高架化から取り残された地上駅・井尻駅
沿線の踏切渋滞の解消を目的として、福岡県と福岡市、西日本鉄道(株)の官民連携で進められた「西鉄天神大牟田線連続立体交差事業」により、2022年8月までに大野城市の下大利駅までの西鉄線路の高架化が完了した。もともと高架化されていた箇所も含めて、これで福岡市の中心市街地である天神から下大利駅までの西鉄線路が、すべて高架化された…と思いきや、実は1駅だけ地上に下りる箇所がある。それが福岡市南区の「井尻駅」だ。
井尻駅だけ高架化されていない理由としては、駅周辺の沿線が住宅地に接しているため、高架化に必要な工事用地の確保が難しいほか、大型工事車両が通行可能な道路がなかったこと、さらに同駅の約600m西側を横切る九州新幹線(博多南線)の高架線をくぐり抜けるかたちで西鉄線路を高架化することが難しかったことで、井尻駅とその周辺線路のみ高架化には至っていない。そのため、井尻駅の両隣である大橋駅(南区)と雑餉隈駅(博多区)は高架駅となっているが、同駅のみ地上駅のままである。なお、福岡市内の西鉄天神大牟田線の駅では、この井尻駅ただ1つが地上駅だ。
さて、前述の連続立体交差事業によって高架化された雑餉隈駅(博多区)、桜並木駅(博多区)、春日原駅(春日市)、白木原駅(大野城市)、下大利駅(大野城市)の5駅では、駅舎が高架駅として刷新されたほか、高架下の空間活用などによる新たな賑わい創出の取り組み、春日原駅では駅直結型商業施設「レイリア春日原」の開業など、高架化を契機とした駅周辺の再整備・再開発などが進んでいる。
一方で、高架化から取り残された地上駅・井尻駅の周辺では、昔ながらの商店街が今なお活気を放っている。井尻駅周辺では、高架駅5駅のような周辺再開発・再整備は行われていないものの、画一化されたキレイな街並みとは違う風情と趣きある街並みが、長い時間をかけて形成され、それが独特のエリアの魅力を放っているようだ。
今回は西鉄井尻駅周辺を中心に、JR笹原駅周辺や西鉄雑餉隈駅周辺なども含めた「井尻&笹原&雑餉隈エリア」を取り上げてみたい。公称町別では、福岡市南区の「井尻(1~5丁目)」、福岡市博多区の「諸岡(1~6丁目)」「三筑(1~2丁目)」「麦野(1~6丁目)」「南八幡町(1~2丁目)」「南本町(1~2丁目)」「銀天町(1~3丁目)」だ。なお、雑餉隈エリアについては過去に、本誌vol.85(25年6月末発刊)で取り上げたことがあるため、今回は井尻&笹原エリアについてとくに重点的に触れていきたい。
旧石器時代から人の営み 溜池も多い田園地帯
井尻&笹原&雑餉隈エリアの歴史については、前述のように過去に雑餉隈エリアとして取り上げたことがあるほか、近隣の竹下・那珂エリアや春日・大野城エリアを取り上げた際にも触れたことがあるが、周辺一帯では約1万年前の旧石器時代から人間の生活が始まっていたとされている。旧石器時代から中世にかけての遺跡である「井尻B遺跡」(井尻1丁目)では、奇跡的に旧石器時代の地層が残り、集落跡や古墳などが発見されたほか、狩猟用の刃物として使用された石器などが出土。また、時代を経るごとに人口が増えて数多くの建物がつくられ、青銅器やガラスをつくる工房が置かれたほか、遺跡の中心付近には寺院も建立されたようだ。
弥生時代になると、我が国最古級の水田稲作遺構として有名な板付遺跡に近い立地もあって、平地全域には水田が広がり、人口や集落が急増。8世紀以降の平安期になると、大陸と日本とを結ぶ貿易拠点都市・博多と、九州における政治の中心地であった遠の朝廷・大宰府を結ぶ中間地に位置していたことで、周辺では土地の争奪戦が繰り広げられ、たびたび領主が変わっていったとされている。そうした傾向は平安期から鎌倉期、室町期、安土桃山期に至るまで続き、このエリアは太宰府天満宮のほか、住吉神社や崇福寺などの博多の寺社、そして戦国大名などの所領としての変遷をたどっていったようだ。
江戸期になると、黒田藩による増産政策の一環として、灌漑用の溜池や用水路などが盛んに造営された。これら溜池などの一部は現在も周辺各地に残っており、水辺を生かした公園などとしても利活用されている。代表的なものを挙げると、蓮葉井尻池(井尻4丁目)や五十川新池(井尻2丁目)、諸岡池(諸岡5丁目)、中尾池(南本町1丁目)などだ。また、筑前博多から太宰府を通って天領・日田に通じる「日田街道」(通称:太宰府往還)では、博多~二日市間の中間に位置する間の宿(あいのしゅく)として「雑餉隈宿」が設置。同街道では太宰府天満宮への参詣客や物流関係者などの行き交いも多く、交通の要衝として賑わっていたという。また、現在も井尻の住宅街に静かに鎮座する「井尻地禄神社」は、その由緒は定かではないが、江戸期にはすでにこの地にあったようだ。
明治期になると、1889(明治22)年4月の町村制施行にともない、上曰佐村、下曰佐村、横手村、井尻村、警弥郷村、五十川村が合併して那珂郡曰佐村が発足。また、那珂村、麦野村、東光寺村、板付村、諸岡村、竹下村および井相田村の字雑餉隈以外が合併して那珂郡那珂村が発足した。さらに96(明治29)年4月には郡の統合により、那珂郡と御笠郡、席田郡が合併し、筑紫郡となった。
駅開業を機に都市化 戦後にさらに発展
そして大正期に入って、エリアに劇的な変化がもたらされることになる。それは、鉄道開通とそれにともなう駅の開業だ。
まず、1889年12月に九州鉄道(初代/後の国鉄および現在のJR鹿児島本線)の博多~千歳川仮停車場(佐賀県鳥栖市)間が開通し、90年1月に雑餉隈駅(現・JR南福岡駅)が開業。1907年7月に鉄道国有法によって九州鉄道が国有化された後は、国有鉄道(国鉄)の雑餉隈駅となっていた。だが、このとき、今回取り上げているエリア内には駅は設置されていない。
そして次に、1924(大正13)年4月に九州鉄道(2代/現在の西鉄天神大牟田線)の福岡~久留米間が開通した。そして、それにともない開業したのが井尻駅と雑餉隈駅だ。この駅開業を契機として駅周辺では商店街の形成が始まり、井尻駅前では井尻商店街が、雑餉隈駅前では銀天町商店街がそれぞれ形成されていったようだ。こうして交通インフラの充実とともに都市化が進行していった一方で、日中・日露戦争や太平洋戦争に向けて、とくに雑餉隈エリアを含めた一帯では、軍需工場群の様相を帯びていったようだ。
終戦後、雑餉隈や周辺の軍需工場は閉鎖されて、米進駐軍によって接収。基地周辺では米軍人相手のバーや土産品店、洋品店などが建ち並び、西鉄沿線などには米軍人向けの数百軒の貸ハウスが建てられたという。その後、極東の緊張が次第に和らいでいくとともに、米軍基地は次第に縮小していった一方で、今度は陸上自衛隊福岡駐屯地や航空自衛隊春日基地などが近隣に設置されていき、雑餉隈エリア周辺には依然として軍事(自衛隊)関連の施設が集積し、軍関係者で街は賑わっていった。さらに、当時は炭鉱町として栄えていた志免町や宇美町からの炭鉱夫なども集まるようになり、雑餉隈エリアは歓楽街としての性格を帯びていくようになる。一部地域では風俗店なども軒を連ねていたことや、日活公楽や筑紫映劇などの映画館も複数店あったことから、雑餉隈が“第二の中洲”と呼ばれていた時代もあったようだ。
一方の井尻エリアでは、戦後の昭和20年代から徐々に発展。駅や商店街の周囲には住宅地が密集し、段階的に発展していきながら、昭和30年代ごろには現在のかたちになっていったとされている。また、周辺に複数の大学などが立地していき、井尻駅自体がバスなどの交通結節点であったことから、次第に学生らが多く集まるようになっていったようだ。これが、現在の井尻エリアにつながっている。駅前に形成されている井尻商店街は、コンパクトながらもさまざまな種類の店舗が集積。古くから続く老舗と、若い経営者が手がける個性的な店舗が並ぶことで幅広い魅力を提供しており、駅から多くの乗降客が行き交うほか、井尻六ツ角方面からの往来も多い。また、駅周辺には「マックスバリュエクスプレス井尻駅前店」や「マルキョウ 井尻店」などの食品スーパーがあるほか、銀行支店や郵便局、コンビニなどもあり、日常的な買い物であればこの一帯だけで事足りるほど、生活利便性が高い。
なおJR笹原駅は、井尻駅や雑餉隈駅と比べると、歴史が新しい駅である。同駅は、1987年3月9日に国鉄の臨時乗降場として開設したのが始まり。同年4月1日から国鉄民営化によってJR九州となったため、国鉄の駅だった期間はわずか23日しかない。なお、民営化の際に、臨時駅から常設駅へと格上げされた。JR笹原駅の周辺は、もともと住宅街だった場所だ。隣駅である竹下駅と南福岡駅との間の営業キロが4.0kmあり、住宅地内の路線としては長かったことから、そのほぼ中間に位置する同所に新駅を設置する計画が立ち上がり、いわば後付けでつくられた駅になる。そのため、駅開業を機とした周辺の開発・発展はとくになく、井尻駅の周辺のように商業機能が充実しているわけでもない。現在も閑静な住宅街の一角にある駅といった印象だ。
西鉄とJRに挟まれアクセス抜群のエリア
現在の井尻&笹原、そして雑餉隈エリアの地域特性を語るうえで、絶対に欠かせないのが鉄道の存在だ。前述したように、このエリアでは西鉄天神大牟田線とJR鹿児島本線の2つの鉄道路線が通っていることで、鉄道駅を起点としてまちが発展してきた。とくに井尻&笹原エリアでは、両駅は約600m・徒歩約8分の距離しか離れていないため、駅勢圏が重なっている。西鉄井尻駅から天神方面へ、JR笹原駅からは博多方面へと、それぞれ短時間でアクセスできる点は、福岡市内の住宅地として大きな強みだ。
なお、西鉄天神大牟田線の25年度1日平均での駅別乗降人員では、井尻駅の乗降人員は2万3,398人で第6位。第5位の春日原駅(2万3,560人)とは僅差だが、春日原駅とは違い同駅には普通列車しか停車していない。普通列車のみの停車駅としては、西鉄天神大牟田線で1位である。ちなみに、雑餉隈駅の乗降人員は1万3,107人の第12位。
また、エリア内には鉄道路線だけでなく、福岡県道31号福岡筑紫野線や筑紫通りなどの幹線道路も通過しているほか、福岡高速道路環状線の板付出入口もあり、車利用での道路アクセスも悪くはない。ただし、エリア内には古くからの街並みが多く、道路も狭隘な箇所が多く存在するため、時間帯によっては激しい交通渋滞が発生。とくに「井尻六ツ角交差点」や「須玖北1丁目交差点」は福岡県内の主要渋滞箇所になっており、車で通過する際に相当な時間を要するケースもある。
“初見殺し”の難所だが、ヒット曲着想の地「井尻六ツ角」
福岡都市圏に住む人々にとって、「井尻」という名前を耳にする機会として多いのは、おそらく「井尻六ツ角」だろう。井尻六ツ角は、主要地方道福岡筑紫野線の四差路(十字)に県道板付牛頸筑紫野線などが斜めに交差する六差路交差点だ。信号の仕組みや右折のタイミングがわかりにくく、赤信号で交差点内に取り残される車が続出するなど、運転手から戸惑いの声が多く上がる“初見殺し”の難所として知られている。また、朝夕は主要地方道福岡筑紫野線において渋滞が発生するなど交通量が多いことから、同交差点における事故の発生件数も多く、(一社)日本損害保険協会が公表している「全国交通事故多発交差点マップ」では、2019年版の福岡県内でのワースト1の箇所とされている。
なお余談だが、井尻六ツ角にかかる歩道橋は、“冬の女王”の異名で知られるシンガーソングライター・広瀬香美氏が福岡女学院高校に通っていた学生時代、歩道橋上で思索にふけりながら、後のヒット曲「愛があれば大丈夫」「ロマンスの神様」の構想を思いついた場所としても知られている。
(つづく)
【坂田憲治】

月刊まちづくりに記事を書きませんか?
福岡のまちに関すること、建設・不動産業界に関すること、再開発に関することなどをテーマにオリジナル記事を執筆いただける方を募集しております。
記事の内容は、インタビュー、エリア紹介、業界の課題、統計情報の分析などです。詳しくは掲載実績をご参照ください。
記事の企画から取材、写真撮影、執筆までできる方を募集しております。また、こちらから内容をオーダーすることもございます。報酬は別途ご相談。
現在、業界に身を置いている方や趣味で建築、土木、設計、再開発に興味がある方なども大歓迎です。
また、業界経験のある方や研究者の方であれば、例えば下記のような記事企画も募集しております。
・よりよい建物をつくるために不要な法令
・まちの景観を美しくするために必要な規制
・芸術と都市開発の歴史
・日本の土木工事の歴史(連載企画)
ご応募いただける場合は、こちらまで。不明点ございましたらお気軽にお問い合わせください。
(返信にお時間いただく可能性がございます)














