機能不全だらけの世の中(1)いまだに単語帳?

福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

イメージ    町の図書館に受験生たちが自習できる部屋がある。なかに入っても、誰一人顔を上げない。何を勉強しているのだろう。邪魔にならない程度にのぞき込む。

 数学の問題を解こうとしながら、スマホをうかがっている男子。「英単語」を次から次へとノートに何か書き込んでいる女子。この高校生たちは何を学んでいるのだろう。こんな勉強の仕方で役に立つのだろうか。

 今から60年前、私は彼らの年齢だった。その当時と比べて、勉強の仕方が大きく変化しているようには見えない。スマホがあるかないかの違いは大きいはずだ。なのに、学習法が変わっていないとなれば。

 数学は相変わらず例題の模範解答を覚え、それに従って練習問題を解くというものだ。英語も相変わらず単語と熟語の丸暗記で、それを基本文型に当てはめて英文和訳をする。これでほんとうに数学や英語が身につくのか?

 勉強法は変わったと信じている人もいるようだ。半世紀以上なんの進歩もないことが信じられないのだろう。

 だが、書店で売られている参考書を見れば、私が高校生だった頃とスタイルが同じである。表紙の絵や中のイラストが変わっているだけだ。

 「スタイル」とは「構成」であり「方法」のことである。それが半世紀以上も変わっていない。教育そのものが時代の変化に対応していないのだ。
 システムが時代の変化に対応していないのは教育に限ったことではない。しかし、こと教育となると重大である。たとえば英語教育には深刻な欠陥があり、それが生徒の学習法に反映している。

 私の高校時代、すぐれた英語教師がいた。名前を思い出せないが、常にこう言っていた。

「君たちは英語というと単語と熟語を覚えることばかり考えているが、英語は流れをつかむことだ。流れをつかむには、単語数の少ない子ども向けの簡単な読み物を英語でたくさん読むのが良い」

 この教師はわずか20ページほどの小冊子を生徒に配った。その小冊子には2ページで読み切れる英語の小話が10ほど収まっていた。私たちは毎日1話ずつそれを読み、巻末にある設問の答えを英語で書いた。こういう教育、今でもあるのだろうか。あのような教師、今でもいるだろうか。

 後でわかったことだが、言語はシステムである。あの高校教師が言っていた「英語の流れをつかめ」は、英語をシステムとしてつかめということだったのだ。「流れ」をつかもうとすれば、おのずからシステムが見えてくる。システムをつかまえなくては、言語を習得したことにはならない。

 システムとは動く全体である。1つが動けば、他のすべてもそれに応じて動く。言語を習得するとは、この全体の動きに溶け込むことを意味する。

 システム工学では「いくつかの要素が集まって、互いに関連し、それによって動く1つの全体」をシステムと呼んでいる。言語はそういうシステムの1つなのだ。

 言語がシステムでなかったら、そこには構造がなく、互いに関連のない単語の集合となってしまう。それでは言語として機能しない。コミュニケーションの道具にも、思考の道具にもならない。

 日本の英語教育はこうした基礎的な理解をもたない。だから、教える側も単語や熟語を覚え、基本文型を覚えることを重視する。この方法では不十分だとわかっているはずなのに、それを教え続けている。言語システムに合った方法に改変すべきである。

 英語教育に限らない。日本の教育は、物事を断片的にしかとらえられない知性を養成している。物事をシステムとしてとらえることを教えていない。

 この弊害はかなり古くからあるようで、明治の先覚者といわれる人々のなかにも西欧文明をシステムとしてとらえた人はいない。

 例外はある。『文明論之概略』を書いた福澤諭吉がその1人だ。彼は西欧世界を見聞し、その文明の骨格をまず把握し、そこから個々の動きを見てとった。一度これをつかんでから、彼は西洋の本を読み、自分が直覚したことをたしかめた。

 規模は違うが豊田佐吉もそうだ。若いころ東京に出て、そこで博覧会に通いつめ、展示されていた英国製の自動織機の動きをしっかりとらえ、それを深く網膜に焼きつけて故郷に帰った。そして半年後には、自力で自動織機をつくったのだ。

 機械の表面だけを見て感動していたのではない。機械を生きたシステムとして把握したからできたことである。

 つまり、全体をつかみ、そこから細部を眺め、細部と細部の連関をつかむ。これがシステムをつかむということなのだ。

 私たちは生の英語を見聞きすることから出発し、これを生きたシステムとしてとらえねばならない。それには、2分で終わる英語のYouTubeを字幕なしで何度も観ることだ。英語の海に生身で飛び込むのだ。そして、どうしてもわからない単語があれば、あとで調べればよい。こうして英語は身についていく。もう単語帳は捨てようではないか。

(つづく)

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