【縄文道通信第80号】縄文人と古代ユダヤ人~縄文道―武士道―未来道(中)
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(一社)縄文道研究所
近年、縄文人と古代ユダヤ人の繋がりが、メディアや歴史家、考古学者、遺伝学者によって盛んに取り上げられている。そこで、さまざまな説を、さらなる調査と検証が必要だという前提のうえで紹介させていただく。
1:シュメール文明(BC5000-BC3000年)との関わり:シュメール人は楔形文字-ペトログリフをもち、高度な都市文明を形成。突如消え去った後、メソポタミア文明に引き継がれた。
「アヌンナキ」―シュメールの女神の総称。「天からシュメール人が現れた」=宇宙人という解釈もあるが、縄文人と仮設して解釈している人々もいる。
このシュメール文明の時期は、鹿児島の大隅半島南で日本史上最大の大爆発「鬼界カルデラ」が発生した。この影響で縄文人が絶滅の危機に瀕したが、一部縄文人が日本列島から国外に避難し、シュメールまで辿り着いたという仮説をたてている。
また、今から7,000年から6,300年前、温暖化の影響で「縄文海進」が発生し、関東では栃木県藤岡近くまで海水に浸った。よって埼玉、千葉で多くの貝塚が発掘されている。
この縄文海進の影響で縄文人が国外に避難し、シュメールまで逃れたという仮説を立てる人もいる。
新約聖書の冒頭に書かれているユダヤ人の祖先アブラハムがメソポタミア文明の都市国家、チグリス川・ユーフラテス川河口のウルから、神の啓示を受け、「美しい地、イスラエルのカナンに行きなさい」とのメッセージに従って移動したのがBC2166年である。アブラハムから42代目がイエス・キリストである。マタイ伝1章―アブラハムからダビデまでが14代、ダビデからバビロンへの移住までが14代、バビロンに移されてからキリストまでが14代。
1:イスラエルはダビデ王、ソロモン王の栄華の後、BC722年、アッシリアで北イスラエルの10支族が滅ぼされて、世界中に離散した話は有名である。この「離散ユダヤ人」が日本に辿り着いて、BC660年の神武天皇との関わりを仮説設定している歴史学者もいる。
2:イスラエルの南ユダ王国の2支族(ユダ族、ベニヤミン族)は、BC597年にバビロン王国に滅ぼされ、彼らはバビロンに連れられて捕囚になったという有名な話は、ユダヤ人が苦悩を味わった悲惨な歴史の物語でもある。
第一はエジプトでの奴隷から解放されてエジプトを脱出する「出エジプト記」である。この南ユダ国の崩壊と日本の10代目の崇神天皇とは、時代背景から考えて関係性があるという仮説を唱える学者もいる。また、BC221年に中国で初めて統一国家を形成した秦の始皇帝は、「離散ユダヤ人」の一族であったという説もある。3:ユダヤ人の最後の悲劇は、西暦70年のローマ帝国によるイスラエルの完全な崩壊と、これ以降、約1800年にわたって世界中へ離散していった歴史でもある。最後の戦いが行われたマサダの砦を訪れたが、厳粛な気持ちと、アウシュビッツ収容所を訪ねた時と同じ、ユダヤ人の不思議な存在性と驚異的な生命力を感じた。
4:離散したユダヤ人は、太陽の出る東に向けてユーラシア大陸を移動していった。シルクロードを渡り、中国の西端にある弓月でユダヤ人の国を興し、大和朝廷から飛鳥、奈良時代に多くの渡来人が日本に訪れた歴史的事実は多くの歴史学者に検証されている。高度な技術を、大和の国にもたらした歴史的事実はひろく知られている。とくに寺院建立を含め平城京、平安京の創設などに貢献したのは秦氏、物部氏といわれるが、彼らはユダヤ人の末裔と言われている。
(つづく)
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