【熊本地震】M7.3強襲!!記者が体験した被災地の真実(4)
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非常時の生命線
公的機関が支援する『公助』があてにならないなか、『共助』が多くの命をつないでいた。無償で炊き出しを行う飲食店、支援物資を配る地元の企業・団体が続々と現れた。「市からの情報はまったく入ってこない」という不安の声が払拭されるほどに『共助』の和は広がっていたのである。まだ家の中で寝ようという気にはなれないが、余震に対し、「今のは震度3」「いや、2だ」などと、冗談みたく言い合うような雰囲気が生まれていった。車や家に引きこもっていては気が滅入るので、隣近所で食事や酒を持ち寄り、宴会を開いた。物心両面で地域コミュニティーの力が非常時の生命線になることを学んだ。
地震発生後の生活のなかで痛感したのは水の大切さだった。蛇口をひねれば水が出るという当たり前が突然に当たり前ではなくなった。熊本市は混乱し、情報収集がままならぬ状況で、水道の復旧についても上下水道局任せで本庁は把握できていなかった。水道の状況がわからずして応急給水を行う給水車を地域に割り振ることはできないはず。事実、混雑を極める給水地点がある一方で、待ち時間なしの給水地点が見られた。また、6Lの水が入る非常用の給水袋は場所によってはすぐに不足していた。
大西市長が泣きながら市民に我慢を求めたのは、本震発生から3日後の18日朝。その前日(17日)、「あす(18日)に水道が復旧する」との情報が市民の間に流れていた。実際は、水源地の設備を復旧して通水を開始したというだけで、各家庭に水を運ぶ水道管については破損状況がわからず、手つかずの状況。つまり、水道復旧ではなく水道復旧作業開始という段階であった。大地震を立て続けに受けた地中の管がまったく無事であったり、たった2日で破損を修復できたりすることは常識的に考えられないのであるが、期待を煽る誤情報が行政組織から漏れ出たということは混乱の証左。大西市長は、水道復旧への大きな期待を否定したうえで市民の前に出なければならないという状況に置かれて悲鳴をあげた、と推察する。水を渇望する市民の失望を一身に受け止めていたのだろう。
(つづく)
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