2024年12月23日( 月 )

私学の秀峰を目指し人格完成への理想教育を追求

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学校法人 東福岡学園 東福岡高等学校 校長 松原 功

文武両道の男子校

学校法人 東福岡学園 東福岡高等学校 松原 功 校長<

学校法人 東福岡学園 東福岡高等学校 松原 功 校長

 地元では「ヒガシ」の愛称で親しまれている東福岡高等学校。サッカー部やラグビー部の成績などで全国的にも高い知名度を得てきたが、2014年度はさらに注目を集めた。サッカー、ラグビー、そしてバレーボールの各部が全国大会で「7冠」を達成したのだ。また、進学面でも優れた実績を有する同校のOBたちは、大学やプロの世界でも輝かしい活躍を残している。その原点とは何か――。

 博多区東比恵にある東福岡高等学校は、1学年20クラス。募集定員760名に加え、中高一貫の東福岡自彊館中学校からの進学者を加えた生徒数約800人(1学年)を有する私立の全日制・普通科高校である。少子化対策などで全国的にも男女共学化が進む私学高校のなかにあって、男子校としての孤塁を守っている。東福岡は学校法人がすべて男子を対象としている、事実上「県下唯一の男子高校」と言える。

 同校は運動部の活躍がクローズアップされがちだが、「文武両道」を掲げ、進学面でも成果を上げている。14年度入試では、九州大学22名など国公立大学(大学校を含む)に144名が合格。生徒の92%が4年制大学への進学を希望し、そのうち95%が現役合格を果たしている。

 運動部の活躍が華々しいだけに、スポーツ推薦などが数を稼いでいるのではないかというある種の穿った見方があるが、内容を見るとそれは当たらない。たとえば、サッカー日本代表の長友佑都氏は同校を代表するOBの1人だが、進学先の明治大学政治経済学部には指定校推薦で合格している。一定の学力と進学者の実績がともなわなければ指定校推薦枠の維持は難しく、さらに大学の附属高校でない同校にとって、いわゆる「エスカレーター」の梯子はない。もちろん一般受験での合格実績も誇れる内容だ。学力の向上はもちろんのこと、きめ細かで親身な進路指導の充実ぶりがうかがえる。

受け継がれる建学の精神

 1945年11月10日、米軍による空襲で焦土と化した福岡市に誕生した福岡米語義塾が同校・学園の発祥。創立したのは、当時24歳の德野常道氏である。玉音放送のなか、德野青年は「今後の日本の再建は教育の振興によるべきで、青少年の教育が最も重要であり、人格形成を目途として一生を教育に献げよう」と決意。日本の再興を期した私塾としてのスタートであった。

 50年6月には経営基盤の強化を図り、経営母体として㈶九州貿易学園を設立。九州貿易専門学校、福岡米語義塾ともに教師の陣容は優秀であり、また教科内容も独自かつ充実したものであった。しかし、いわゆる各種学校のため就職や大学試験に不利な面は否めず、德野常道氏は54年5月頃から高等学校の設立を思い描くようになる。そして54年11月、学校法人東福岡学園の設立が認可され、第一期生普通科男子200名の募集が開始された。そのときの募集要項には、次の文が明記されている。「本校は全校をあげて、人格形成への理想教育に邁進しつつ高等普通教育の完璧を期すると共に、とくに進学に重点を置き、躾の教育に当る」。まさにこれこそが、現在に受け継がれる建学の精神となる。その後、「文武両道」を掲げる同校の充実・躍進は、施設整備が一段落した75年以降に徐々にその片鱗を見せ始めていった。

 04年6月、創立者の德野常道氏が亡くなったが、同氏は後継の育成を怠ることはなかった。02年4月、理事長に德野光博氏、校長に松原功氏が就任し、いわば「第2の創設期」とも言える改革が始められている。

 同校の教育理念は、「努力に勝る天才なし」「意志あるところに道あり」。創立者・德野常道氏の「不可能を可能にしていく」努力と教育への熱い情熱こそが、その礎となっているのは間違いない。

※記事内容は2015年8月31日時点のもの

<INFORMATION>
学校法人東福岡学園
理事長:德野 光博
高等学校校長:松原 功
中学校校長:吉村 暢泰
所在地:福岡市博多区東比恵2-24-1
創 立:1945年

<プロフィール>
matubara_pr松原 功(まつばら いさお)
2002年4月より、東福岡高等学校校長に就任。

 

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