【縄文道通信第73号】温故知新シリーズ―縄文土器から陶器への展開(後)
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(一社)縄文道研究所
Net-IB Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
今回は第73号の記事を紹介。世界的に愛好者が多い六古窯
現代までこれら六古窯は存続しており、日本を代表する陶器として日本のみならず、世界的に愛好者がいる。筆者も豪州、ヨーロッパ、アメリカの陶芸家で六古窯の影響を受けた陶芸家をたくさん知っている。とくに瀬戸焼は鎌倉時代に入ってさらに発展した。それは1223年に曹洞宗の開祖・道元禅師とともに中国陶器の技術を学んで1228年に帰国し、瀬戸の赤津(現・愛知県瀬戸市)に開祖した加藤四郎左衛門景正(藤四郎)の影響が大きい。景正は技術面で付加価値を付けたことで日本の陶祖といわれるが、縄文土器の系譜を引き継いで、六古窯を現代まで繋いだ陶工である。
須恵器、土師器に加えて、日本の陶器の系譜には瓷器(しき)系統の陶器がある。これは奈良時代、平安時代以来、日本でつくられてきた無釉の白色陶器と高火度焼成の技術を継承発展させてきた系統である。
このように、日本は弥生、古墳時代を経て飛鳥時代に半島から陶器の技術を導入後、奈良・平安・鎌倉時代に渡り上記3種類の日本陶器の系譜を日本中に発展させた。
ここから、室町時代を経て安土・桃山時代に入って千利休、武野紹鷗、今井宗久などの茶人が出て、日本独自の茶陶器の世界が切り開かれることになる。従来の六古窯陶器に織部焼きや長次郎などが加わった。輸入物として高麗の茶碗も愛好された。まさにわび・さびの独特な文化が花を咲かせて、茶道に使用される茶陶器の世界が確立されていった。
戦国時代の武将が茶道を嗜んだが、同時に茶道の重要な道具として陶器の文化的、発展も促した。陶器と次の時代に到来する磁器の間には、炻器(せっき)がある。焼成温度が1100~1250度で、一般的には焼き締めともいわれる(信楽・備前などの無釉陶器も焼き締めといわれることがある)。
欧米世界では焼き締め陶器を「stone ware」と称して人気がある。欧米にはstone ware を志向する陶芸家が多い。世界的陶芸家であり、日本でも浜田庄司などと仕事をしたバーナード・リーチは日本の六古窯と英国のstone ware を融合した作品をたくさん制作している。リーチの影響で欧米の作家には、信楽風・備前風の作家が多く、日本の陶器文化の影響を率直に認めている。
筆者も世界的な陶芸家、ビクター・グリーナウェイ(Victor Greenaway)、ジョアン・キャンベル(Joan Campbel、元世界陶芸協会副会長)の作品を収集したことがある。石器・土器・陶器・炻器の時代を経て、いよいよ江戸期に磁器の時代に入るが、次号でその世界的影響を紹介したい。
(了)
<参考資料>
『日本やきもの史』美術出版社、矢部良明監修
『六古窯―〈和〉のやきもの』出光美術館
『縄文時代と弥生時代』敬文書、設楽博己著
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