『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏
世はまさにAI全盛時代である。猫も杓子もAIに浮かれ、AI関連の株価は爆上がりし、AIを使えない者は“バカ”とみなされかねない。しかし、大昔「Windows 95ブーム」というのがあった。ITを制する者は世界を制するとまでいわれた。だが、その結果、ものを考えない、本を読まない人間が溢れ、事実とフェイクの境目がなくなってしまった。
AIは本当に「人間を超えた」のか
某夜、居酒屋で友人と口論になった。
友人は最近、息子に勧められてAIを始めたという。最初は無料のAIを使っていたが、これも息子から助言され、月3,000円を払って有料版にしたら、無料版とは比べ物にならないくらい企画書や表の作成、法律的な問題などについても優れていると、手放しで褒めた。
天邪鬼な私は、無条件AI礼讃者が嫌いだ。
AIはまだまだ発展途上で、これからどうなるか誰にもわからない。AI企業はAIが世界を制するなどと「たわ言」を吹聴しているが、今のAIは欠陥だらけだ。
米軍の巡航ミサイル「トマホーク」が、AIの指示でイラン攻撃をした際、小学校を誤爆して、多数の子どもたちを殺戮したのは、ついこの間のことだった。
チェスや将棋のように、多くのパターンを憶えたりするのは得意だが、何もないところから“生み出す”能力はまだまだだというと、友人は、「今や、AIだけしかいない新聞社や、作曲したり、書いた小説が賞をとっているではないか。AIには人間が思う以上のとんでもない力があるではないか」と口をすぼめた。
「記事を書くAI」と「取材する人間」
たしかに、アメリカのテキサス州オースティンの『RuntimeWire』は、起業家のライアン・マーキットが運営するAIニュースメディアで、AIだけで構成されたチームが次々と記事を生み出しているが、執筆はマーキットの名前だけが記されているそうだ。以下はWIRED(2026.08.20)からの抜粋。
《マーキット自身が記事制作に直接かかわることは、普段はさらに少ない。『RuntimeWire』では、AIツールがニュースを探し出し、記事の執筆や編集、ファクトチェック、画像生成、宣伝までを担っている。
通常、マーキットは記事が公開される前に目を通す。
ただし、AIエージェントのチームが法的リスクの低い記事だと判断した場合は、マーキットの事前確認なしにAI編集者が公開する。その場合、本人が記事を読むのは公開後だ。(中略)
『RuntimeWire』は5月に運営を開始して以来、2,000本近い記事を公開してきた。裁判関連のデータベースやウェブ掲示板、従来型メディアと新興メディア、企業の提出書類、ソーシャルメディアのフィードなど、インターネット上のさまざまな情報源を巡回して記事の題材を集めている。(中略)
運営コストはごくわずかだ。マーキットによると、プロジェクトの運営費は1日約100ドル(約1万6,000円)。外出先からでも管理でき、キャンプ中でさえ運営を続けられるという。
「ビッグ・ベンド国立公園にいたときは、携帯電話以外にインターネットへ接続する手段がありませんでしたが、サイト全体をiMessageで管理できました」とマーキットは話す。「その週だけで、80本を超える記事を公開しました」》
生成AIツールを活用するメディア系スタートアップが次々に出現しているのは事実だが、いまはまだ「実験段階」でしかない。
AIが外に出て行って多くの人と会い、ネタをもらって、その裏付け取材をできるようになるのは、まだ遠い未来の話である。
音楽や小説の世界でも、AIによる楽曲がヒットチャートを賑わしたり、小説が賞をとったりしている。
しかし、昔から音楽は12個の音、日本語の小説はいろは48文字で出来上がっているから、AIにとってそう難しい作業ではないのではないか。
いつの日か、AIの書いた小説が芥川賞をとることもあり得るかもしれないとは思う。
しかし、今のAIが、心を揺さぶるような物語や新しい文体、表現力を生み出すのは、まだまだ先になると思わざるを得ない。
友人がいう。「AIが人間にとって代わって、人間を支配する時代がそのうち必ず来ると思う」。私は「来るかもしれないが、はるか遠い先のことだ」と答えた。
「Windows 95」が世界を変えると思った時代
私がAIに懐疑的なのは私の体験からきている。
私がパソコンというものを初めて使ったのは1995年。当時NECのインターネットサービスプロバイダー「BIGLOBE」にいた友人が贈ってくれたのだ。
95年はインターネット元年といわれる。マイクロソフトの「Windows 95」が爆発的に売れたのだ。
なぜ売れたのかについてはここでは触れないが、今のAI以上に、“世の中が変わる”と思わせてくれたものだった。
私は週刊現代編集長だった。ワープロ専用機はかなり早い時期から使っていたから、パソコンでワープロもできるといわれても、立ち上げるのも面倒くさいパソコンでワープロをやろうとは思わなかった。
だが、NECのパソコンはあっという間にワープロ専用機を駆逐し、メールや情報収集になくてはならないものになった。
98年、現代の編集長を降り、新雑誌開発局の局長になった私は、週刊現代に代わる新週刊誌をつくるために、アメリカ・ニューヨークへ飛んだ。
TIMEマガジン社へ行って、TIMEの日本語版を出したいと交渉した。意外にも向こうは好条件で承諾してくれた。
意気揚々と帰国し、役員会で「TIME日本語版」について話をしたが、まったく彼らは関心を示さなかった。
仕方なく、もう1つの「Web版現代」の企画を話すと、社長が興味を示し、ゴマすり役員たちも乗り気になった。TIME日本語版はそれなりの投資がいるが、Webならそうカネはかからないだろうというのが“動機”だった。
だが、それは実際にやり始めて、間違いだったと、私も会社側も気づくのだが…。
夢を詰め込んだ「Web現代」の挑戦
当時のWebには限りない夢があった。これからはパソコン1台あれば、中東で紛争があれば記者を派遣し、リアルタイムで画像や音声を送れるようになる。
出版社がラジオ局ではなくテレビ局を持つことができる。「Web現代」創刊準備段階から、編集部内に「ニュース専用部屋」をつくり、フリーアナウンサーの女性と契約して、週2回、週刊現代やFRIDAYなどのスクープの裏話を取り上げ、社内に流した。
NECと凸版印刷に頼んで、3社共同のプロジェクトにして記者会見もした。
発行は週1回。広告は電車の中吊り広告と同じ体裁(これは当時のシステムエンジニアたちにとって、とんでもない無理難題だったようだ。手書きのような縦書き文字に当時のソフトは対応していなかったためだ)。
どれもこれも初めてだし、私はITの素人だから、夢のような「思い付き」を若い人たちに無理強いした。
社長以下役員たちに「Web現代」を披露するとき、私は海外、中国から生中継をしようと発案した。だが、当時海外に中継地点をもっていなかったNECの担当者は慌てて、「国内、鹿児島くらいからなら、何とかします」といってきた。
当日、鹿児島に行かせた部下とライブでやりとりした。数十秒のディレイはあったものの、なかなか好評だった。
99年11月に「Web現代」は創刊された。ハイジャックされた全日空機の機内を録音したテープを流して、新聞社までが取り上げてくれた。
アイドル3人娘のCDを発売した。ゲーム「鮨食いねえ」。立川談志の「一人語り」。写真家・宮澤正明の「電脳写真館」。本田靖春の「取材とは何か」。「編集者の学校」などなど、思いつくものは何でもやった。
だが、社内では太い専用線を敷いたから、動画もらくらく見ることができたが、一般のパソコンでは動画がフリーズしてしまった。1、2分の短いものはいいが、長いものは見ることができないと多くの苦情がきた。
誤算だったのはそれだけではなかった。当時のパソコンは値段が高く、しかも、半年ごとにモデルチェンジをしたから、その購入代が嵩んでしまった。
しかも稼ぎはほとんどゼロ。当時は、投げ銭的に少額を読者からもらう「課金システム」がなかったのだ。
Web上ではクレジットカードで支払うのは相当ハードルが高く、課金ページが出ると多くの読者が「退出」してしまった。
NTTドコモが99年に携帯電話で始めた「iモード」があっという間に広がったのは、コンテンツの月額料金を携帯電話料金と一緒に徴収する仕組みだったからだ。
羨ましかったが、指をくわえて見ているしかなかった。
1年間で2億円も赤字を出した。会社側から、「安く済むっていうから始めたのに」と、何度も嫌味を聞かされた。
だが、本邦初のWeb週刊誌はメディア界で話題になり、いくつかのテレビ局から「話を聞かせてくれないか」といわれ、出向いたこともあった。
SONYから「一緒にやらないか」と申し出を受けたこともあった。ちっぽけな所帯だったが、注目度はなかなかのものだったのだ。
BIGLOBEやマイクロソフトからは、もうじき回線が速くなり、一般のパソコンでも動画がストレスなく見られるようになりますといわれたが、遅々として進まなかった。
当時、電子書籍を研究しているアメリカの会社から人が来て、電子ブックを見せてもらったことがあった。今のアマゾンのKindleの大型版で、いくつかの方式があった。
そのとき、相手の担当者に、私はこういった。
「電子書籍が普及するためには、文庫本を超える手軽さがなくてはダメだ」
向こうの担当者は、こういった。
「電子書籍は、数年後には一枚の紙のようになり、丸めてポケットに入るようになります」
技術は進んだ。人間は賢くなったのか
あれから四半世紀が経ったが、いまだにそのような端末は出てこない。
全盛を極めた「iモード」も携帯電話がスマホに変わり、無料で手軽にネットサーフィンができるようになると消えていった。
私が使っていた重い弁当箱のような携帯電話が、手のひらサイズへと変わった。
連絡手段がメールからフェイスブックやツイッター、LINEへと変化していった。
何かを調べるために、昔は社内の図書館へ駆け込んだが、今はネットで簡単に調べられる。
AIが出てきて、検索はもちろん、読んだこともない100年前の本の要約までしてくれるようになった。
情報が正しいかどうかは別だが、便利になったことは間違いない。
だが、人間は賢くなったのだろうか?
私がやったWebマガジンはIT専門家から、「元木さんはすごいことをやったが、早すぎた。ネット環境が未発達だったのは残念だ」とよくいわれた。
たしかに早すぎたが、では、今はストレスなくネットサーフィンができる時代なのに、本格的なWebマガジンが、私が知る限り出ていないのはなぜか?
私はこう考える。雑誌が売り物にしてきたスキャンダルやSEXYグラビア、手練れの書き手によるコラム、政権批判、どれもネットのなかには腐るほどある。
それが雑誌由来の情報であろうと、読む側は知ったこっちゃない。
さらにFACTがこれほど軽んじられる時代は、これまでなかったと思う。
AI時代、「事実」はどこにあるのか
昔「LIFE」という大型の報道写真誌があった。
新潮社の斎藤十一はLIFEのような雑誌を出したいと思い、「FOCUS」を思いついたと側聞している。
「見ることで世界を知る」をコンセプトに、世界的な事件や歴史的瞬間を数多くカメラに収め、社会に強烈なインパクトを与えた。
LIFEが掲載し話題になった写真はいくつもある。
第二次世界大戦の終戦(対日戦勝利の日)に湧くニューヨークのタイムズスクエアで、歓喜した水兵が通りすがりの女性看護師を抱きしめてキスをした瞬間(カメラマンはアルフレッド・アイゼンスタット)。
ロバート・キャパの「D-デイ(ノルマンディー上陸作戦)(1944年)」
ユージン・スミスの「トモコとお母さん」(71年)は、水俣病の恐ろしさを世界に伝え、国際世論を動かした。
だが今、写真は「事実を伝える」ものではなくなった。AIにつくらせたフェイク写真や動画が世に溢れ、写真は事実を写し取ったものではなくなり、嘘をつくものだという考えが広がっている。
写真評論家の島原学は朝日新聞8月22日付の「オピニオン&フォーラム」のなかでこういっている。
《──写真に「事実」は写り続けるのでしょうか。
「『事実』は写り続けるでしょう。人はそれを絶えず求めるからです。むろん、その持続は簡単ではありません。アナログ時代から写真はプロパガンダの強力な手段として使われ、その反省から報道写真の倫理的基準は確立されました。その歴史を踏まえて、メタデータの開示、技術への理解、そしてリテラシー教育などの必要性が理解されることが今後のカギになるでしょう。そのうえで、写真が語る『事実』が見えてくるのだと思います」》
一口にリテラシー教育というが、簡単ではない。
これからは、AIに何ができるかではなく、何をしてはいけないのかを学ばせなければならないと、私は思っている。
手放しのAI礼讃者は、このことに気がついていない。
AIにやらせるべき仕事は何なのか
さて、話を友人との“対話”に戻そう。
私は彼に、高市首相が「半導体基盤の強化に約68兆円、AIとロボット技術を融合させて自律的に動かす『フィジカルAI』に約10.5兆円の官民投資」と発表したが、投資する先が間違っているといった。
なぜなら、日本が投資すべきはそこではないからだ。AIの開発はアメリカや中国に任せておけばいい。今さら、多少のカネをつぎ込んでも、ドブに捨てるようなものだ。
「日本が至急やるべきは『地震予知』研究であるはずだ。そのほかのことなどどうでもいいことだ」
友人も頷いた。
ここ約30年で、阪神淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震、熊本で10年に2回も大地震が起き、20年以内に南海トラフ地震や首都直下型地震が起きるといわれている。
この国は「地震大国」だ。気象庁は「地震予知は難しい」というだけで、あきらめている。
そういう分野にこそAIを駆使して、地震予知の知恵を出させるべきではないのか。
帰宅して無料のAIに、「なぜ、AIに地震予測ができないのか?」と聞いてみた。
完全な「予知」は難しいと答え、その理由をこう挙げた。
《学習データの不足(とくに巨大地震)
AIは膨大なデータを学習してパターンを見つけ出しますが、人間を脅かすようなマグニチュード7〜8級の大地震は、地球の歴史や観測史上で見れば「ごくたまにしか起きない極稀な現象」です。AIにとって学習データが圧倒的に不足しています。
地下の複雑さと不可視性
地震の発生源となる地下数十キロの断層の状態を、直接カメラやセンサーでリアルタイムに観測することは不可能です。入力データそのものが限られているため、いくらAIが優秀でも完璧な計算はできません。
物理的な非線形性(カオス)
地殻の破壊現象は非常に複雑で、ほんの小さな岩盤の割れ目が大地震に発展するかどうかにランダム性が含まれます。》
気象庁の役人や何もしない地震学者が言いそうな、腑抜けた言い訳である。
そんなことはいわれなくてもわかっている。ある分野では人間を凌駕する知能をもつといわれるAIがこの程度である(有料版なら違うことをいうのだろうか?)。
そう怒っていたら、深夜に震度4強の地震で起こされた。
AIはドローンを誘導して敵基地を爆破しなくていい。そんなものは人間に任せろ。
AIが公認会計士や弁護士にならなくてもいい。AIには、地球温暖化をどう止めるのか、地震予知の精度をもっと上げるにはどうしたらいいのか、地球上のすべての核爆弾を無力にする仕組みなど、人類が直面している「今そこにある重大な危機」に取り組んでもらいたい。そして解決方法を早急に見つけてほしい。
それができなければ、AIの存在理由などないではないか。(以下次号=文中敬称略)
<プロフィール>
元木昌彦(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。









