経営者となった原点は恩人との出会い 「型枠」に進んだからこそ生まれたRC住宅事業
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(株)崎田工務店
コンクリートに魅せられて
1980年に(株)崎田工務店に入社して、36年目を迎える小林好盛社長。入社当時は型枠工事一本。職人たちは荒っぽい連中ばかりだった。飲んだら癖が悪くなるし、現場で喧嘩を始めるのも日常の風景。今も思い出すのは、そんな飯場での生活だ。「大変な毎日だった」――そう話す小林社長の苦い顔が、当時の様子を物語る。
そんななかでも、原点となっているのは、ある人物との出会いである。
地元宮崎で木造大工の訓練校を卒業し、新天地となるはずだった大阪に向かう汽車のなかで、盲腸炎を発症し、救急車で搬送される。高千穂に帰り、療養することとなった。その後、知り合いの紹介で、黒木武敏会長が働いていた福岡の会社へ入社。しかし、木造大工の会社だと思っていたら、型枠大工だった。まったくわからず、すぐに高千穂へ逃げ帰った。田舎は世間体を気にする。一度都会に出て行った息子を両親は歓迎しなかった。翌日、朝一番のバスに乗せられ、福岡に帰された。再会した黒木会長に連れて行かれたのは、とあるお寺だ。コンクリートでできた見事な五重塔。それを見て、小林社長の気持ちは固まった。「ここで、やってみよう」―それが当時17、18歳だった小林社長の姿だった。
腕を磨き、経営者へ
入職したばかりの頃、過去の経験が生かせず、できないことが多かった。先輩にあごで使われる屈辱も味わった。しかし、それが成長の源である反骨心に火を付けた。「絶対見返してやる」――来る日も来る日も、先輩に叱られながら技術を身に付けていった。
崎田工務店の代表となったのが95年6月。スーパーゼネコンの下請工事を手がけていたが、バブル崩壊後に下請け叩きが始まった。「このままでは長く持たない」――そこで、地場ゼネコンへ受注先を切り替えた。思い切った決断だった。
周囲は今でも言う。「小林社長、あのときよく思い切って方向転換できたね」と。
下請業からの脱却を目指して
元請となっても、大型工事はできない。戸建住宅ならできるかもしれない。型枠工事で培った技術で、建築は可能だ。株主を説得して、住宅事業部を開設。今では、同業者からも声がかかるようになった。
受注が急増しているわけではないが、途切れることなく仕事が入ってくるようになった。ついには完全木造住宅の受注も実現した。木造大工ではなく型枠大工になったから、社長になり、RC住宅を手がけるまでになれた。
今、同社で働くベトナム人研修生3人の姿が、40年前の自分の姿と重なる。田舎から知らないところに出てきて、一生懸命頑張っている。「守りに入らず、攻める」――今も悩んだときには、原点回帰する。【東城 洋平】
<COMPANY INFORMATION>
代 表:小林 好盛
所在地:福岡市西区今宿青木372
設 立:1979年7月
資本金:9,000万円
TEL:092-807-6336
URL:http://www.rc-sakita.com関連記事
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