真理教事件)・公安、国税、警視庁キャップ(社会部次長)5年、社会部デスク、編集委員(警察、事件、反社会勢力担当)、犯罪・組織暴力専門記者などを歴任して2021年退社。22年に短期大学に入学し、24年卒業、保育士資格などを取得した。

 NetIB編集部では『事件記者、保育士になる』を改めて5名さまにプレゼントする。応募の詳細は「事件取材の鬼が驚きの転身」を参照。
 データ・マックスは近々、著者との交流の機会を設ける予定にしております。卓話など形式は未定ですが、改めてお知らせいたします。

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