2024年07月18日( 木 )

野党共闘への恐怖が際立つ皮肉

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 NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は野党共闘を否定する者は結集して野党共闘から離れるべしと訴えた11月2日付の記事を紹介する。

10月31日総選挙の核心は枝野立憲大惨敗。

サブの核心は岸田自民大勝と維新躍進。

岸田自民大勝と維新躍進をもたらした原動力は枝野立憲大惨敗にある。

立憲大惨敗について事実を歪曲する報道が展開されている。

歪んだ情報流布の背景に大きな思惑がある。

それは野党共闘の阻止。

私は今回総選挙での立憲民主敗北を予想してきた。

最大の理由は立憲民主が野党共闘に背を向け続けたこと。

10月22日発売の『月刊日本2021年11月号』

「抜本改革不可欠は野党」

と題する論考を寄せている。

立憲民主の惨敗を予想した。

この論考では総選挙後に岸田首相が自民党幹事長と外相を交代させる可能性についても言及している。

岸田氏は総選挙後に林芳正氏を外相に起用する案を保持していたと考えられる。

総選挙後に幹事長を交代させて岸田体制を構築することもあらかじめ想定していたと考えられる。

立憲の枝野氏は岸田首相を選ぶか枝野首相を選ぶかの選挙であるとの主張を展開したが、日本の主権者が選択したのは岸田首相だった。

岸田氏と枝野氏の選択を迫られれば多くの主権者が岸田氏を選択するのは順当だ。

今回選挙の最大の特徴は枝野立憲が忌避されたこと。

比例代表選挙の立憲得票率(絶対得票率=全有権者に占める得票の比率))は11.2%。

国民民主投票率を合わせて13.7%だった。

2017年選挙における立憲民主と国民民主の得票率合計は20.0%。6.3%ポイントも得票率を下げた。

全体投票率が53.7%から55.9%に上昇したのに、得票率が20.0%から13.7%に低下した。

枝野立憲が支持されなかった最大の理由は枝野幸男氏が野党共闘に背を向けたことにある。

私はこの点を再三指摘し続けた。

そのうえで、多くの主権者が立憲民主支持から手を引くことを予想した。

枝野幸男氏が野党共闘に背を向けたことを受けて、多数の主権者が立憲民主への投票をやめた。

これが真実だ。

ところが、メディアは立憲民主が野党共闘に進んだために立憲民主が議席を減らしたとの真逆の報道を展開している。

このような情報誘導も想定の範囲内。

日本政治支配を維持しようとする勢力にとっての天敵は「野党共闘」なのだ。

2009年に鳩山政権が誕生した影の主役が「野党共闘」だった。

共産党の候補者取り下げの協力なくして2009年の政権交代実現の偉業を語れない。

民主党の小沢一郎氏が主導して野党共闘の素地を固めた。

今回の総選挙直前に枝野幸男氏は記者に対してこう述べた。

「『野党共闘』というのは皆さんがいつもおっしゃっていますが、私の方からは使っていません。

あくまでも国民民主党さんと2党間で連合さんを含めて政策協定を結び、一体となって選挙を戦う。

共産党さんとは(共産、社民、れいわの3党と一致した政策に)限定した範囲で閣外から協力をいただく。」

枝野氏は、共闘の対象は国民民主と連合であって、共産、社民、れいわとは共闘しないことを宣言した。

10月23日に都内で行われた市民団体のイベントでは、立憲民主党の枝野幸男代表が共産党の志位和夫委員長との記念写真撮影を拒絶した。

枝野氏は野党共闘を推進したのではなく、野党共闘に背を向ける対応を示し続けた。

この事実に触れず、立憲民主が野党共闘にまい進したとの報道は完全な誤報。

意図的誤報である。

枝野氏が野党共闘を否定したため、野党共闘を求める主権者が立憲民主を支持しなかった。

これが立憲民主党の比例代表選挙での惨敗をもたらす主因になった。

枝野幸男氏は総選挙大惨敗の責任を取って辞任するしかない。

そのうえで、立憲民主党は「野党共闘推進派」と「野党共闘否定派」に分離すべきだ。

「野党共闘否定派」は国民民主と合流し、「野党共闘推進派」は「れいわ」「社民」と合流するのが適切だろう。

主権者の視点に立って野党再編を断行することが求められる。

今回総選挙では自公の絶対得票率(全有権者に占める得票の比率)が26.3%に達した。

維新の絶対得票率は7.8%。

自公プラス維新の得票率は34.1%に達した。

政治刷新勢力の危機といえる。

反自公勢力の絶対得票率は21.8%に低下した。

2017年選挙では自公の得票率が24.6%、反自公の得票率が25.2%だった。

情勢激変の主因は枝野立憲が主権者の支持を失う一方で、維新が支持を高めたこと。

維新は自民よりも右に位置する政党。

若年層を中心に右傾化が進んでいることがうかがわれる。

他方、立憲が支持を失ったのは、立憲が政党発足の原点からかけ離れたことにある。

2017年の立憲の出発は「希望の党」の踏み絵にあった。

「希望の党」が安倍政治に終止符を打つための大同団結を目指すものであるなら意義はあった。

ところが、「希望の党」は入党条件に「戦争法制=安保法制への賛同」を掲げた。

同時に入党拒絶者リストの存在が指摘された。

この経緯から、戦争法制に賛成できない議員の集団として立憲民主党が発足した。

このことが、「水と油の同居体」としての「旧民主党=旧民進党」の分離を意味すると受け止められた。

※続きは11月2日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「野党共闘への恐怖が際立つ皮肉」で。


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