「私学の秀峰になる」という創立者の思い 74年の時の流れの中でしっかり実を結ぶ
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「敵性外国語が将来の日本に必要だ」
東福岡学園・高校の創立者、徳野常道氏は1921(大正10)年、福岡県直方市に生まれた。常道氏は長じて長崎高等商業学校、現在の長崎大学経済学部に入学。ところが当時は太平洋戦争が前年に始まり戦局が激化していた頃で、学徒動員で久留米西部隊に入営することになった。そして迎えた終戦。「日本再建は教育によるべき。これからは一生を教育に献げる」と決意し、戦時中は敵性外国語とされた英語が将来の日本に必要だとして英語の学校を始めた。それが同学園・同高校のルーツとなっている「福岡米語義塾」である。
福岡米語義塾の設立は1945(昭和20)年11月。同年8月15日正午に玉音放送が流れてまだ世の中が大混乱しているなかでのことだった。そして、翌12月には400名の生徒を集め開校に漕ぎ着けた。目を見張るのは当時の教師陣だ。後に九州産業大学理事長を務めた中村治四郎氏、同じく福岡女子大学教授となる福間欣一氏、同じく横浜市立大学教授となる山本卯一氏ら、錚々たる面々が顔をそろえた。
これらが焼け野原の福岡市で実現したのである。常道氏に特別のコネがあったわけではない。教室はたまたま出会った雑貨店主の紹介で、あとの福岡文化学園理事長となる永末光雄氏と知己を得て、焼け残った洋裁学校の4教室を賃借。中村治四郎氏とは、所要で出かけていた県庁で知り合い、それを縁に次々と輪が広がっていった。
そこにはもちろん常道氏の青少年教育にかける人並み以上の情熱、そして誠実な人柄があった。終戦からわずか3カ月後、4教室を備え優れた教師陣をそろえた学校を開校できたのも、常道氏の思いに人々の心が激しく揺さぶられたからであった。
生徒の就職・進学面を考慮し学校法人へ
1950(昭和25)年には、経営基盤を強化するため九州貿易学園を設立。翌年には筥崎宮の敷地を一部買い取り、1953(昭和28)年3月、ついに自前の校舎を建設している。
しかし、福岡米語義塾も九州貿易学園も各種学校の扱いだったため、生徒の就職や大学受験には苦戦を強いられることが多かった。そこで常道氏は高校をつくろうと構想。1954(昭和29)年11月、学校法人東福岡学園設立が認可され、第1期生普通科男子200名を募集開始した。
募集要項には「本校は全校をあげて、人格形成への理想教育に邁進しつつ高等普通教育の完璧を期するとともに、とくに進学に重点を置き、躾の教育にあたる」と明記した。これこそ今につながる建学の精神であった。時に常道氏33歳。県下では最も若い理事長であり校長だった。
こうして1955(昭和30)年4月、247名の第1期生を迎え開校。入学式で常道氏は「私学の秀峰になる」と述べ、名門進学校を目指してその一歩を踏み出した。そして6年後には念願の九州大学合格者第1号が生まれている。
開校以来、生徒数も伸び、学校運営も安定を見せるようになった。ところが、それにともない校舎が手狭になってきた。そこで、鉄筋校舎への建替えが進められる。そんな時だった。東比恵にあった福岡市立福岡商業高校が移転するため、その跡を買い取らないかという提案がもたらされた。これは学校発展の好機だと捉え、常道氏以下、学園理事は購入を決意する。資金のメドも何とか立ち福岡市議会の承認も得て、1964(昭和39)年、校舎を現在地に移転。同年7月、新天地で授業を始めた。
徳野光博氏を後継理事長に迎え新たな船出
1970(昭和45)年からは「施設充実第一次5カ年計画」を打ち立て、図書館や新館、食堂、柔剣道場の整備に着手。学習環境の向上を図った。こうして建学の精神に基づく、文武両道の進学校を目指した学校運営は順調に推移し、1975(昭和50)年には東福岡学園創立30周年、東福岡高校創立20周年の記念式典を開催した。
そうしたなか、学校が掲げた文武両道は成果を見せ始める。サッカー部、ラグビー部、野球部などが全国大会で著しい結果を出し、進学面では九州大学合格者が毎年、コンスタントに誕生。1987(昭和62)年には大学合格者総数が1,563名に上り、1998(平成10)年には初めて、しかも現役での東京大学合格者を輩出した。
常道氏の教育にかける情熱はこのようにしてヒガシの名を文武両面で全国区に押し上げたが、一方で世代交代を見据えた後継者育成にも向けられていた。2002(平成14)年、理事長に常道氏の長男である光博氏、校長に松原功氏が就任。新体制のもとで東福岡学園・東福岡高校は新たな船出を迎えたのである。
その1つの象徴が校舎の建替えだろう。1964(昭和39)年に建築した校舎は老朽化が進み、耐震性にも問題があった。そこで2007(平成19)年、学園創立65周年・高校創立55周年記念事業として新校舎建設に着手。それまで北東に向けて中庭を抱えるように逆「コ」の字形を描いていた校舎配置を真逆の南西に庭を設ける「コ」の字形に変更した。また、グラウンドを全面人工芝に整備したほか、環境に配慮した先端装置、ICTを活用した教室などを導入。2010(平成22)年、デザイン性あふれる新校舎がついに完成した。
この環境の向上により運動部はさらに躍進。2014(平成26)年にはラグビーフットボール部が3冠、バレーボール部が3冠、サッカー部が1冠の全国大会団体競技7冠を達成している。進学面では2015(平成27)年、大学合格者が総数1,581名を数え、2019(平成31)年には総数1,702名という華々しい結果を出した。
そしてオリンピックイヤーとなる2020(令和2)年、東福岡学園・東福岡高校は75周年を迎える。
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