日本最大のミュージカル集団に育てた創業者 劇団四季に賭けた浅利慶太氏の人生(4)
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ジャーナリスト 元木 昌彦 氏
突然の引退宣言
浅利さんが劇団四季を突然退社したのは2014年6月だった。週刊新潮(7月3日号)によれば、劇団員を前に浅利さんがこういい出したという。「今年は劇団創立60周年。僕も81歳になった。医師からも、無理をしないで欲しいと言われている。今日は、僕が劇団トップとしてする、最後の話になると思う」。そして、みんなにボーナスをあげたいといったそうだ。財源は37億円。それを大盤振る舞いするというのである。
慶応大学時代からの友人である音楽評論家の安倍寧さんがこう話している。「彼は、軽度のアルツハイマー型認知症。正確にいえば、認知障害です」。そこで安倍さんは浅利さんの妻で劇団員である野村玲子さんに相談した後、親友に“引退勧告”をする決意を固めたというのである。にわかには信じられなかった。四季発祥の地の参宮橋に移り、浅利さんが立ち上げた「浅利演出事務所」を私が訪ねたのは2015年11月22日だった。稽古を浅利さんが観てほしいといっていると秘書の女性から連絡があったのだ。
久しぶりに訪ねた参宮橋の事務所は、昔とそれほど変わっていなかった。2階の稽古場には浅利さんと奥さんの野村玲子さんがいた。浅利さんは劇団員たちに、はっきりした声で演技指導をしていた。私のほかには早稲田の学生たちが10数人、多分演劇部なのだろう、いただけだった。私は稽古が終わるまで、うしろに立って、浅利さんのことを見つめていた。声の調子や動きは、歳を感じさせず、私は少し安心した。忙しさに取り紛れて、ここ2、3年会っていなかった。久しぶりに浅利さんと話ができると、うきうきした気持ちでいた。
稽古が一段落して、早稲田の学生たちが浅利さんの周りを取り囲んで質問をし、丁寧に答えているように見えた。浅利さんがその囲みのなかから抜け出して下に降りて行った。トイレか何かだろう。私も下に降りて、浅利さんの出て来るのを待った。
浅利さんが出てきて私の方を見た。「浅利さん、ご無沙汰しています」と声をかけた。
「ようよう、久しぶりだな」と笑顔でいってくれると思った。だが、不思議そうな顔をして私を眺めて、「どちらさまですか?今日は取材ですか?」というではないか。茫然自失とは、このことをいうのであろう。親が認知症にかかり、子どもが会いに行っても、「どちらさまですか?」といわれたという話をよく聞く。私の両親は、認知症にならずに亡くなったから、そういった“悲哀”は知らずにきたが、浅利さんにいわれるとは……。
浅利さんは、そのまま2階に上がっていってしまった。残された私は、そこに立ったまま、しばらく動けなかった。あれほど頭脳明晰で、記憶力も抜群の人でも、認知症になるという現実に打ちのめされてしまった。あとで聞くと、完全な認知ではなく、まだらのようだという。中には「もう一度行けば、わかってくれるよ」という者もいたが、私にその勇気はなかった。
浅利事務所から、公演をやるたびに招待をいただく。何度か出かけたが、車いすに座って入り口にいる浅利さんのところへは近づけなかった。離れた所から見る浅利さんのにこやかな笑顔は往時と変わらない。そばに行けば、「元木君、久しぶりだな」といってくれるかもしれない。そう思いながら、そこをそっと離れた。
浅利さんがいた時代を忘れることはできない
悪性リンパ腫で浅利さんが亡くなったのは2018年7月13日。四季の創立記念日で、浅利さんの好きだったパリ祭(フランス革命記念日)の1日前だった。
先日、12月に上演する浅利慶太追悼公演『思い出を売る男』の招待状が届いた。1951年に発表された戯曲で、浅利さんの師、加藤道夫の作である。戦後の荒廃した日本には多くの焼け跡が残り、いたるところに傷痍軍人の姿が見られた。主人公の思い出を売る男は、オルゴールを鳴らしサクソフォンを吹きながら、美しい音楽で幸福だったころを思い出してもらおうとするメルヘンである。「大切な思い出こそが人生だ」「思い出は狩りの角笛」。
浅利さんは、この劇には「人生はすばらしい、生きていて良かった、そして平和を願う『志』と『理想』が込められている」といっていた。「自分が生きていた時代を忘れてはいけない。それをじっくり考えることです」ともいっていた。混迷する現代という時代をどう生きたらいいのか。『思い出を売る男』を観て、今一度考えてみようと思っている。
(了)
<プロフィール>
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)などがある。関連キーワード
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