2024年11月24日( 日 )

母校の学びを心に刻み日々歩む~受け継がれる『ヒガシ』の理念(4)

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(学)東福岡学園 理事長 德野 光博 氏
(株)冨士機 代表取締役 藤田 以和彦 氏(東福岡高等学校5期生)
福岡ロジテム(株) 代表取締役社長 小林 専司 氏(同12期生)
(医)勢成会井口野間病院、(医)周友会徳山病院
(一財)高雄病院 副理事長 岡田 勢聿 氏(同21期生)

時代に流されない校風の堅持

 ――ところで岡田副理事長は何期になられますか。

 岡田 私は21期生です。当時15クラスありました。

 小林 岡田さんの時代から、母校は勉学・部活動ともにレベルが上がってきたのではないでしょうか。校風も「バンカラ」であったのが、少し上品になったのではないでしょうか。

 岡田 それでも私の入学当時の先輩は、怖かったですよ。クラス分けのプラカードをもたれた先輩方が、「ここへ並べ!」とおっしゃった時の光景を思い出します。しかし見るからに“ツッパリ”であるような先輩方はほとんどいませんでした。小林社長がおっしゃるように、確かに私たちの時代あたりから、徐々に校風が変わってきたと回想します。

 ――小林社長の原点は「東福岡での学び」でしょうか。

小林 専司 氏
小林 専司 氏

 小林 その通りです。ここが基礎で原点です。その後、大学へ進学し、社会に出て青年会議所でリーダーを務め、中経協((一社)福岡県中小企業経営者協会(連))の会長、そして会社経営、これまでのすべての行動・活動規範は、東福岡で学んだことが基礎です。

 東福岡の3年間は大きな財産です。弊社の社員にも日ごろから伝えております、「汗をかく、苦労をいとわない」これらは人生の糧となります。そのことを教えてくださったのは、まさに東福岡の先生方と先輩・後輩そして同期の仲間です。

 ――德野理事長におかれましては、先代・德野常道先生の教育者としてまた学校経営者としての姿を幼少のころから間近でご覧になってこられました。2002(平成14)年4月に理事長に就任されてから現在に至りますが、德野常道先生から経営を引き継がれるまでの間、どのようなご心境であったのかお聞かせください。

德野 光博 氏
德野 光博 氏

 德野 私は、一教員として東福岡高等学校に着任しました。23~25期生の時期からです。まずは教師として一人前になることに必死でした。とにかく一所懸命に生徒と向き合いながら、教材研究に励んでいました。

 初めて卒業生を送り出し、3年1回りが経過したところで、当時の学年部長の先生に、「ここまでは誰もができること。これからが教師として真価が問われる時期である。つまりこれから本人がどのように成長していくのかを、周囲から見られ評価される時期になる」とのアドバイスを受け改めて心を引き締め、これからをどのように過ごすかが大切であることを痛感しました。一人前になるなどまだまだ先であると。

 ――そしてOBお三方が過ごされたそれぞれの時代から世相の移り変わりとともに、校風や生徒さんの気質も変遷してきていることがわかりました。学園の成長のきっかけの1つは、1993(平成5)年8月の第75回全国高等学校野球選手権大会の出場になりますか。

 德野 部活動においては、その時期ですね。それ以前にも79(昭和54)年12月第58回全国高校サッカー選手権大会初出場、84(昭和59)年12月に第64回全国高校ラグビーフットボール大会初出場、とそれぞれ初めて全国の舞台を踏んだこともきっかけとなりました。

 一方で、89(平成元)年は中学卒業者数が福岡県でピークに達した時期で、生徒の学力が向上してきました。23期生前後は、九州大学に2年に一度1〜2名合格するという時代でした。德野常道は、平成期に入り「国公立大学の合格者を100名以上にしよう」と具体的な目標を掲げました。その当時は国公立大学の合格者は30〜40名に増えていましたが、さらに高い数値目標を立てて一丸となって取り組んだ結果、数年で100名に到達しました。

 近年は九州大学への合格者は25名前後で、今期は全国の私立高校のなかで4番目に多い合格者を輩出しています。また京都大学3名、筑波大学2名、一橋大学、東京工業大学、大阪大学などへの合格者が誕生しました。多くが現役です。旧帝国大学への合格者が30名を超えてきたので相応の力量がついてきたと実感しています。当面は九州大学30名の合格者を輩出することが目標です。

 小林 国内の大学もさることながら、ぜひともアメリカ合衆国のアイビーリーグのハーバード大学、スタンフォード大学などへの進学者も視野に入れていただきたいです。これらアイビーリーグへのアジア各国からの進学者の内訳は中国50%、韓国25%、日本はわずか3%というのが現実です。もっと日本の若者が世界有数の大学へ進学してもらいたいですし、その人材を東福岡から出してほしいですね。

 德野 海外は別としてこれまでは、福岡・九州を出て関東地方・近畿地方の大学に多数進学しておりました。

 しかし、昨今の少子化の課題が高等学校にも表れてきております。つまり地元から離れない傾向が増えてきているのは事実です。本学園の教員採用は全国に向けて公募し、福岡県だけでなく全国の大学出身者が多く在籍しています。そうした教員は外の世界について生徒に話してくれている。それによって地元以外に出ることにも興味をもつようになっています。また卒業生のなかには海外で活躍する人材も増えてきています。

 藤田 東京や大阪など大都市、そして世界各国への距離・時間とも短くなってきております。東福岡のOBにおいてはサッカー選手などが全国、世界レベルに挑戦しております。しかしそれはあくまでも一握りのOBです。これから後輩たちは、もっと個々の力量を積み上げて強くなっていくことが必要になるのではないでしょうか。

 德野 そうですね。ラグビー部のOBには、ゼロから単身でニュージーランドに渡り、その地で代表となって日本に凱旋する目標を立て実行している意欲的な卒業生も出てきています。

(つづく)
【文・構成:河原 清明】

<COMPANY INFORMATION>
(学)東福岡学園
東福岡高等学校
理事長:德野 光博
学校長:松原 功
所在地:福岡市博多区東比恵2-24-1
URL:http://www.higashifukuoka.ed.jp

<プロフィール>
德野 光博 氏德野 光博(とくの・みつひろ)

 1953年福岡県生まれ。県立修猷館高等学校卒業。早稲田大学社会科学部卒業、福岡大学大学院法学研究科前期課程修了。78年4月に東福岡学園 東福岡高等学校入職。2002年4月より学園理事長。17年11月藍綬褒章。趣味はスポーツなどの試合観戦。

<プロフィール>
藤田 以和彦 氏藤田 以和彦(ふじた・いわひこ

 1943年、福岡県生まれ。東福岡高等学校5期生。福岡大学中退、実父経営の鉄工所に入社。69年9月に事業を継承。72年9月に(株)富士機鉄工(現・(株)冨士機)を設立し、代表取締役に就任。グループ会社の(株)セントラル商工の代表を兼務。趣味は登山。

<プロフィール>
小林 専司(こばやし・せんじ)

小林 専司 氏  東福岡高等学校12期生。中央大学卒。2005年10月福岡ロジテム(株)を設立、代表取締役社長就任。会社経営とともに、ボランティア活動にも精力的に参加。福岡県中小企業経営者協会(連)会長。

<プロフィール>
岡田 勢聿 氏 岡田 勢聿(おかだ・せいいち)

 1960年福岡市生まれ。東福岡高等学校21期生。福岡大学商学部卒業。麻生商事(株)入社。退職後、専門学校川崎リハビリテーション学院作業療法科入学。卒業後、社会医療法人財団 白十字会で作業療法部主任を歴任後退職し、発達障害児施設知徳学園を福岡市で開設し園長を務める。その後、NPO法人理事長を経て、現在は(医)勢成会井口野間病院、(医)周友会徳山病院、(一社)高雄病院の副理事長を務める。また、九州大学医学部第一内科教室でリエゾン精神医学を専門習得生として研究中。

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