【特集】福間病院──精神科医療の先駆けだった病院に何が起きているのか(1)序章
福岡県福津市に広がる約3万坪の敷地、江戸時代から育まれてきた松林、そして由緒ある薬医門──。ここに福間病院は1955年3月10日に開設された。創設者・佐々木勇之進氏が掲げた「精神病者に光と土を」という理念は、65年以上にわたって変わることなく病院の礎となり、その象徴である緑豊かな自然と自由開放療法は、常に患者の心に寄り添ってきた。ところが、その崇高な理念も時代とともに失われつつあるようだ。「職員や患者を蔑ろにしている」との声が複数の関係者から寄せられたことをきっかけに、当社では取材を開始した。実際にそうした実態があるのか、関係者の証言や事実関係を検証していく。同病院の実像に迫ってみる。
創設者・佐々木勇之進氏 その先駆的理念
まず同院の歴史を振り返ってみよう。病院が位置する広大な敷地には約850本もの松が植えられており、そのなかを患者が散策する光景は同院の象徴的な風景である。この場所はもともと、炭鉱主・堀三太郎氏の別荘であったところで、病院の正門にあたる薬医門は江戸時代に御典医の屋敷から移築された歴史をもつ。敷地は9万坪、別荘などの建物面積は約500坪と伝えられており、1918(大正7)年ごろに完成したとされる。敗戦後は正門(薬医門)、数万坪におよぶ敷地、別荘、池などが米軍将校クラブとして使用されたが、53年にクラブは解散となった。
これを契機として、福間病院の創設者である佐々木勇之進氏は大胆にも、この純日本式の建物をそのまま活用し、日本初となる自由開放療法を開始した。勇之進氏の妻が堀三太郎氏の親戚筋にあたる縁から、この別荘地を譲り受けることが可能となった。患者の行動制限を鍵や鉄格子で一切行わないという当時では不可能に近い発想だったという。この建物はまさしく日本の開放療法発祥の地となったのである。

福間病院は、この地において開設当初から精神科病棟30床を設置し、全国に先駆けて自由開放療法を展開した。患者を閉じ込めるのではなく、社会とのつながりを保ちながら治療を行う姿勢を一貫して貫いてきた。その原動力となったのは、勇之進氏の「まず看護者でなければならない」という信念である。勇之進氏は「精神病者への妙薬は愛であり、その処方箋は語らいである」と説き、看護・医療スタッフと患者が心を開いて交流することが治癒への最も重要な要素であると考えた。
また「一木一草たりといえども、これことごとく治療の道具である」との言葉の通り、敷地内に広がる豊かな自然や一本一本の松も治療の一環として活用されてきた。松林や薬医門は、患者の心を和ませ、自然との触れ合いを通じて回復を促すという病院独自の療養環境を形成している。
自由開放療法は今日では一般的となっているが、導入当初は地域住民との軋轢もあったという。精神医療への理解がまだ不十分であった当時の社会状況を考えると、それは当然のことだろう。しかし、信念を貫き通した勇之進氏の先駆者としての価値は揺るぎない。
日本初の精神科デイケアと地域医療を担う救急対応も
自由開放療法に続き、福間病院は日本で初めて精神科デイケアを開設した。これも社会復帰を重視した意欲的な取り組みの1つだった。同院が併設する通所授産施設は、患者の生活訓練や就労支援を主眼に置き、地域に溶け込みながら自立を目指す環境を整えている。院長・藤永拓朗氏は「伝統に安住することなく、常により良い精神医療の実現へ」と語り、スーパー救急病棟、ストレスケア病棟の整備、訪問看護の強化、就労支援施設の拡充など、精神医療の幅を広げ、地域と連携したケアの充実に努めている。
また福間病院は地域の精神科救急病院としての役割も担っている。急性期症状のある患者をいち早く受け入れ、専門的な治療につなげることで地域医療に貢献しているのだ。また、同院が運営する地域活動支援センター「みどり」や就労支援センター「緑の里」、グループホームや訪問看護ステーションなどは、患者が自分の住み慣れた地域で生活を続けながら治療・支援を受けられる体制を整える重要な場として機能している。
開院以来、福間病院は数々の節目を迎えた。2005年の50周年、15年の60周年においても、その理念である「精神病者に光と土を」は変わらず受け継がれている。また、保健衛生分野での卓越した実績が評価され、第一生命の保健文化賞を受賞。さらに緑豊かな環境づくりが高く評価され、「緑の都市賞」国土交通大臣賞を受賞するなど、医療だけでなく環境の保全にも目を向ける姿勢が国内外の注目を集めてきた。
福間看護高等専修学校 担ってきた役割
福間病院が設立母体となり、1966(昭和41)年に開校し同院と同じ敷地内にある福間看護高等専修学校は、50年以上にわたり准看護師の養成を目的として、多くの優れた人材を地域医療に送り出してきた。同校は「誠心慈愛」を校訓として掲げ、知識のみならず、患者の心情に寄り添う共感力や実践的な看護技術を重視した教育を実施している。
学校長には現場経験豊富な総婦長を迎え、実務に即したきめ細やかな指導が行われており、その教育姿勢は地域医療機関から高い評価を得てきた。とくに精神科を中心とした実習システムは特徴的であり、福間病院と密接に連携して精神科医療に理解の深い人材の育成を行っている。
また、同校の特筆すべき魅力として、主婦や社会人が入学者の8割以上を占めていることが挙げられる。働きながら資格取得を目指せるよう、生徒1人ひとりの状況に合わせた教育サポート体制を整備している。さらに卒業後も正看護師資格の取得を目指せるよう、職員寮の優先利用制度や通信教育の推進など、生涯にわたるキャリアアップを視野に入れた支援も行ってきた。
卒業生の多くが福間病院をはじめとする地域の医療機関に就職しており、現場で指導者となり後輩を育成するなど、同校と地域医療との強固な連携を示してきた。しかし近年では残念なことに、卒業生の病院定着率の低下が問題化しており、福間病院への就職率の低下と早期離職率の高さが顕著となっている。
そうした背景もあり同校は近年、厳しい経営環境に直面している。毎年の定員割れによって多額の赤字が発生し、その負担が福間病院全体の経営を圧迫する要因にもなっている。病院側は奨学金制度やアパート提供などの施策を通じて県外からの生徒募集にも力を入れているが、期待される成果は得られていないのが現状のようだ。「とくに奨学金制度は高額な経費がかかる一方で卒業生の離職率が高いため、費用対効果の悪さが課題となっている」との関係者の指摘もある。
医療法人のガバナンス体制

これまで紹介してきた福間病院や福間看護高等専修学校を運営しているのが、(医)恵愛会である。医療法人は株式会社や有限会社といった一般的な企業形態と異なり、あまり馴染みがないため、ここで簡単に説明する。
医療法人の一般企業との最大の違いは、「非営利」であることだ。「非営利」とは、利益を得てはいけないという意味ではなく、利益を出資者に配当できないという意味である。
医療法人の基本的な区分には、「社団たる医療法人」と「財団たる医療法人」がある。国内の医療法人の99%以上は「社団たる医療法人」だが、恵愛会は数少ない「財団たる医療法人」に属している。両者の主な違いは、「出資持分」の有無にある。「社団たる医療法人」には、株式会社でいうところの株主に似た「社員」と呼ばれる出資者が存在する。社員は日常的な配当を受けることはできないが、法人が解散した際に残った財産(残余財産)を受け取ることができる。
一方、「財団たる医療法人」は、設立の際に寄付によって運営資金を調達していることが特徴だ。そのため、配当を受けることはもちろん、解散時に残余財産を受け取る権利もない。解散する場合はほかの出資持分の定めのない医療法人に引き継がれるか、国や地方自治体に帰属することになる。
ただし、2007年の改正医療法施行以降は、出資持分のある医療法人を新たに設立することができなくなったため、それ以降に設立された医療法人においては、「社団」と「財団」の差異は事実上なくなっている。
医療法人社団では、株式会社での株主総会に当たる「社員総会」が最高意思決定機関となり、理事を選任する。社員総会で選ばれた理事により「理事会」が構成され、理事会で選任された理事長が法人の代表者として法人の経営を担う。
医療法人財団の場合は、出資ではなく寄付で設立されているため「社員総会」がなく、その代わりに「評議員会」が設置される。「評議員会」は評議員で構成され、理事などの役員を選任する。「理事会」が最高意思決定機関だが、理事長は重要事項を決定する際、評議員会の意見を必ず聞くことが義務付けられている。
また、役員構成については、理事を3人以上、監事を1人以上設置しなければならない。さらに法人の代表である理事長は、原則として医師または歯科医師に限られている。
鬱積した不満が沸点に達しつつある
前段で確認したように、(医)恵愛会は「財団たる医療法人」であり、その最高意思決定機関は「理事会」である。理事会は西村良二理事長、佐々木好子専務理事、伊藤雅子常務理事、藤永拓朗院長ら計8名で構成される。佐々木専務理事は佐々木勇之進氏の妻であり、伊藤常務理事はその娘にあたる。株式会社にたとえれば、理事会は取締役会に、西村理事長は代表取締役に相当する。当然ながら、約500名の職員を統率し、法人としての事業継続責任を担っている。また、財団たる医療法人には評議員会の設置が求められており、恵愛会でも8名の評議員が置かれている。
冒頭で触れた「職員や患者を蔑ろにしている」という指摘は、理事会の経営姿勢への不満か、評議員会への不満か、あるいは別の要因があるのか。取材を通じて数多くの証言から浮かび上がったのは、「経営層と現場職員との著しい意識の乖離、ガバナンス体制の機能不全」だった。現場からは「患者に十分なサービスを提供できなくなっている」との悲痛な声が挙がり、そうした現状を理解しない経営側への苛立ちが強まっている。職員が長年抱えてきた不満は、まさに沸点を迎えようとしている。
同族経営企業において経営層と現場との間で軋轢が生じるのは珍しくないが、地域医療を担う病院の場合、その影響はとくに深刻だ。精神保健福祉法では、患者の同意なく入院させる措置入院や医療保護入院の制度があり、その多くを民間精神科病院が担っている。また、心神喪失者等医療観察法による医療観察制度も民間精神科病院の協力が不可欠だ。そもそも民間病院は、地域住民が必要とする医療サービスや公立病院が担えない特殊な医療を支える重要な役割をはたしている。
かつて精神医療の先駆けとして全国に名を馳せた福間病院は、なぜ現在のような状況に陥ったのか。その根本的な原因はどこにあるのか。地域医療の重要性がますます高まるなか、福間病院はその役割を今後もはたせるのか。次回以降、この問題点をより詳細に検証していく。
(つづく)
【特別取材班】
<COMPANY INFORMATION>
(医)恵愛会
理事長 :西村良二
所在地 :福岡県福津市花見が浜1-5-1
設 立 :1956年3月
事業収益:(24/3)36億4,831万円