【連載5】生と死の分岐点:一度の命 精いっぱい生きる執念

90歳を元気に迎える

 来月90歳を迎えるN氏は、年齢を感じさせないほど元気だ。すでに予定されている誕生日会には、私も招待されており、参加するつもりでいる。

 N氏は長年、商社に勤務し、そのほとんどを海外で過ごしてきた。これまで5カ国で現地法人の社長を歴任し、国際的なキャリアを築き上げてきた。その後は約10年間、大学で教壇に立ち、若者たちに知見を伝える仕事に従事した。

 さらに現在も、毎月一度、研究会を主宰している。この会には毎回およそ90名が参加しており、その規模と内容の充実ぶりには驚かされる。準備には徹夜をいとわず、手抜きのない万全の態勢で臨む。参加者に対するその真摯な姿勢には、頭が下がる思いだ。

 彼のもつ「ホスピタリティ精神」に満ちた活動は、まさに人生の生きがいそのものであろう。主催する研究会を中心に、幅広いネットワークが自然と形成されていく。興味深いのは、N氏の会のメンバーたちも、それぞれが別の研究会に参加しており、そこでもまた新たな人脈が広がっている点だ。

 N氏は、得た見識や人脈をすぐに周囲に還元し、必要があればビジネスパートナーの紹介まで行う。「周囲の人々のために尽くしたい」という強い思いが、彼の人生の原動力になっているのだろう。

 「生きている限り、精いっぱい善行を尽くしたい」という意志のもと、今もなお第一線で活動を続けているN氏。その姿勢は、ただ敬意をもって見守るしかない。

 ちなみに、一緒に歩くとその健脚ぶりにも驚かされる。小幅ながらもピッチの速い歩き方で、若い人もついていくのがやっとというほどの速さだ。年齢という数字にとらわれず、自らの信念を貫くその姿に多くの人が勇気をもらっているに違いない。

「もう終わったからな、することがなくなったからな」

門司港 イメージ    今月、宮崎から幼なじみのUが野球観戦にやってくる。以前は大のゴルフ好きだったが、最近はその意欲も薄れてきたという。体力の衰えも感じているようだ。

 門司港に住むOも、同じく幼なじみだ。「Uが来るなら、俺も福岡に行くよ」と連絡があり、久しぶりに楽しい宴になりそうだ。

 Uはかつて釣りの名人だった。しかし最近は「魚も釣れなくなったし、釣りにも飽きた。もうすることがない」と、少し投げやりな様子で話していた。

 高校までを共に過ごした親しい幼なじみたちは、今も10人ほどが健在だ。ただ、私たちは皆、今年78歳を迎える。年を重ねるごとに、毎年のように誰かとの悲しい別れを覚悟しなければならない現実がある。

 近々の宴席では、皆に「生きる執念をもとうや」と伝えたいと思っている。そんな言葉を交わしながら、今この瞬間を大切に過ごしたい。

老人ホームへの入所を推奨

 筆者の長兄(横浜在住)が亡くなってから、早くも三回忌を迎えた。

 残された義姉は、ここ最近、少し物忘れが増え、足腰の衰えも目立つようになっていた。2年間にわたるマンションでの一人暮らしもあり、他人と接する機会がほとんどなくなっていたという。

 そんな状況を見かねた姪たちは、ついに決断した。「お母さんを老人ホームに入居させよう」と、即座に話がまとまったのだ。

 その後、「入居してからほかの入居者と会話ができるようになり、母は以前より元気になった」と、姪たちからメールで嬉しい報告が届いた。6月に上京する予定なので、その際にぜひ訪問してみようと思う。

 一方、太宰府市に住むもう1人の義姉にも心配事がある。ご主人と死別して6年、あまり社交的とはいえない性格もあって、自宅での一人暮らしを続けている。最近はこの義姉も足腰が弱くなってきており、老人ホームへの入所をすすめているが、本人はあまり乗り気ではない様子だ。

 義姉はもともと非常に真面目な性格の持ち主で、「子どもたちには極力迷惑をかけたくない。できる限り自宅で1人で暮らしていきたい」という強い意志をもっているようだ。今後も見守りつつ、必要なときには手を差し伸べられるようにしておきたいと思う。

現役引退の恐怖

 「80歳で引退するつもりだった」と話していた知人Aが、突然不安げな声で電話をかけてきた。
「君も知っているだろう、あの会社の元社長(5年前に引退した人)が、俺のことを完全に忘れてたんだ。まさか……俺もそうなるんじゃないかと怖くなってきたよ」

 電話越しのAの声には、驚きと恐れがにじんでいた。老化の一般的な始まりは、まず足腰の衰えだといわれている。しかし、最近では認知機能の低下、いわゆる「認知症」から始まるケースも増えてきた。そして、判断力や注意力が落ちた結果、転倒して骨折し、入院生活を余儀なくされることも少なくない。

 そこから回復するのは、まさに“奇跡”ともいえるほど困難なことだ。高齢期における健康の維持と、日常の小さな変化に気づくことの大切さを、改めて考えさせられる出来事だった。

Y先輩に学ぶ

 高校の10年先輩であるY氏は、現在88歳。年齢をまったく感じさせないほど元気そのものである。

 58歳のときに最初の伴侶を亡くし、6年後に再婚。しかし、現在は再婚相手の奥さまが老人ホームに入所しており、Y氏のことも認識できない状態が続いている。

 Y氏は定年退職後、社会活動に専念する道を選んだ。福祉関連の資格を取得し、75歳までの間、第二の人生に情熱を注いできた。

 そんなY氏の趣味は囲碁とカラオケ。囲碁は6段の腕前で、週2回は必ず碁を打ちに出かける。また、カラオケでは衰えを感じさせない見事な歌声を披露する。

 さらに驚くべきことに、Y氏は年に4回、キャンピングカーを運転して日本一周の旅に出かけている。宿泊代もかからず、気ままな旅を楽しんでいるという。本人いわく「90歳までは続けたい」とのこと。まさに恐れ入るエネルギーだ。

「生と死の分岐点」の結論 

 その①:一番は己の存在が社会に必要とされるように自己鍛錬を続けることである。冒頭のN氏みたいな存在は稀有だが、社会との接点を持ち続けることが生きがいにつながる。

 その②:人との接触を失えば認知機能の低下は一気に進む。

 その③:体は絶えず動かすようにし、足腰を鍛えることを怠ってはいけない。

 その④:人生の最終ゴールインを設定しないといけない。これについては筆者の場合2つある。1つ目は27年11月に地球一周4万キロ(12年間)独歩のお祝い会をホテルオークラで行うことを決めている。友人60名を招待する予定だ。ちなみに4月には月間43万歩を突破した。万歩計の登録者数58,626人中1,368位だった。2つ目は85歳まで現役を貫くこと。この2つが達成できればこの世に未練はない。

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