2024年11月22日( 金 )

【縄文道通信第61号】縄文道―融合知~縄文道―武士道―未来道

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(一社)縄文道研究所

 Net-IB Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
 今回は第61号の記事を紹介。

縄文道は融合知

 日本史では、聖徳太子が17条の憲法で「和」の概念を、正式に成文化したかたちで伝えた。和を貴ぶ文化はその後も継承された。現在も、「和」を貴ぶことがとくに諸外国の文化と比べて際立っていることから、日本文化の代名詞として内外でも受け入れられていると思う。

 「和風」という言葉は衣食住全般における日本風を表すほどだから、「和」は日本文化の象徴といってもよい。

 聖徳太子が17条の憲法を制定したのは604年である。このころは、地方豪族間の対立、蘇我氏、物部氏の仏教をめぐっての対立、隣の大国、隋との関係など、国内外の難問に直面していた。したがって聖徳太子は、国の融和を図り、政治的に豪族を治めるため、国家としての憲法17条を制定した。日本史上初めての政治的指針を示したリーダーでもあった。

 聖徳太子は、実力を基に官位に登用する冠位十二階制度、さらに先進国である隋への遣隋使派遣を進め、国家として仏教を取り入れて法隆寺を建立し、天皇記や国記など史書の編纂に取り組み完成させた。その業績から、聖徳太子は日本史上、特筆されるリーダーでもあった。

 17条の憲法は、国連のSDG'sの17条と項目は同じだ。「一に曰く、和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ」で始まる。以下が要旨である。

和を尊び、人にさからいそむくことがないようにせよ。
仏教を大いに尊重せよ。
天皇のお言葉には必ず謹んで従いなさい。
役人は人の守るべき道をすべての根本とせよ。
私利私欲を捨て、公平な裁判をせよ。
悪を懲らしめ、善をすすめよ。
人は各自の任務をはたしなさい。
役人は朝早く仕事に出て、遅く帰りなさい。
すべてのことに嘘、偽りのない真心を根本とせよ。
考え方の違いで人を怒ってならない。
功績があれば賞を、罪を犯したら罰を、正しく与えよ。
地方官は人民から税をむさぼり取ってはいけない。
役人は各自の職務の内容を良く心得なさい。
役人は他人を羨み、妬んではならない。
私心を捨て公の立場に立つことが、君主に仕えるものの務めだ。
人民を使って物事をさせるのは、忙しくない時を選びなさい。
大切なことはみんなと良く議論して進めなさい。

 

日本人の和の精神

 17条の憲法の全条項は、現在も通用する普遍性をもっている。この日本人の和の精神の起源はどこにあるのか。筆者は縄文時代晩期以降、約1000年近く、大陸や朝鮮半島から訪れた多くの渡来人―弥生人との混血化、定着化を促し融合化する包含力が日本列島にあったからだという仮説を立てている。すなわち弥生人が到来する前に、すでに約1万4,000年にわたって日本列島で平和で安定した定住生活を営んできた縄文人は渡来人を戦って退けるのではなく、融合の選択をしたのではないか。

 先進的な稲作技術、青銅器、鉄器や土器の製法、さまざまな技術を取り入れながら吸収して、日本の風土に合うものは選択して「日本化」していったのは、まさに融合できる基本的な素地(縄文文化の完成)ができていたからだろう。

 弥生時代(約600~700年)と古墳時代(約300年)の間に大陸と朝鮮半島から多くの渡来人が日本列島にきて、大和朝廷を含めてさまざまなレベルでの交流があったことは、多くの遺跡、遺物、歴史的文献からも読み取れる。

 大和朝廷の最後のころである589年に、中国では300年ぶりに王朝が変わり、隋国が誕生した。このころ、皇族のなかから厩戸皇子、聖徳太子が現れたのだ。強国である隋国の動きを見ながら、大和の国の内政を強固な基盤にする必要性を感じて、憲法、官位制定など次々と政策を打ち出した手腕は天才といってもよい。一度に10人の訴えを聞くことができるほど聡明なリーダーであったとの伝説も残されている。

 融和の精神、すなわち和の文化の基礎を形成したのは飛鳥時代の聖徳太子であることは間違いないだろう。また、形成された「和風」という文化も、現代に脈々と通じている。

これからは和洋折衷の時代

 明治以降、西洋文明を取り入れた日本の様式を和洋折衷という。飛鳥時代から考えると「和洋中折衷」であり、日本は地政学的にも一貫して東洋と西洋の文化、文明を折衷して融合してきたのだ。

 現在はAI(人口知能)の時代に入り、人間はAI、ロボットにますます代替され多くの職業が失われるとの警告もある。日本の人口知能学者として著名な三宅陽一郎博士は、『人工知能のための哲学塾 東洋哲学編』にて次のように述べている。

 人口知能は西洋的な構造主義で開発されたため、自己完結的な構造であり、限界をもつ。ここから解放された真の世界に近づくには、世界と深く溶け合い、そこから個別の智に下りていく東洋的なステップを踏む必要があるのではないか。

 日本は、東洋と西洋の智を折衷し融合して新しい価値を生み出す地政学的な位置にある。そのため、ポスト・コロナの問題を克服した後に予想されるAI ロボット時代に適応していく知恵では、世界の最先端技術も融合可能な知恵を持つ日本人が新たな価値を見出せると期待される。

 融合と和の精神の基層は、この日本列島に約1万4,000年続いた縄文時代に形成された縄文人の生活の知恵から生まれたと思う。東洋と西洋の智恵を折衷、融和することは、今後生きて行く人間の人間観、哲学でもある。

 日本から、縄文時代の融和の精神である自然との共生、平和思想に基づく創造的な価値観、哲学が生み出されることを期待したい。


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