2024年11月22日( 金 )

【縄文道通信第83号】日本芸術の源流、縄文芸術~縄文道―武士道―未来道

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(一社)縄文道研究所

 Net-IB Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
 今回は第83号の記事を紹介。

日本芸術の源流としての縄文芸術

国立競技場 イメージ    新潟県長岡市の馬高美術館で凄まじい息吹を感じさせる縄文火炎土器との出会いは、今までの人生で3回におよぶ。何度鑑賞しても尽きない感動とは何か、いつも自問自答してきた。

 縄文火炎土器のダイナミズムは、天才画家・岡本太郎によって見出されたのが1956年11月7日の上野博物館での劇的な出会いであった。

 筆者の縄文火炎土器との出会いは、岡本太郎から33年経過した

 1989年10月7日であった。鮮明に記憶に残る出会いであった。

 哲学者の谷川 徹三は、日本人の美意識は縄文型と弥生型にわかれるとして以下のような対比をした。

 縄文的原型 動 怪奇 装飾性 有機性
 弥生的原型 静 優美 機能性 無機的

 弥生時代は紀元前約800年頃から紀元後約200年の約1,000年続いた歴史をもつが、特徴は先端技術導入と渡来人が移民し土着の縄文人と混血していった時代でもある。 

 また、弥生時代は農耕文化が定着し、組織、制度も整備され、社会構造に秩序と安定化をもたらした。

 従って、弥生土器が縄文土器に較べて薄手で、洗練され、無機的な形に変化したことは、明らかだ。縄文土器の持つ野性味やダイナミズム、装飾性が薄れて行ったのだ。

 この2つの土器に象徴される正反対な美意識は、日本の歴史のなかに古墳時代以降の日本人の芸術文化表現に表れていく。

 縄文芸術は動的で男性的な面が強いが、弥生芸術は静的で女性的ともいわれる。日本の芸術文化の歴史のなかでこの2つの美は日本美の原型を形成している。

 たとえば、仏教が伝来して多くの仏師が誕生して、さまざまな仏像を含め仏教関係の建造物も建てられていった。

 多くの慈悲深い仏を象徴する観音像は優しく美しい。一方、怒りを表したり激しさを著した鬼の像、逞しさを著した金剛力士像などは観音像と対照的である。

 平安時代は女流作家の紫式部や清少納言といった作家が現れ、男女の機微を文学で表現した雅の時代であった。弥生的であった。

 一方鎌倉時代に入ると武士の時代で勇猛、果敢な男性美を表現した芸術作品が現れる。

 武士の心得としての流鏑馬、弓道、厳しい禅宗文化、多くの渋い仏教建築、運慶、快慶の雄渾な金剛仏像である。

 禅宗の影響で茶道が発達して日本中の窯元で侘び寂を表現する陶器がつくられた。鎌倉時代は日本仏教が確立した時代でもあった。

 筆者の先祖の瀬戸の陶祖、加藤藤四郎景正は、曹洞宗の開祖、道元禅師とともに南宋に渡り宋の先進的な陶芸技術を学んで、瀬戸の赤津で瀬戸焼の開祖になった時代でもある。
瀬戸黒、織部、志野の茶陶は侘び寂の奥深さを表し、柿右衛門と京焼は雅な華麗さを代表した、対象的な陶磁器である。

 日本画の系譜を見ても伊藤若冲のすばらしい華麗なダイナミックな日本画は、アメリカの有名なコレクターが認めた名画である。

 筆者も5年位前に上野の美術館で若冲の美術展に入場するのに2時間近く炎天下行列待ちしたが、物凄い人気に驚いた覚えがある。若冲の華麗な日本画との対象が、雪舟の水墨画の渋い重厚な日本画である。江戸時代にこの縄文的な雄渾さと弥生的な静的な洗練が共存していた。

 建築でみれば日光の東照宮と京都の桂離宮が対象的である。

 上記に述べたように縄文型原型の美意識は現代の日常の生活のなかにもさまざまな面で見られる。

 音楽でいえば、和太鼓の音色である。縄文時代から太鼓や貝や竹でできた笛は縄文人が居場所を伝達する手段として使用されていたという。太鼓は和太鼓としてダイナミックな動作で素晴らしく迫力のある「鼓童」といった和太鼓集団は世界中で講演している。

 歴史は文化を形成すると、20世紀の偉大な文化人類学者のクリフォード・ギアツ博士が述べている。従って衣食住も文化であり、芸術的表現の分野である。

 衣生活でも、世界的なファッションデザイナーの三宅一生はパリコレクションに展示した作品はセッションワンというタイトルであった。これは縄文時代の巻頭衣を表現した縄文美の現代版である。三宅一生はこの作品完成の前に多くの縄文遺跡を訪ね研究したといわれる。

 また食文化は、和食が世界遺産に登録されたが、日本の縄文時代の自然の食材約1,500種類を食してきた文化を継承している。

 最後に住文化も、最近の東京オリンピックのメインスタジオも建築家の隈 研吾氏は縄文の森林文化から木材を多用する設計を試みた。

 以上のように日本の芸術文化は、歴史的に縄文型と弥生型が交錯しながら創意工夫された美意識で現代まで継承されている。

 今後も縄文時代から基層に流れる縄文型の芸術感覚は、さまざまなかたちで
世界に発信されると思う.


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