2024年12月26日( 木 )

「日台交流」新時代の予感・その姿を探る!(前)

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(公財)日本漢字能力検定協会 台湾アドバイザー 山本 幸男 氏

 2016年は「日台交流」新時代を予感させる年であった。5月20日に蔡英文第14代台湾総統が就任、同日、民進党は台北駐日経済文化代表処(在日大使館に相当)の代表(大使)に知日派の謝長廷・元行政院長(首相)の起用を決めた。続いて27日には、対日関係の実務を担当する「台湾日本関係協会」(旧「亜東関係協会」)の会長に、同じく知日派で台湾政界の大物、総理府秘書長(官房長官)経験者である邱義仁が就任した。また同年には、台湾からの来日観光客が初めて400万人を超え、日本からの海外修学旅行先に米国を押さえて台湾がトップになった。
あれから1年が経過した。今後の日台の経済(政治)・文化にはどのような未来が描けるのであろうか。

 (公財)日本漢字能力検定協会 台湾アドバイザー・(財)台湾協会 台湾連絡事務所長の山本幸男氏に聞いた。山本氏は台北市日本工商会・台湾日本人会の総幹事時代(2008年~2014年)に台湾政府に対し「対台湾政府政策提言」(白書)の作成を取りまとめ・提出し、工商会の機能強化に取り組んだ。

北京の語言学院に、企業派遣第1期生として留学

 ――まずは、山本さんと台湾のご縁からお聞かせいただけますか。

 山本幸男氏(以下、山本) 私は1971年に三井物産に入社、主に本店の非鉄金属部門で中国ビジネスを担当しておりました。転機は中国の文化大革命(1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言)が終わった後の78年に訪れます。鄧小平主席によって上海に宝山製鉄を創設するプロジェクトが立ち上がり、新日鉄を中心にオールジャパンで応援することになりました。大変大きなプロジェクトのため、各社人材が払底し、三井物産でも、日中双方で5人、5人の交換留学制度が作られ、私はそのうちの1人として、北京の語言学院に第1期生として留学しました。留学後、1981年に三井物産の広東(広州)事務所のオープニングメンバーとなり、以降中国には広州や北京に計3回、通算15年滞在しました。北京がまだ田舎だったころから、高度経済成長を果たし、大きな発展をとげた2001年頃までの中国を自分の目で見て来たことになります。

工商会、日本人会の節目の年に総幹事に就任した

(公財)日本漢字能力検定協会 台湾アドバイザー 山本 幸男 氏

 2001年に帰国して大阪や東京の関連会社に勤務した後、2008年に三井物産を完全に退職しました。ちょうど、時を同じくして台北市工商会及び台湾日本人会が「専属総幹事」を探していると言う話が飛び込んできました。2008年はちょうど、11年に工商会が40周年、日本人会が50周年を迎えるため、組織強化がうたわれ始めた節目の年だったのです。

 しかも、2008年に就任した馬英九総統(第12代、13代総統、2008年~2016年)からは欧米の商工会議所のように日本の企業も要望をどんどん挙げて欲しいという話もあり、それに工商会も応えようとしていた時期でもありました。在台の欧米の商工会議所は、遡ること90年代頃から白書(要望書)的なものを出していました。

毎年11月に「対台湾政府政策提言」(白書)を提出

 私が正式に着任したのは2009年です。その年から、前年要望書だったものは「対台湾政府政策提言」(白書)に名前を変え、毎年11月に出すことになり、現在でも続いています。前半は日系企業が台湾でビジネスをやって行く上でこういう環境を整えて欲しいというような、マクロ経済の話、後半は個々の業界や個々の企業が抱えている問題点の改善要望が約50項目列記されています。
 翌年の2.3月頃に台湾政府の方から回答を頂きます。実現が叶わないものについては、最低5年連続で要望することもあります。この「白書」と「知的財産権の啓蒙活動」の進捗は任期が1年である工商会理事長の重要な引継ぎ事項となっています。

台湾からの多額な義援金200億円の意味するところ

 ――台湾企業社会について教えていただけますか。日本人ビジネスマンが誤解している点も多いと聞きます。

 山本 台湾の企業社会については、日本人は知っているようで知らない点が多くあります。それは、日本の歴史の教科書に出て来る台湾に関する記述は「1895年に日清戦争が終結、下関の日清講和条約で日本は台湾を清国から譲り受けた」という、わずか2行程度のものだけだからです。1895年から現在に至るまで台湾社会に関してはほとんど知りません。そこで、色々と誤解も生まれます。私は、台湾にやってくる日本企業のビジネスマンの方に次の3点のことを注意して下さいと申し上げています。

 1つ目は、台湾人の高齢な経営者に、安易に「日本語がお上手ですね。どこで勉強されたのですか」という発言は慎んで下さいということです。「太平洋戦争終結まで、自分は日本人であった」と言う経営者も多くいます。

 2つ目は、商談の席や宴席で安易に蒋介石を讃えないで下さい、ということです。台湾において、蒋介石の評価は分かれます。(戒厳令や2.28事件などで蒋介石の責任を追及する人も多い)台湾は現在約2,300万人の人口で、85%が17世紀に渡って来た中国人の子孫(言語は広東語、福建語、客家語など)で、13%が蒋介石と一緒に戦後大陸から渡って来た中国人の子孫(言語は北京語など)で残りの2%が先住民・原住民となっています。

 3つ目は、台湾は日本から2回、1945年(日本の太平洋戦争敗戦)と1972年(日中国交正常化・台湾とは国交断絶)に切り捨てられたと認識している人も結構おられます。また今後将来3回目(中国が台湾統一を言い出した際に日本がその考えを鵜呑みにする)があっては困りますと思っています。
最近は「台湾は中国でない、台湾は台湾だ」とのアイデンティティ意識が強くなっています。東日本大震災の際、台湾からの多額な義援金200億円が日本でも話題になりました。私は個人的には、この義援金の意味は、「日本と台湾は特別な関係なのです」という台湾人の気持ちも表しているのではないかと思っています。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
山本 幸男(やまもと・ゆきお)
1948年 大阪生まれ。1971年 大阪大学経済学部卒業後、三井物産に入社。主に本店非鉄金属部門で中国ビジネスを担当後、1979年に会社派遣で北京語言学院に留学。留学後、中国(広州、北京)に着任3回、通算15年中国滞在。2008年 台北市日本工商会、台湾日本人会の初の専属総幹事に就任。現職として(公財)日本漢字能力検定協会 台湾アドバイザー、(財)台湾協会 台湾連絡事務所長のほか、台日産業技術合作促進会 諮詢委員、台湾大学日本研究中心 外部支援コーディネーター、台日文化経済協会 会員委員会副主任など数多くの役職を兼任。

 
(後)

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