全国各地に広がるペンライト集会で市民と野党が連携──改憲邁進の高市政権に対峙

 憲法記念日の5月3日、高市政権の改憲に反対する「憲法大集会」が東京都江東区の有明防災公園で開かれ、主催者発表で5万人が参加した。共産党の田村智子委員長をはじめ立憲民主党、社民党、れいわ新選組などの代表者がステージ上で護憲を訴えた後、市民運動家の菱山南帆子さんが登壇。「戦争反対」「憲法を守れ」「主権者は私たち」「退陣、退陣、高市政権」と声を上げると、会場を埋め尽くした参加者が呼応していくコールが続いた。

    菱山さんは2月の衆院選で自民党が圧勝した直後、「(野党惨敗の)焼野原は市民団体が引き取る」と宣言。急速に広まっていったペンライト集会の仕掛け人だったのだ。4月5日の池袋駅西口でのペンライト集会で菱山さんは、こう振り返った。

「ちょうど一年前、私は韓国ソウルで尹(ユン)大統領弾劾デモに参加し、集会でスピーチをしました。そのとき、まさに同じようなペンライトの光景だったのです。この光景を日本でもやりたいと思って、そして一年後、(野党惨敗で)これから焼野原でどうしよう。戦後最悪の憲法改悪の危機が訪れている。でもあきらめない。『みんな光をもって集まろう』と呼びかけたら、これだけ大きな運動になっているではありませんか」

 実際、集会参加者は急増していった。池袋集会には約6,000人が参加していたが、その3日後の4月8日の国会前ペンライト集会には約3万人、そして18日にも同じ国会前に約3万6,000人が集まったのだ。

 こうしてペンライト集会は、改憲と軍拡に突き進む高市政権に対峙する動きとして注目されることにもなったのだ。

 菱山さんのスピーチには、高市政権批判が盛り込まれている。先の池袋集会でも次のように訴えていた。

「(高市政権は)イラン攻撃にはっきりとノーをいえない。ノーをいえない政府は変えなくてはなりません。物価高で生活が苦しい。それなのに憲法を変えて、戦争ができる国づくりをしようとしている。皆さん、望んでいますか(参加者が『望んでいない!』と答える)。望んでいないですよね。私たちの方を見ない政府なんて、今すぐ変えなくてはなりません。主権者は私たちです。私たちには力がある。この光の力で頑張っていきたいと思います」

    ペンライト集会は全国各地にも飛び火。4月26日には大阪駅前でも同様の集会が開かれて、約2,500人が参加。ここにも菱山さんは駆け付けて冒頭で挨拶、コール役も買って出た。ただ東京での集会と少し違ったのは、定番の「戦争反対」や「改憲反対」に加えて、「大阪壊す都構想はいらない」「大阪壊すカジノはいらない」という地域色を帯びた掛け声もあったことだ。

 そして地元住民の藤永のぶよさんもマイクを握り、自らの戦争体験を語りながら、自民と連立を組む維新を批判する場面もあった。

「(親が)殺されて行き場のない子どもたちがいっぱいいました。戦争孤児と呼ばれたのです。私と同じくらいの子どもが食べ物がないわけですから、アメリカ兵の後について行って『give me』『give me』と言ってチョコレートをもらっているのです。戦争で大変な思い、悲惨な思いをするのは、靖国神社に祀られている人だけではありません。全国でこういう悲劇があったのです。だから二度と戦争は起こさない。日本人の手で憲法9条がつくられたのです。これをまた日本人の手でつぶすのは絶対に許せないと思っています。
皆さん、この大阪には戦争が大好きな政党が2つありまんねん。そのうちの1つ、維新はいま大阪市を潰すという本当に無茶苦茶なことをいうています。三度目の住民投票のアリバイづくりのようなタウンミーティングをやっています。自由に話したらダメで発言時間は1分。こんなバカげた規制をつくっても、冷静で優秀な大阪市民は住民投票反対、都構想反対の声を上げています」
 ペンライト集会の広がりは、2012年12月発足の第二次安倍政権時代の光景と重なり合うものがある。しかも永田町の政治状況も瓜二つだ。

    13年半前の総選挙でも自民党は294議席と圧勝する一方、当時の民主党は57議席しか取れずに下野した。そんな「安倍一強多弱」状態からの反転攻勢の発端は、安保法制反対の国会前デモだった。15年8月には約12万人が参加するほど盛り上がったが、それに触発されて野党連携の気運が高まり、翌年の参院選1人区での野党候補一本化が実現して善戦。その一方で与党(自公)は議席減、安倍一強が揺らぎ始めた。

 同じように、ペンライト集会が野党の結集を促して、高市政権が揺らぐ発端となる可能性は十分にあるように見える。永田町にどんな影響を与えていくのか。今後もペンライト集会から目が離せない。

【ジャーナリスト/横田一】

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