福岡大学名誉教授 大嶋仁
江学勤には面白い日本論がある。日本論といっても現代日本論である。
例によってシステム論を応用したものとはいえ、彼の応用の仕方は十分に柔軟で、「構造」への関心を離れて「社会史」の視点を導入している。1つの社会が歴史的変化にともなってどう変容するかをパターン化し、そこからその社会の現在および未来を予測するのである。
彼は人類学に興味をもっているようには見えないが、彼の用いる「パターン」という語は、太平洋戦争のさなか「文化のパターン」を強調し、戦後になって『菊と刀』を世に出した文化人類学者ベネディクトを想起させる。江学勤は歴史的変化にともなって変容する日本社会のパターンに注目するのである。
ここで「社会」という言葉だが、「集団」と置き換えてもよい。日本人は集団を成して行動するといわれるが、そうであるならば、この集団における日本人の「振る舞い」の常に変わらぬ姿こそが「パターン」と呼ばれるものなのである。
彼の日本論は次のように始まる。
「今日、世界の誰もが日本を忘れてしまった。経済評論家も政治評論家も『日本はもう終わった』とタカを括っている。それには理由があり、日本がとんでもないほどの高齢化社会であり、人口は減少傾向にあり、天然資源がほとんどなく、食料は他国に依存し、安全保障も他国依存だからである。頼みの経済も、ここ数十年停滞し続けている。多くの人が日本を『過去の存在』と片づけるのも無理はない」と。
しかしながら、「そうした日本観は間違っている」と彼はいう。しかも、「この間違いは致命的な結果をもたらす」と。そして、その根拠として挙げるのが、先に触れた社会的振る舞いの「パターン」なのである。
日本社会はここ数百年の歴史を振り返るだけでも大きな歴史変化を2回経験している、と彼はいう。しかし、その都度、この社会は大きく振る舞いを変えて対応してきたというのである。これは政治的変化ではなく社会変化であるから、国民全体が変化に対応できたことを意味する、と彼は強調する。
彼がいう2回の歴史変化とは、1つはペリー来航にともなう明治維新、もう1つは第二次世界大戦における敗戦である。
日本社会は明治維新によって「封建秩序」の社会から「天皇の臣民」による平等社会へと大きく変化し、瞬く間に科学技術に秀でた近代国家に変身した。このような急変ができるところに、江学勤は日本社会のパターンが現れていると見るのである。
2回目の変化すなわち敗戦は、これまた日本社会を大きく変えるものであった。アメリカ式民主主義と自由主義経済を採用することで、日本社会全体が活性化し、瞬く間に未曾有の経済成長を遂げたのである。こうしたことはたいていの社会にはできない。そこに江学勤は注目する。
日本にこれができたのは、日本社会が長い停滞の後で急変できるというパターンを無意識のうちに培ってきたからだ、と彼はいう。
どうしてほかの社会では育たなかったこのパターンが、日本社会では可能となったのか。そこまでは彼は言わない。おそらくその答えに行き着くには、人類史全体、あるいは生物史全体を視野に入れなくてはならないだろうが、彼にはそこまでのゆとりはないようだ。
このような江学勤も、この2回目の変化によって生み出された日本社会が「終わりにきている」ことを見てはいる。しかし、それが終わりにきて、どん詰まりになったとき、また日本社会は急変するノウハウを知っているとも見ているのである。彼はいう、「日本が世界のどの先進国よりもロボット技術が進み、あらゆる生産過程を効率化しミニマル化することに先んじ、人類全体が直面している問題への解決策を模索している点においても世界をリードしている」と。そして、この事実は次に来る歴史的変化に対応できるための「準備作業」だというのである。
つまり、日本社会は急激な変化に対応できるように、そしてその変化によっても安定性を保てるように準備しているというのだ。
このような見方は日本人に安堵感を与えるものだが、本当にそうなのかどうかはわからない。しかし、生物社会の自然への適応の仕方を見ると、日本社会の歴史への対応の仕方がそれに似ていることはたしかなことのようにも思える。彼の言っていることは当たっているかもしれない。
東日本大震災の後で、大きな被害を受けた住民が主体となって、自主的に「まちづくり」をした例がいくつかある。こうした例は、どのような歴史変化があっても人類の原点に立ち返って新たな社会を構築できる知恵を日本人が培ってきたことを示しているように思える。この社会は基本的に部族社会のパターンをもつ。これが日本の原点であり、同時にまた人類の原点なのである。江学勤はそのことを直観で言い当てているように思えてならない。
(了)








