2024年11月06日( 水 )

「東日本大震災から10年」を思う(後)

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 東日本大震災が起きてから10年を迎えた。震源地から遠く離れたわたしの街でも激震が襲った。外出するためガスストーブを消した直後のことだった。激しい横揺れでスチール製の本棚が崩れて、消したばかりのストーブに多数の本が落下した。柱時計も落下して時を刻むのをやめた。すべて危機一髪だった。あれから10年、そのときの自分のとった行動を振り返りながら、個人の危機管理について報告してみたい。

あきれてしまう防災訓練

 日常に目を戻す。私が住む地区で毎年行われる防災訓練はこうだ。住民の集合場所は主に学校のグランドが指定される。この地区は一番近い小学校のグランドではなく、その小学校を横目で見ながら、隣の高校のグランドへ向かわなくてはならない。おそらく市の防災担当者が現場を見ずに、机上で判断したのだろう。集合場所でのみ訓練することも不可解だ。実際、災害が起きたらさまざまな障害物が生じる。指定場所までたどり着ける住民は多くはない。

 訓練の内容も毎年同じ。消火器の使用法、けが人の搬送は必須だろう。ところが、個人の負傷の応急処置には必ず三角巾が用いられる。日常的に三角巾を常備している家庭も、普段から三角巾を持ち歩いている人も私は知らない。東京都練馬区のように、レジ袋を代用する訓練の方がずっと実利的だ。消防署員に疑問をぶつけたことがある。署員の解答は「そういう決まりですから」。あきれてものも言えない。

 この地区はすべて低・中・高層の集合住宅である。住人のなかには障がい者もいて、歩行困難な高齢者も少なくない。そういう人たちが集合場所(避難場所)にたどり着くことはまず不可能だ。「集合住宅から外に出るな。無理してまで集合場所に行くな」と私は以前から提案しているが、主催者は一向に聞く耳をもたない。無視され続けたまま今日に至っている。

独自の「地域防災」が必要

 最近、我が意を得た新聞記事を目にした。朝日新聞(2020年5月18日夕刊)の連載「現場へ!」に、「避難所には行かず籠城せよ」という小見出しで、マンション防災士の釜石徹氏が、「マンションは住宅避難が前提です。避難所に行かず、自宅に籠城してください」「自治体が想定する避難者は、まずは木造の家が破損するなどで住めなくなった人たちだ。鉄筋コンクリートの家に住む人たちの優先度は高くはない」と断言する。激しい揺れで食器棚からの食器類の飛び出し防止(飛散防止のフィルム貼り)、箪笥などの大型家具の転倒防止(ストッパーや壁に固定)は必須。家の中でケガをしないこと。「防災組織にとって大事なのは『各戸が被災しないためにどうするか』であり、『被災したらどうするか』ではありません」(同)と的確に指摘する。

 18年1月29日付の朝日新聞には、「避難場所は自宅マンション」という見出しの記事が掲載された。「マンション住民は、『在宅難民』を前提とするとともに、地域住民や帰宅困難者、津波避難にも対応」と提案するマンションも出てきたという。

 東京都ではマンション、アパート共同住宅に住む世帯は全体の7割を占める。全世帯の9割がマンション暮らしの中央区では、「在宅避難」を基本方針と位置づけ、建物の耐震化と住民による「自助・共助」の活動を区が支援する。品川区も、帰宅困難者が一時的にマンションの共有スペースを使える協定を約10カ所のマンションと結ぶ。

 大阪市でも、防災倉庫に水や乾パン、簡易トイレや工具も常備し、地域住民の一時避難所として開放する。こうした動きは、南海トラフ地震で高さ16メートルの津波が想定されている高知市などでも見られ、地域住民の避難場所として高層住宅などの利用が決定されている。

 問題もある。要支援・要介護者のいる住居は個人情報保護の問題があり、町内会や自治会の住民防災組織などが、事前に把握することは困難な状況にある。行政が積極的に情報を開示するとは考えにくい。

 そのようななか、埼玉県久喜市の「ライオンズガーデン久喜」(約500世帯)では、管理組合が「各戸に要支援者リストの提出を要請した結果、約60人が登録。安否を知らせるマグネットを全戸に配布して、災害時は玄関ドアに貼ってもらうことで確認しやすくした」(朝日新聞18年10月18日)。当然希望者だけだろう。「マンションは『近所付き合いがないのがメリット』とも言われるが、それだけでは災害時は乗り切れない」(同)と理事長の伊東教雄さんはいう。

 今、真剣に自主的な防災について考えている。私が住む街の防災意識の低さには驚きを通り越して恐怖さえ感じる。行政をあてにしていては住民の命の補償はない。周辺すべてが低・中・高層住宅であるという特徴を考慮した独自の「地域防災」を立ち上げたいと考えている。

(了)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第98回・前)
(第99回・前)

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