名門はなぜ破綻に至ったのか(2)~鹿児島の通信工事、三州電通工業
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栄枯盛衰は世の常。経営者の資質が問われる破産事件が起きた。2016年7月、三州電通工業(株)(本社:鹿児島市谷山港、前田直人代表)が40年の歴史に幕を下ろした。こう表現すれば、聞こえはいいが、取引先を中心に関係者は一様に首をかしげている。「なぜ倒産しなければならなかったのか」「耐えられたはず」「裏切られた」。取引業者からは疑問や不満が漏れ聞こえてきた。同年8月に破産開始決定が降りたのだが、一連の破産事件はまだまだ終わりそうにない。
エリア拡大に踏み切るも
創業者の時代は鹿児島を中心に、南九州を営業エリアとし、手堅い経営を行っていた。事業継承した直人氏は通信工事事業の拡大を目指し、次々に支店を開設していった。06年には福岡、11年に大阪、12年に沖縄。東京にも出張所を置き、営業範囲は格段に広がっていった。支店開設とともに、自然と売上高は伸びていく。利益率を維持できれば、利益は拡大するのは当然だ。
しかし、そううまくいかないのが経営である。受注が伸び悩み、08年ごろより利益率が下がり始め、借入が増えていった。支店拡大に伴い、固定費は増加。予想していた収益には、遠く及ばない結果となってしまったのだ。15年7月期の通信工事部門単独の決算書では、7億2,603万円の売上高に対し、705万円の最終利益を計上。過去の蓄積は大きく、純資産は8,584万円。利益率は低下しているものの、黒字は維持していた。この数字だけ見れば、業歴に見合うだけの実績を残していたといえる。
挽回すべく始めた飲食業
拡大したのは本業の通信工事業だけではなかった。目指したのは経営の多角化である。通信工事業の将来に不安を感じていた直人氏は05年より飲食事業を開始している。05年7月に「国分食堂」を出店し、その後も順次フランチャイズで食堂を展開していった。赤字店舗は閉鎖するなどしたが、倒産直前までダイニング事業部では「まいどおおきに東開食堂、吉野食堂、加治木食堂」のほか、「辛麺屋枡元霧島国分店、中山バイパス店」を運営するまでに。
飲食店舗出店は、通信工事の支店を出す以上に、コストがかかる。FCロイヤルティ、駐車場、厨房機器、人件費ともに費用はかさむ。飲食業界での経験があるわけでもなく、飲食事業も思った以上に利益を残してはくれず、赤字事業となってしまった。
飲食業10年目となる、15年7月期のダイニング事業部単独の決算書によれば、1億6,266万円の売上高に対し、431万円の最終赤字を計上。同期末時点で、8,165万円の債務超過状態となっている。本業での利益を食いつぶし、飲食事業が足を引っ張っていたのは間違いない。直人氏の挽回策が実ることはなかった。両事業を合算すれば、同期末時点で、581万円の累積損失を抱える状態となっていた。
以上のような経緯で、負債は膨れ上がり、資金繰りが悪化。金融機関へ支払い猶予や返済条件の変更は行えたが、追加融資を受けられなかったため破産に至ったと直人氏は述べている。ここまでなら、どこにでもありそうな破産案件であった。しかし、取引先が理解に苦しむのは、直人氏のやり方(倒産のさせ方)だった。
(つづく)
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