【元木昌彦】追悼・立花隆 ジャーナリストはマックレイカーたれ。
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ジャーナリスト 元木 昌彦
立花隆さんが亡くなった。享年80。
文藝春秋(1974年9月号)に書いた『田中角栄研究~その金脈と人脈』は調査報道の金字塔といわれている。あまり知られていないが、立花さんが角栄と金について最初に書いたのは週刊現代だった。だが、連載の予定だったのがなぜか1回で中止になってしまった。彼は「上からきたのではないか」といっていたが、政治的圧力があったということだろう。
その後に文藝春秋の田中健五編集長から依頼を受け、わずか3週間程度で角栄研究をまとめ上げるのである。これがなぜ“調査報道のお手本”といわれるのかというと、その斬新な取材方法にあった。
立花さんが取材陣に指示したのは、すでに公になっている政治資金報告書、報道された新聞、雑誌記事、大蔵省発行の「財政金融統計月報」、国会の議事録を集めることだった。それらを丹念に調べていけば角栄の裏金づくりの手法が浮かび上がってくるに違いないと考えたのである。今では週刊誌も政治資金収支報告書を読み込むが、当時のほとんどの新聞記者もルポライターたちも、政治家のスキャンダルは血眼になって追うが、すぐ手に入る政治資金収支報告書などを丹念に読み込むという手法には気が付かなかった。
当時、私は週刊現代編集部の片隅にいて、立花さんの特集も読んだが、私が圧倒的に惹かれたのは児玉隆也さんの『淋しき越山会の女王』であった。角栄の愛人であり金庫番の女性を丹念に追ったルポは、児玉さんの筆力もあり、巻を措く能わずの面白さだった。発売後、評判になったのは児玉さんのほうで、角栄研究は新聞もほとんど取り上げなかった。角栄番記者は「あんなことは知っていた」と嘯(うそぶ)いていたが、外国紙が取り上げてから大慌てで騒ぎだしたのである。
私は当時から、田中角栄が退陣したのは娘の真紀子が児玉さんのルポを読んで激怒したからだといっていたが、愛人と金脈の相乗効果があったことは間違いない。この号は完売になったが、田中編集長はなぜか増刷をしなかった。詳しい経緯は省くが、結局、角栄研究は文藝春秋では出版されず、1976年に講談社から出ることになる。時代の寵児になった立花さんの次の問題作『日本共産党の研究』も文藝春秋で連載されたが、本は講談社から出版されている。
立花さんは東京大学文学部フランス文学科を卒業後、文藝春秋に入社している。週刊文春に配属されるが、大嫌いなプロ野球の取材をやらされたため退社(本を読む時間がほしかったからという説もある)、再び東大哲学科に入学している。
東大紛争で休校になったためルポライターとして活動をはじめ、友人たちと資金を出し合って、新宿ゴールデン街にバー「ガルガンチュア立花」をオープンさせる。このころ私も先輩に誘われてバーに何度か顔を出し、立花さんと面識を得ている。だが、親しく話した記憶はない。バーのお兄ちゃんなのに気難しくて近寄りがたかったからだが、向こうも、このバカ編集者と思っていたのだろう。
私は知らなかったが、後に日刊ゲンダイを創刊する講談社の川鍋孝文さんの紹介で、イスラエルへ行くことになり、さっさと店を辞めて飛び立ち、その後、中東やヨーロッパを放浪する旅を続けた。その中で、テルアビブ事件(赤軍派3名が実行したテロ事件)の犯人・岡本公三の獄中インタビューに成功している。帰国後にジャーナリスト活動を再開して角栄研究をやり、“知の巨人”として脳死、宇宙、臨死体験へと様々な分野に活動の場を広げていくのである。
立花さんの取材の原則は「調べて書く」だった。取材相手に会う前にその人が書いたものを全部読むのは当然だが、読み込んで理解し、自分のものにするから、相手より詳しかったという逸話が残っている。10万冊ともいわれる蔵書を納めるために通称「猫ビル(猫が好きだった)」を建てる。そのために相当な借金をしたと伝え聞いている。牛丼と立ち食いそばを愛したといわれるが、私の記憶ではワイナリー所有していて、ワインには詳しかった。
先にも書いたように、近寄りがたい人だったから仕事を一緒にしたことはないが、何度か話はしている。思い出すのは、電子書籍について話をしたときのことだ。ソニーからLIBRIéという電子書籍リーダーが発売される前だから2001~02年ぐらいだったか、アメリカのイーインクというところからモノクロだが紙の風合いとよく似た電子ペーパーが開発された。立花さんもインターネットに早くから関心を持っていたから、「元木さん、これで電子書籍の時代が来るよ」と少し興奮して話してくれたことがあった。
私もWeb現代などをやり電子書籍には少し詳しかったので、僭越ながら「私は文庫本を超える端末ができない限り電子書籍は普及しないと思う」と言った。2004年にLIBRIéが発売され、私も買ったが、数年後には発売中止になってしまった。
私が立花さんの本の中で一番好きなのは『アメリカ性革命報告』(1984年・文藝春秋)だ。彼の何でも見てやろう精神が如何なく発揮されたルポである。ゲイ・タリーズのノンフィクション『汝の隣人の妻』に匹敵すると思っている。
最後に、立花さんが残したジャーナリズムへの至言は多くあるが、その中で一番私が心に残っているものを紹介しよう。週刊文春が田中真紀子の娘のことを取り上げたとき、田中がプライバシー侵害だと訴え、東京地裁が仮処分を決定した(後に取り下げられた)ことに怒りを覚え、一気に書いたという『「言論の自由」vs.「●●●」』(2004年・文藝春秋)の中に、こういう一節がある。
「今の日本で誰が一番マックレイカーの役割を果たしているかというと、新聞の社会部、テレビの社会派調査報道番組、週刊誌である。(中略)低俗であることは、言論の自由を問題にする場合、いかなる意味でも、いささかの制約要因にもならないし、なってはならないのである。いかなる言論もすべてが守られるべきである。問題はむしろ、個々の言論の表現方法、表現内容に不当性があるかどうかである」
マックレイカーというのは堆肥をかき回す道具のことで、転じて、社会改革に取組もうとするジャーナリストのことを、そう呼ぶようになった。言論・表現の自由が年々狭まる中、歯止めになってくれる大樹が失われてしまったことが残念でならない。
<プロフィール>
元木 昌彦(もとき・まさひこ) 1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。▼関連記事
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