中内ダイエーなくして、福岡がここまで発展することはなかった(17)~中内氏の夢の跡・生まれ変わる地行浜エリア(前)
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ダイエー創業者・中内功氏が、神戸と福岡の2つの都市で手がけてきた複合商業施設の“今”――。次に見ていくのは、ここ福岡市の都市形成に多大な影響をおよぼしつつも、2016年3月末に16年の歴史に幕を下ろした「ホークスタウンモール」だ。
博覧会開催とホークス誘致~地行浜開発の変遷
「福岡タワー」や「福岡ヤフオク!ドーム」「ヒルトン福岡シーホーク」など、福岡のシンボルが集まる市街地西部のウォーターフロント開発地区「シーサイドももち」。天神や博多などの市街地中心部に比べて航空法に基づく高さ制限が緩いため、市内では比較的高層の建物が立ち並ぶエリアとなっており、福岡の副都心としての存在感を示している。
同地はもともと、江戸時代より西の防衛拠点として整備され、荒戸から室見川河口にかけての海岸線には、下級武士の屋敷が軒を連ねていたとされる。1918(大正7)年には百道海水浴場が開設し、50年代半ばごろまでは大勢の海水浴客で賑わう、市民憩いの場であった。
大きな転機が訪れたのは、80年代に入ってからだ。福岡市の市制施行100周年の記念イベントとして89年に開催された「アジア太平洋博覧会」(通称:よかトピア)のために、82年から同地の埋め立てが開始。よかトピアのモニュメントであった福岡タワーを始め、各種パビリオンが建設されるとともに、周辺道路などのインフラ整備も併せて進められ、現在の「シーサイドももち」の原型が誕生していった。その後、盛況のうちに閉幕したよかトピアの跡地は、百道浜エリアと地行浜エリアとに分かれ、住宅地や商業地、公園などへと整備が進められていった。そして、このエリアでのさらなるもう1つの転機が、福岡への多大な貢献の数々で知られるダイエー創業者・中内功氏が行った、大阪本拠地の「南海ホークス」買収によるプロ野球球団「福岡ダイエーホークス」の誕生だ。
ダイエーは、ホークスの福岡移転と同時に、よかトピア跡地の一角である地行浜の埋立地で、大規模な商業施設の開発を行う計画を発表。新たな本拠地として使用する「スポーツドーム」と、屋内遊園地などを有する「アミューズメントドーム」の2つのドームのほか、リゾートホテルを建設するという一大プロジェクトだった。整備が着々と進められ、93年3月に開閉式屋根をもつ多目的ドーム球場「福岡ドーム」が開業。95年には隣接する「シーホークホテル&リゾート」も開業し、一連の商業施設群「ホークスタウン」が誕生した。だが、折しもバブルが崩壊。母体であるダイエーグループも経営上の深刻なダメージを受け、予定されていたもう1つのドーム「アミューズメントドーム」の計画は、事実上の中止に追いやられた。そして代替策として、2000年4月にオープンしたのがショッピングモール「ホークスタウンモール」だった。
しかしその後、ダイエーグループの経営悪化がさらに深刻化し、04年には球団の経営権がソフトバンクへと売却。05年2月に福岡ドームが「福岡Yahoo! Japanドーム」に、同年3月にシーホークホテル&リゾートも「JALリゾートシーホークホテル福岡」へと改称されたほか、同年11月には「ホークスタウンモール」も拡張され、グランドオープンとなった。
その後、15年1月に三菱地所(株)が「ホークスタウンモール」の信託受益権を取得。今後の再生方針を検討した結果、既存施設をすべて取り壊して建て替える再開発計画を打ち出し、その前段階として「ホークスタウンモール」の営業を終了することを発表した。そして16年3月末をもって営業が終了。開業から16年の歴史に幕を下ろした。
(つづく)
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