大船渡の山火事に見る里山の重篤な問題(前)

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千葉茂樹(福島自然環境研究室)

 現在の日本の里山には、重篤な問題がある。この問題が表面化したのが岩手県大船渡の山火事である。日本全国には同様の問題があり、今後、表面化する可能性が高い。この記事では、その問題および解決案を提起する。ぜひ読んでいただきたい。
 なお、大船渡の林野火災のニュース自体は、ネット上に多数の情報があり、そちらをご覧いただきたい。この記事は、それらと違った観点で書かせていただく(本記事は3月7日時点の執筆原稿です)。

 日本では、いにしえから人々は山里に住み、里山の恩恵を受けてきた。人々は、里山で薪を拾い、山菜を採り、炭焼きをし、その生活サイクルのなかで里山を守ってきた。また、昭和期には、杉を盛んに植林した。

 ところが、1970年頃の高度経済成長期になると、人々は経済的な豊かさを求め、山里を去った。このため、里山・山里は手入れがおろそかになり、多種の問題が生じている。果ては、今回の大船渡のような大火災である。また、荒廃した里山・山里には、野生動物が住み着き、ついには都市部にまで進出している。さらに、放置された杉山からは大量の花粉が飛び、国民病と呼ばれる「スギ花粉症」が問題となっている。

 以下、これらの問題を順に書く。

私の経験から見た里山の問題

 私は、専門が火山地質学で、福島県内の山を79年から数多く歩いてきた。そのなかで里山の現状や問題を数多く見てきた。その状況・問題をお話しする。
 山火事は、山肌に燃えるものがなければ延焼しない。かつての里山には、その延焼を防止する機能があった。しかし、今はその機能が失われ、いったん火が付けば限りない延焼となる。今回の大船渡の山火事が顕著な例である。

山の防火帯

 かつては、山火事の延焼防止のため、山のなかには「防火帯」と呼ばれる土塁が延々と続いていた(写真1)。しかし、今では放置されて防火の役目はなくなった。

写真1
写真1

 2003年、安達太良連峰の前ケ岳に行った。地図に登山道が載っていなかったので、地元の大玉村職員に話を聞いた。それによれば「林道の終点から、細道があり、稜線に出ると防火帯がある。そこを歩けば、山頂に出る」というものであった。実際に稜線に行くと、幅5mほどの土塁が万里の長城のように長く続いていた。ただ、まったく手入れがされておらず、土塁の周囲は崩れ、上面には草や木が生い茂っていた。そのなかに、人が歩ける細道があった。03年時点ですでに、防火帯には低木や枯れ草が生い茂り、山火事の延焼防止機能は失われていた。その後の11年、安達太良山は福島原発事故の放射性物質で濃厚に汚染され、人々はさらに山に入らなくなった。おそらく林道自体も荒廃して、もう車では行けないであろう。

自然の防火区域

 かつて山里の住民は、冬場の仕事で里山に入り炭焼きをしていた(写真2)。窯の周辺では樹木の伐採が行われた。その場所は年ごとに移動し、「樹木の伐採と再生」が繰り返された。このため、人々の意識とは無関係に、毎年新たな樹木のない場所、すなわち「自然の防火区域」ができた。しかし、高度経済成長とともに、炭は石油製品に取って代わられ、この「樹木の伐採と再生の循環」もなくなり、「自然の防火区域」も里山から消えた。

写真2
写真2

 07年に、地質調査で福島市南部の里山に入った。基本的に椎類の木(どんぐりなど)の里山で、小さな沢がたくさんあった。また、沢ごとに「炭焼き窯の跡」があった。状況からみると、炭焼き窯の周辺の椎の木を切り、炭を焼いていたようである。炭焼きは、次の年には隣の沢に移り、この繰り返しで、毎年新たな「自然の防火区域」ができた。私が調査に行った07年には、椎の木は巨木になり、一部は腐って枯れていた。地面付近は、枯れた木や草が山となっていた。もう30年以上、放置されているのであろう。言い換えれば、里山には自然の防火区域がなくなり、里山は「可燃物の山」と化した。

営林署の統廃合

 高度経済成長期の前は、各地に営林署があり、山の管理をしていた。私が住んでいる磐梯山麓の猪苗代町にも、1970年代には猪苗代営林署があった。しかし、80年代には前橋営林局に吸収されてなくなった。

 里山を歩くと、人々が山に入っていた細道がクモの巣状にある。また、軽トラ1台がやっと通れるような道も、数多く残っている(写真3)。この林道も営林署が管理に使った道であろう。これらの道は、現在では痕跡である。このように、現在の里山は管理もなく放置されている。

写真3
写真3

杉の植林

 日本では戦前から、国策で杉の植林が進められてきた。これは童謡の「お山の杉の子」にも歌われている。この杉林も、かつては「植林と伐採の循環」が成り立っていた。しかし、80年頃、安価な外国の材木に負け、この循環は崩壊した。このため、里山には杉林が大量に残され放置された。木の根元には枯れ枝や落葉が山のようにたまっている(写真4)。杉の枯れ枝や落葉は樹脂を含むため、よく燃える。このほか、杉の大木から大量の花粉がまき散らされ、スギ花粉症という国民病まで生んだ。

写真4
写真4

落葉

 かつての山里では、里山の地面にある落葉も堆肥として使った。当時は、山のなかは透けて見えるほどきれいであった。その落葉も使わなくなり、山の地面は落葉だらけになった(写真5)。

写真5
写真5

里山は「可燃物の山」

 このように、里山はここ40年程放置され、ついには「可燃物の山」となった。
 また、近年、異常気象が頻発し、一方で大雨、一方で干ばつといった極端な気候となった。大船渡の林野火災の直前も、山陰や北陸で近年稀にみる大雪であった。一方の太平洋沿岸部では、雨が降らず異常な乾燥となった。このなかで起きたのが大船渡の林野火災である。

 「可燃物の山」と化した里山、そして異常な乾燥、ちょっとした風でも、いったん火が付けば「大規模な山火事」になる。里山を放棄した人間が招いた人災といえよう。

(つづく)


<プロフィール>
千葉茂樹
(ちば・しげき)
千葉茂樹氏(福島自然環境研究室)福島⾃然環境研究室代表。1958年⽣まれ。岩⼿県⼀関市出⾝。福島県猪苗代町在住。専⾨は⽕⼭地質学。2011年の福島原発事故発生により放射性物質汚染の調査を開始。11年、原子力災害現地対策本部アドバイザー。23年、環境放射能除染学会功労賞。
著者の論⽂などは、京都⼤学名誉教授吉⽥英⽣⽒のHPに掲載されている。
原発事故関係の論⽂
磐梯⼭関係の論⽂
この他に、「富⼠⼭、可視北端の福島県からの姿」などの多数の論⽂がある。

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