2024年12月23日( 月 )

佐川急便に7,200台の軽EV供給 EVベンチャー 「ASF」(後)

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 100年に1度の技術転換期といわれている。EV(電気自動車)である。EVシフトは世界的傾向だ。先行するテスラを追って、アップルなど巨大IT企業が参入の機会をうかがっている。ソニーグループはEVへの参入を表明した。「車は家電になる」。そう確信した元ヤマダ電機副社長・飯塚裕恭氏は日本発のEVベンチャー、ASFを立ち上げた。

店頭で100万円以下のEVを売れたら面白い

 飯塚裕恭氏は『週刊エコノミスト』(21年7月19日付)のインタビューでこう語っている。

 〈EVをやろうと思ったきっかけはヤマダ電機時代に「店頭で100万円以下のEVが売れたら面白い」と考えたことだった。

 当時、ヤマダでは家電、住宅(家具)、EVという3本柱があり、私がEV部門を担当していた。そのときに、日本のEVベンチャーのFOMM(フォム) の小型EVを佐川急便に紹介したりした。

 しかし、当時の日本では、FOMMのEVに認可が下りなかったために、FOMMは海外事業に注力することになってしまった。

 ただ、佐川急便はEVの調達をあきらめていなかった。そこで、私はヤマダ電機を退職し、ASFを立ち上げて自分のEVの企画、製造に着手した。〉

100万円台のEV、中国メーカーと組むしかない

EV イメージ 佐川急便向けの小型EV開発が持ち上がったとき、飯塚氏の頭をよぎったのはヤマダ電機での体験だった。中国勢が低価格を武器に家電市場を席巻、日本の家電メーカーは駆逐された。「家電王国ニッポン」は過去のものとなった。

 日本でEVをつくると300万円超えになりかねない。100万円台のEVをつくりたい飯塚氏には、日本車メーカーと組む選択肢はなかった。

 佐川急便から依頼を受けた飯塚氏は中国大手の奇瑞汽車など5~6社の地場メーカーにあたった。そのなかに、生産委託を結んだ広西汽車が含まれていた。スムーズにやり取りが進んだ。佐川急便が21年4月に公開した試作車は広西汽車が4カ月ほどで仕上げた。

 佐川急便が7,200台の小型EVを導入することを受けて、ASFは21年6月30日、資本増強を実施。創業時のパートナーである大手商社・双日(株)からの増資と、資本提携を強化した。充電インフラ設備の拡充などで協業する。

 同日、コスモ石油マーケティング(株)と資本業務提携を結んだ。コスモが手がけるカーリースやカーシェア事業でASF社製EVを使用する。EV使用時には、コスモ石油が展開する再生可能エネルギー由来電力を供給する。佐川急便が使用する小型EVはコスモ石油のスタンドで充電する。

 資本金は7億3,105万円(21年11月30日現在)。今後、小型EVを拡販するのにともない、提携先の出資を受けて資本金を増強。その先に、株式上場を見据えていることはいうまでもない。

フォム、タイ発の水に浮く軽EVを発売

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 EVをめぐっては、新興勢や異業種が参入する動きが国内で出てきた。ソニーグループ(株)はEVへの本格参入を正式に表明した。出光興産(株)は22年に100~150万円程度の安価の超小型EVを発売する。

 前述(連載「中」参照)のEVスタートアップの(株)FOMM(フォム)は、軽自動車EVの一般向け発売を21年5月から始めた。同社のEVは4人乗り。1充電あたり走行距離は166kmで、最高時速80㎞で高速道路も走行できる。販売価格は275万円。

 タイで19年からEVの生産と販売を手がけており、方向指示器などを日本の安全基準に合わせたため、国内販売が可能になった。水害時などに車体が浮き、移動できるのが特長だ。前輪のホイールが水を吸って後方に吐き出すことで前進や方向転換ができる。

 新興のEVベンチャーで、早くも実績を上げているのが、飯塚氏のASFだ。自動車産業は完成車メーカーを頂点に、下請部品メーカーが時には10層ほども連なり、供給網(サプライチェーン)のピラミッドをかたちづくってきた。エンジン車の部品は計3万点におよぶ。一方、ASFは開発・設計に特化した、自前の工場をもたないファブレス企業。ASFが手がける佐川急便の配達車両向けの軽EVは、製造は中国企業が担う。

 異業種からのEV参入組は、いずれも製造を自動車メーカーに委託するファブレスだ。自動車メーカーは、開発・設計に特化したIT企業の下請になる。自動車産業を揺るがす第一歩といえるかもしれない。

(了)

【森村 和男】

(中)

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