2024年12月23日( 月 )

【縄文道通信第46号】縄文語から大和言葉への系譜―ノーム・チョムスキーの言語学から―今も息づいている未来に活かせる道(前)

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(一社)縄文道研究所

 NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
 今回は第46号の記事を紹介。

縄文語は存在していた

 新約聖書の「ヨハネによる福音書」の第1節に、有名な聖句がある。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神とともにあった」という世界中の人々によく知られている聖句である。宇宙の創造論から、言葉を神とともに捉えた認識である。

 世界でもっとも著名な言語学者であるノーム・チョムスキー博士の言語論では、最初に以下の言葉が登場する。

 (1)すべての人類は母親の胎内で母親の言語を聞いている
 (2)生まれたら「オギャー」と母親の抑揚の言葉で泣く。日本人は日本語の、フランス人はフランス語の、アメリカ人はアメリカ人の抑揚の泣き声だ。世界には多くの言語があるが、どの言語でも同じ現象が生じる
 (3)生後1年が経つと、母語の音声システムを身に着けるようになる。

 チョムスキー博士は、上記は約700万年前からの人類の進化の過程であり、世界のいずれの地域であっても共通する言語獲得の現象であると学問的に論じている。また、チョムスキー博士は、言語は人間のみが獲得できたものだ、とも論じている。

 新約聖書の「初めに言があった」という聖句と、チョムスキー博士の言語獲得説から、世界最古の文化である縄文文化と、「縄文語」に触れてみたい。

 まず、前提条件となる認識であるが、「縄文語は存在していたのか」という命題に対する答えは「存在していた」であると考える。考古学者、民俗学者、歴史学者、言語学者による日本語の文字文化の変遷の大筋をまとめると、以下の通りである。

文字文化形成前

 旧石器時代(約4万年前~)、縄文時代(約14,000年前~)

文字文化への萌芽

 神武天皇即位(紀元前660年)以降、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代へと受け継がれ、平安時代の古事記(712年に刊行)、日本書紀をもって完成。

(つづく)

<参考資料>
『新約聖書』「ヨハネによる福音書」第1節
『チョムスキー言語学講義』(ノーム・チョムスキー 著)
『列島創世期』(松本 武彦 著)
『日本語の発見』(小泉 保 著)
『縄文文化が日本人の未来を拓く』(小林 達雄 著)
『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』(関 裕二 著)


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(後)

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