福島自然環境研究室 千葉茂樹
深刻化する松枯れ
画像08は、私の故郷の丘から北西方向を見たものである。約26km先には束稲山(たばしねやま)が見える。本題からそれるが、この束稲山の西(画面の左)に平泉がある。奥州平泉の藤原氏は、この山が「京都の東山」に似ていることから、平泉に本拠地を移したといわれる。お盆には「大文字の火送り」も行われる。

話は戻って、この束稲山の手前の山を見ると、緑のなかに「赤い木」が見える。松枯れである。写真を撮影した丘から四方を見ると、この松枯れがこの地域一円に広がっていることがわかる。東を見れば、約12km先の宮城県登米市東和町も松枯れが広がっている。車で、国道342号を北西に走ると、一関市花泉町金沢地内まで松枯れが続く。北東約5kmには、「岩手サファリパーク」があるが、その周辺も松枯れである。
松枯れの原因
この松枯れは、正式名称「マツ材線虫病」で、「マツノザイセンチュウ」による感染症である。分かりやすくいえば、マツノザイセンチュウは小さなミミズのような虫で、松の幹に住み着き、組織内の管を詰まらせる。ヒトでいえば、脳梗塞や心筋梗塞のような症状をもたらし、枯らしてしまう。媒介者はマツノマダラカミキリである。このカミキリは、マツノザイセンチュウを体内に宿し、松から松へと運ぶ。私の子どものころには見かけなかったが、5年ほど前の夏、実家の外壁にもいた。
今年の夏、実家の外壁で、オオゾウムシやウスバカミキリを毎日見た(画像09)。これらはマツノザイセンチュウを運ばないが、弱ったり枯れたりしたアカマツを食い荒らして増殖する。松枯れが進んだ証拠である。

アレチウリ(荒地瓜)の異常な繁茂(画像10)
このアレチウリも郷里を席巻している。20年ほど前から異常に増殖している。写真は中学校跡地に繁茂したアレチウリである。
この植物は、からだ全体に「透明なトゲ」がある。そして、トゲは異常に硬い。透明なので柔らかく見えるが、大間違いである。

私の失敗談を書く。15年ほど前、実家に侵入したアレチウリを、軍手をして除去した。これが大間違いで、アレチウリを扱う場合は、「厚手のゴム手袋」か「皮手袋」でなければならない。軍手で扱った私の手には、透明なトゲがいっぱい突き刺さった。大半はピンセットで除去したが、数カ所は取れなかった。透明なので、どこにあるのか、どこまで深く刺さっているのか分からない。私の手はトゲが残った処にタコができた。むしり取ってもトゲが残る限りまたタコになる。今でもタコになっている。厄介な代物である。
最近は、手を触れないで済む「高枝ノコギリ」で対応している。
トンボ・イナゴが絶滅寸前

今年の夏、実家の周辺を約3km歩いた。トンボが異常に少なかった。出会ったトンボはたった3匹であった(画像11)。
私の子どものころは、赤とんぼが「空が真っ黒」になるほど飛んでいた。これは誇張ではない。65歳以上の方で、田舎住まいだった方は経験していると思う。
5歳のとき、虫取り網でこの大群を追いかけ、何とか1匹を捕まえたことを覚えている。そのトンボが、今年の夏は、歩き回っても3匹しかいなかった。途中、田んぼのなかを歩いたが、田んぼには1匹もいなかった。さらに田んぼには「イナゴ」もいなかった。
これに対して、画像12は猪苗代のイナゴである。田んぼの周りにいっぱいいる。猪苗代では、トンボもいっぱいいる。猪苗代のイナゴは、イネの葉より田んぼ周辺の「エノコログサ(リンク)、通称ネコジャラシ」のほうが好きである。私が近づくと、雑草から一斉に飛び立ち稲穂に向かう。

カメムシ対策の薬剤散布
実家の隣家の方に「トンボやイナゴがいなくなったこと」について、思い当たることを聞いた。話のなかで「①松食い虫駆除の薬剤散布はない。②カメムシ対策の薬剤散布は毎年してきた。」ということが出てきた。この話からトンボやイナゴがいない理由は、「カメムシ対策の薬剤散布」である可能性が高い。
カメムシは「悪臭を放つ」ので有名である。農業的にいえば「作物の実に取りつき、果汁を吸い取る」厄介な虫である。田んぼでいえば、収穫期の稲穂をダメにする。果汁を吸い取られたコメは、その部分が黒く変わり、コメ粒も小さくなる。このため大量発生の場合は、薬剤で駆除する。
実家のカメムシ事情を書けば、父が死去した2011年頃が一番ひどく、家のなかはカメムシだらけであった。それから約10年間は、家のなかにカメムシが大量に入ってきた。しかし、ここ5年はカメムシの量が減って、今年の夏は見ていない。カメムシ対策の薬剤散布の効果と考えられる。と同時に「副次的な効果」として、カメムシと同じ環境にいる「トンボやイナゴも激減した」ということである。
カメムシが急増した原因は何か。カメムシは草のなかで増える。要するに田舎が疲弊し「草刈りがされなくなったため」と考えられる。私の子どもの頃は、集落および耕作地は、草刈りが行き届いていた。しかし、最近はいたるところ、草がボウボウである。
殺虫剤を使えば該当の虫は駆除できるが、副作用として「同じ環境の生物にも影響」が出る。基本的には薬剤の使用ではなく、該当の生物が繁殖できないようにするのが望ましい。要するに「除草=草刈り」が重要である。そうでないと、周辺の自然環境が人為的に大きく変えられてしまう。しかし、田舎は「高齢化」によって除草もままならなくなった。
繁茂する「チャンチン」(画像13)

チャンチンと聞いても、ピンとこないであろう。ネットで調べると中国原産とある。また、若芽は食料となるとある。これも食料として輸入されたものであろう。
前回「孟宗竹の繁茂」をお伝えしたが、このチャンチンも爆発的に増えている。葉はクルミのような形状で葉の柄は赤っぽい。私の子どものころは近隣の家に大木があったが、今のように爆発的に増えはしなかった。
秋になると「羽の付いた種子」が大量に飛ぶ。この種子はいたるところで発芽し、あっという間に大きくなる。2年で樹高約2mになる。この木の株を根の付近から切り倒しても、脇芽がすぐに出てくる。根を掘り起こさないと駆除できない。孟宗竹と同様、地域一帯に増殖している。
なお、私の子どものころでも、このチャンチンの若芽を食べている人はいなかった。私も食べたことはない。
こんな田舎に移住する人
こんな田舎にも東京からの移住者がいる。2024年、千葉本家(母方、画像14)は、家・田畑を売り払い、関西に移住した。この家を購入して住み着いたのが、東京の人である。
この場所は、北上川の元の船場の近くで、金流川(きんりゅうがわ)との合流点、江戸期は交通の要所だった。余談であるが、前出の奥州藤原時代、この川で砂金が採れ「金流川」と呼ばれたと聞く。話は戻って、交通が陸上輸送に代わり、船場周辺も人がいなくなった。なお、この移住した方は、地元に馴染んで生活しているとのことである(寺の住職談)。

千葉本家について書き添えれば、かつては中門もあり、建物も複数あったと聞く。しかし、昭和の初期に重病人が続出し、売り払ったとのことである。残ったのは、母屋と庭のイチイの樹だけである。
戦中は都会からの疎開者、戦後は外地からの引揚者が集まり、バラック(応急仕立ての建物)をいっぱいつくった。トタン屋根の建物はその名残である。この建物の右約150mには先祖の墓石群がある。没年を見ると1650年頃からであった。
まとめ
田舎は高齢化・人口減少で、集落消滅が近づいている。私の実家のある集落も子どもの数が激減している。「学校もない」「病院もない」「スーパーマーケットもない」、そんな集落に若い人たちが住み着くはずもない。旧花泉町では学校が統合され、小学校・中学校とも各1校になった。旧永井村には、学校は1つもなくなった。学校統合で経費や人件費は浮くであろうが、学校のない地域に若い人は住むはずもない。田舎は廃れるだけである。
ヒトがいなくなれば地域の保全ができなくなる。その結果、耕地は荒れ、害虫が繁殖する。管理されなくなった森林では、「松枯れ」が頻発している。草刈りもおろそかになり、カメムシが大発生した。その駆除に殺虫剤を撒き、同じ環境の生物(トンボやイナゴ)が激減した。まさに悪循環である。
この問題は現在、巷(ちまた)で騒がれている「クマ問題」とも共通する。目先の対策では、問題は解決しない。私は「問題の源である田舎から、根本治療しない限り治らない」と強く思う。
私の故郷も、あと10年もすれば廃墟同然となるであろう。昭和30年代の活気は何であったのだろう。遠い昔の「夢の跡」である。
(了)
<プロフィール>
千葉茂樹(ちば・しげき)
福島自然環境研究室代表。1958年生まれ、岩手県一関市出身、福島県猪苗代町在住。専門は火山地質学。2011年の福島原発事故発生により放射性物質汚染の調査を開始。11年、原子力災害現地対策本部アドバイザー。23年、環境放射能除染学会功労賞。論文などは、京都大学名誉教授吉田英生氏のHPに掲載されている。
原発事故関係の論⽂
磐梯⼭関係の論⽂
ほか、「富士山、可視北端の福島県からの姿」など論文多数。









