平成の時代、日本ではイノベーションが起きなかった!(前)
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「平成」が終わる。平成の経済とは何だったのか。一言でいえば、イノベーション(技術革新)が起きなかったということに尽きる。米国ではGAFA(Google、アップル、フェイスブック、アマゾン)が、中国にはBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)が台頭した。日本にはこれらに匹敵するようなIT企業は誕生しなかった。なぜか?
マネーゲームの狂乱で終わったネットバブル
日本にもイノベーションが起きる気運はあった。あのネットバブルの時代だ。
ネットバブルのスーパースターは2人いる。ソフトバンクの孫正義氏と、グットウイル・グループ(GWG)の折口雅博氏である。
1999(平成11)年6月15日、ソフトバンク社長・孫正義氏は米店頭市場「ナスダック」を運営する全米証券業協会(NASD)のフランク・ザーブ会長と共同記者会見をして、ナスダック・ジャパンの設立構想をぶち上げた。ナスダックといえば、マイクロソフト、インテルなど、今をときめくハイテク企業が株式を公開している米国の店頭市場だ。
その日本版をつくるというのがナスダック・ジャパン構想である。ベンチャー企業を育成するために、米国同様、創業から数年の赤字企業でも上場できる新しい市場を創設する、という触れ込みだった。
6月29日、ソフトバンクが開いたベンチャー企業向け説明会に、ナスダック・ジャパン予備軍のベンチャー起業家たち約1,400人が参加した。短期間で株式公開の道が開けることに強い期待を抱く若い参加者たちの熱気に包まれた。
その1週間後の7月7日。引っ越しやイベント準備などの軽作業を請け負うGWGが店頭公開した。日本証券業協会が株式公開基準の規制緩和策として打ち出した「店頭第2号基準」の適用第1号だ。赤字でも新規公開できることが目玉だ。
GWGは98年6月期の最終損益は9,800万円の赤字。赤字だと店頭公開はできないが、公開基準の緩和という新基準を利用して、店頭公開をはたした。
折口氏は異色な経歴の持主だ。陸上自衛隊少年工科学校から防衛大学校に進学。防衛大を卒業して、日商岩井の商社マンとなり、特異な才能を発揮。91年、東京・芝浦の巨大倉庫にディスコ「ジュリアナ東京」をオープン。ジュリ扇と呼ばれる羽根扇子を閃かせる“お立ち台ギャル”で大ブームを巻き起こした。
折口氏は独立してジュリアナ東京の経営者になったが失敗。借金を返済するために、93年、東京・六本木に世界最大級のディスコ「ヴェルファーレ」のオープンをプロデュースした。だが、そこでもオーナーと大喧嘩。95年GWGを立ち上げた。
ネットバブルの狂乱によって、折口氏は一夜にして億万長者になった。その公開益で、3,000万円のランボルギーニ・ディアブロを買い、東京の高級住宅地の田園調布に7億円の豪邸を建てた。ネットバブルの大スターだった。
赤字の新興企業でも株式上場して巨万の富を手に入れることができる。ベンチャー起業家たちは熱狂した。今にして思えば、ネットバブルはマネーゲームの狂乱をもたらしただけで、イノベーションへの志は忘れ去られた。
(つづく)
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