インドネシア・パーム油生産農園視察(ボルネオ直行ルポ)(3)ジャカルタ発便までの苦しみ
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ホテルに2泊
6日午後10時に羽田空港に着くなり、宿泊予定のホテルへと急いだ。フロントで宿泊を明後日の夕方までに変更を申し出て、料金を事前に支払った。それから「出発の8日午後11時半分までどのように過ごすか」について思いをめぐらした。まず明日7日に再度PCR検査を受ける必要が生じた。浜松町に英文証明書を発行できるクリニックを見つけた。
翌日、クリニックで検査を受け、証明書を検査翌8日午後1時に受け取ることにした。周囲を見渡すと、出国を準備しているアジア系の人たちでいっぱいである。このクリニックは価格が手頃ということと、羽田空港に近いため、アジア人が大勢来ているのであろう。することがないため、羽田空港内を歩きまわる。2日間それぞれ2万歩を歩いた。
7日の夕方、新しいビザがメールで送られてきた。「ああ、これで入国できる」と安心した。8日13時にクリニックに陰性証明を受け取りに行った。その日も同様に多くの人がPCR検査にきており、半分は外国人であった。ビザとPCRの証明を受け取ったことで、出国できる資格を得ることになった。ホテルに戻り出国の準備を済ませ、羽田空港に向かった。そこで今回インドネシアに同行していただく三重氏(仮名)と落ち合った。羽田空港から海外に飛び立つのは4回目で、いつも混雑していた記憶があるのだが、非常に閑散としている。旅客がこれほどまでに少ないという現実を目撃して唖然とした。これでは「航空会社は各社とも赤字であり、存亡の危機に陥っており、これではやっていけない」と直感した。しかし、そう単純でもないとすぐに気づいた。
貨物で稼ぐ
午後8時過ぎに、今回の視察の主人公である薩摩氏(仮名)と同行者の佐賀氏(仮名)が現れた。ターミナル内の大半の食堂は午後8時で閉店している。現場を見れば、「これほどにお客がいなければ店を閉めるしかないだろう」と同情を禁じえなかった。フライト発着のスケジュール表を眺めると、午後6時以降、キャンセル便が8割という悲惨な状況である。午後9時以降で運行されているのは7便しかなかった。これは翌10日の午前6時までの便数である。我々が離陸する時間、午後11時半前後にロサンゼルス行きとシンガポール行きの便があった。薩摩氏に「今日の搭乗者はおそらく20人足らずではないか。これで利益が出るわけはないだろう。どうして便を飛ばしているのだろうか」と素朴な質問をぶつけたところ、薩摩氏からは「貨物で稼いでいるんですよ。貨物料金で十分採算が取れます。キャンセルをしていない便には必ず貨物のニーズがあるからです。インドネシア・ジャカルタとの間には確実に貨物需要があります。それで運行されているんです」と明確な答えが返ってきた。なるほどと了解できた。
年末年始よりも厳しくなった
離陸の午後11時半はインドネシア時間で午後9時半である。時差は2時間、日本が早い。飛行機のなかでただひたすら寝た。ジャカルタ空港には午前5時前後に到着していた模様。飛行機から降りると入国手続きが待ち構えている。入国ゲートに親しげな表情で立っている現地の人がいた。あとでわかったのだが薩摩氏の古い付き合いであるという。この人が入国手続きのサポートをしてくれた。荷物検査は非常に厳しく、薩摩氏によると「昨年年末入国したよりも検査が非常に厳しくなっており、3月15日ころから入国が厳しくなった」とのことだ。1時間の入国手続きを終えた後、ジャカルタの土地に足を踏み入れることができた。
現地幹部の迎えを受ける
入国ゲートを潜り抜けると3名の現地幹部たちが迎え入れてくれた。その1人は現地法人の社長で閣下と呼ばれている。運転者役を務める息子ともども、東京に長く住んでいたそうだ。薩摩氏とは当時からの付き合いという。ジャカルタの関係者たちが閣下と呼んでいるため、そのように呼んだ。もう1人は今回のパーム油農園購入の立役者のMr.ヤシ(仮名)である。現地のパーム油事業の責任者を務めている。もちろん、閣下とは永年の友人だ。このMr.ヤシが業界に精通していることがインドネシア滞在中によくわかったのであった。
(つづく)
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