【縄文道通信第60号】縄文道―感性知~縄文道―武士道―未来道(前)
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(一社)縄文道研究所
Net-IB Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
今回は第60号の記事を紹介。縄文道は感性知である
30年前に西豪州のパースから一時帰国の折り、人間国宝で世界的な陶芸家・島岡達三氏を笠間の窯元にアポイントメントなしで訪問して、人間国宝の対象となった「縄文象嵌」をお土産にいただいた話を、縄文道通信でも紹介した。
島岡達三氏と意気投合し、約2時間にわたって世界の陶芸事情を語らったことを、友人の当時読売新聞文化部長に話したところ、「よみうり寸評」で紹介してくれた。彼はこの寸評で「紹介なしでいきなり押しかけたと聞いて驚いたが、迎え入れた大きさにも感じ入った」と評してくれた。
ブリュッセルに駐在時代、何度も訪れたロンドンの世界最高の陶磁器美術館、ビクトリア・アルバート美術館に浜田庄司、バーナード・リーチと島岡達三の作品は、日本を代表する陶芸家として常設展で展示されている。
偉大な陶芸家を訪れた前日、上野の国立博物館で岡本太郎画伯が絶賛した縄文の火炎土器を含む、数々の縄文土器と土偶に出会い、日本の芸術の神髄に触れて興奮が冷めないときでもあった。
人類の文明史を考えるときの尺度は土器が基準になる。理由は石器の時代から、土を採掘、成型、加工し、装飾も考えて、最終的に火を使い立体的な作品をつくる工程が人間の知識と知恵を結集しないとできないからだ。
岡本太郎は戦前、長らくパリに滞在し、ピカソを超えたいという野心をもって抽象画の制作に取り組みながら文化人類学も勉強していた。とくにアフリカの人々が製作した土器、木工作品に強い関心をもち、彼らの凄いエネルギーと奇抜な創造力に関心を寄せていた。
戦後、日本に帰国して日本の芸術作品にある意味で失望(エネルギー、パワー、ダイナミズムの欠落、)していたときに、まさに上野の国立博物館で縄文土器に出会い、縄文土器の放つ独特なエネルギー、パワーに圧倒され、大変な衝撃を受けたのだ。岡本太郎はこの出会い以降、日本の北海道から沖縄まで縄文人の足跡を追い、自らさまざまな迫力のある抽象画、彫刻作品を生み出すとともに多くの芸術論を著した。「日本の伝統」「伝統との対決」など筆者も影響を受けたが、彼の芸術論は広く注目された。大阪万博の「太陽の塔」は、彼の軌跡の結実作品となった。
縄文土器、土偶はエネルギー、パワー、独自性に優れた形象芸術作品である。この作品を源流として日本の芸術は進化、発展したと思う。
なぜか、現代のアニメーション芸術の源流が縄文時代にあることを、縄文道通信55号でも述べた。土器、炻器(せっき)、陶器、磁器は立体構造だが、表面に点と線を駆使して絵を描き、立体的特徴から彫刻作品にも発展してゆく。
現在も発掘されている縄文時代の岩石に刻まれた線刻、日本で進化した仮名文字、絵画としては平安時代の鳥獣戯画、多くの絵巻物、水墨画、浮世絵が、明治以降名称として日本画として確立してゆく。
(つづく)
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