「新型コロナ」後の世界~大学の本来あるべき姿を考察する!(6)
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東京大学大学院情報学環 教授 吉見 俊哉 氏
新型コロナウイルスは「世界の軌道」を止めた。私たちは今避難を余儀なくされ、物質的な考えを止めさせられ、自分が生きることだけを考えている。そして、このことは、これまで私たちが地球に行ってきた環境破壊がもたらした大洪水、ハリケーン、竜巻、海洋汚染、氷山崩壊などと同じで、貪欲な資源獲得の争いや終わりのない戦争の結果であることに気づき始めている。
一方で、世界が一度止まったことで、私たちは自分の人生で大切なものは何かを考える時間ができた。今後、大学はどのような役割をはたしていくべきなのだろうか。東京大学大学院情報学環・教授の吉見俊哉氏に聞いた。ちょうど新型コロナ騒動直前の1月末に吉見教授がオックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏と共著で出版した『大学はもう死んでいる?』(集英社新書)が今注目を集めている。それは、同書がまるで世界が一度止まることを予期していたかのように、日本はのみならず世界中の大学が抱える根本的な問題をあぶり出しているからに他ならない。
日本の大学数は、1945年と比較すると16倍以上に増加
吉見 「大学設置基準の大綱化」「大学院の重点化」「国立大学の法人化」の3つの改革に加えて、「新自由主義的な規制緩和」の影響がもっともはっきり現れたのは、「大学の増加」です。
1945年には50校に満たなかった日本の大学数は現在、800校近くになっています。90年前後の時点で、18歳人口は以後、下降線をたどることがわかっていたにもかかわらず、新自由主義的な規制緩和のなかで、大学は当時の約500校から約300校近く増えて約800にまで増加しました。まさに「バブル」と言えます。
多くの大学にとって、定員を満たすため志願者獲得が死活的な課題となり、「志願者マーケティング」に力を入れることになった大学は、サービス産業化しました。そのことをもっとも象徴する出来事は「学部名称のカンブリア紀的大爆発」です。90年の時点では100に満たなかった学部の名称は、2000年時点で235、10年時点で435、現在では500以上あります。これは「大学の商品化」以外の何物でもありません。しかし、どんなにかっこいい名称をつけて学生を集めても、教育の質がよくなることはなく、結果的に日本の「大学丸」は沈んでいきました。
世界の大学はリベラルアーツと大学院の機能をもつ
――「そもそも、規制緩和される以前から日本の大学は問題点を抱えていて、すでに『ある種の複雑骨折』をしていた」とはどういう意味でしようか。
吉見 この問題の重要なキーワードは、「カレッジ」(リベラルアーツ)、「ファカルティ」(学部)、「ユニバーシティ」という3つです。オックスフォード大学は、見事にこの3元的な構造を組み合わせていますが、日本のみならず、世界のトップクラスの大学では必ずしも、この構造が明確になっているわけではありません。
しかし、大学は、本来ならばこの3元的な構造で構成されているべきです。ちなみに、現在の日本の大学には、「ファカルティ」(学部)の機能は強力ですが、「カレッジ」(リベラルアーツ)の機能が弱く、「ユニバーシティ」の機能も、大きな大学ではほとんど弱体化しています。現在、世界の大学の主流は「カレッジ」と「グラジュエートスクール」(大学院)をあわせて「ユニバーシティ」を構成しているため、日本の大学ではカレッジの機能が非常に弱いことは、世界的に見て大きな弱点です。
日本の大学は、なぜ「カレッジ」や「ユニバーシティ」の機能が弱いのでしょうか。それは、歴史的に何度か「ボタンの掛け違い」をしてしまったことが原因です。
高レベルのリベラルアーツを学んでいた旧制高校
吉見 1945年の第二次世界大戦の終戦当時、日本の大学は東大、京大などの旧帝国大学を中心に50校未満でした。旧帝国大学は今でいう大学院に近く、一高、三高などの旧制高校が、今でいう大学の前期課程(以前の教養課程)、すなわち「カレッジ」の役割をはたしていました。そこでは、世界的に見ても高いレベルの「リベラルアーツ」を学んでいました。「リベラルアーツ」とは、ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流をもち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、「人が持つ必要がある技芸の基本」と見なされた自由七科のことです。具体的には文法学、修辞学、論理学、代数学、幾何学、天文学、音楽の7分野です。
日本の戦前の高等教育は旧制高校と旧帝国大学で成り立っており、このうち「カレッジ」としての役割をもっていた旧制高校では、高度なリベラルアーツ教育が行われていました。その点では、日本の高等教育は「カレッジ」と「グラジュエートスクール」(旧帝国大学)とで「ユニバーシティ」を構成していた戦前のほうが、よほど世界標準だったのです。加えて、旧制高校と新制高校、旧制中学と新制中学はまったく違うものです。旧制高校は、今でいえば大学の学部課程に近く、旧制中学がむしろ今でいう高校に当たります。戦後の占領期に行われた改革のなかで、教育課程が1段階、ずれてしまったのです。
なかでも問題だったのは、進駐軍(GHQ)がきて教育改革を行った時に、それまで「カレッジ」に一番近く、「リベラルアーツ」の教育を行っていた旧制高校を廃止してしまったことです。その結果、日本には「リベラルアーツ」を本格的に学ぶ高等教育がなくなってしまいました。これが最初の大きなボタンの掛け違いです。さらに、「日本の大学にはリベラルアーツ教育がない」と考えたGHQはその後、アメリカで行われていた「一般教育」(ジェネラルエデュケーション)を新制国立大学の前期課程(教養課程)のなかに入れました。このとき、東大では、旧制一高を前期課程である教養課程(駒場)に取り込んでいます。
(つづく)
【金木 亮憲】
<プロフィール>
吉見 俊哉(よしみ・しゅんや)
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授 兼 東京大学出版会理事長。同大学副学長、大学総合研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割をはたす。
2017年9月~18年6月まで米国ハーバード大学客員教授。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出書房新社)、『博覧会の政治学』(講談社)、『親米と反米』(岩波書店)、『ポスト戦後社会』(岩波書店)、『夢の原子力』(ちくま新書)、『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)、『大予言「歴史の尺度」が示す未来』(集英社新書)、『トランプのアメリカに住む』(岩波新書)、『大学はもう死んでいる?』(集英社新書)など多数。関連記事
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