2024年11月24日( 日 )

既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(3)

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『週刊現代』元編集長
元木 昌彦 氏
ビデオニュース・ドットコム代表
神保 哲生 氏

 この国のマスメディアの腐敗は確実に、深く進行していて、もはや後戻りのできないところまできてしまっていると、思わざるを得ない。東京五輪のスポンサーに朝日新聞を始め、多くのマスメディアがこぞってなったとき、ジャーナリズムとして超えてはいけない“ルビコン”をわたってしまったのである。その後も、NHKの字幕改ざん、読売新聞が大阪府と包括協定を結ぶなど、ジャーナリズムの原則を自ら放棄してしまったと思われる出来事が続いた。
 神保哲生さんは、そんななかで、希少生物とでもいえる本物のジャーナリストである。彼が「ビデオニュース」社を立ち上げた時からのお付き合いだが、時代を射抜く目はますます鋭く、的確になっている。神保さんに、マスメディアの現状とこれからを聞いてみた。

(元木 昌彦)

左から、『週刊現代』元編集長 元木昌彦氏、ビデオニュース・ドットコム代表 神保哲生氏
左から、『週刊現代』元編集長 元木昌彦氏、
ビデオニュース・ドットコム代表 神保哲生氏

メディアのモラルを問い直す

『週刊現代』元編集長 元木 昌彦 氏
『週刊現代』元編集長
元木 昌彦 氏

    元木 1月15日の「マル激トーク」で、神保さんがかつていたAP通信の倫理綱領についてやっていましたね。興味深く見ました。自身の行動が常に報道の中立性や公平性に対する評価を棄損しないよう配慮しなければならないというものですが、その反対の行動をとる新聞記者が日本では多すぎますね。

 神保 日本にはジャーナリズム教育というものがまったくないため、ジャーナリズムのイロハを学んだことがない大手メディアの記者たちは自分の立場を根本的に勘違いしていると私の目には映ります。選挙で選ばれたわけでもない一介のサラリーマン記者が、政治家や企業経営者などに直接アクセスし対等に話しができるのは、記者の側にニュースを報じる力、つまり彼らの背後に大勢の読者や視聴者の存在があるからに他なりません。それを、何を間違ったか、自分自身の力だと勘違いしてしまっている記者が実に多い。読者や視聴者がいなければ、記者などという存在はノーバディなわけですから、当然のこととして記者は常に視聴者や読者の方を向いていなければならないし、自分の趣味や道楽で取材をしているわけではないのですから、記者として知り得た情報は原則として(プライバシーに触れるものなどのごく一部の例外を除き)読者や視聴者に報じる義務があるのは、自明なことではありませんか。

 多くの記者がオフレコ取材によって「報じない」ことで、政治家などの偉い人たちとあたかも対等な付き合いができているような錯覚に陥っているようですが、それは一介の記者が読者や視聴者の知る権利を権力者に勝手に差し出すことによって、自分だけが特権を得ようとする明らかな越権行為であり、ジャーナリズムの原理原則に反すると同時に、民主主義を破壊する行為でもあります。オフレコ取材を禁止しているAPの倫理綱領は日本では厳しすぎると受け止められているようですが、そこには単に民主主義の当然の原則が明示されているだけです。

 元木 日本では、政治家に「オフレコだ」といわれると書くことはできません。それでも書くと、記者クラブから除名されることもありますね。

ビデオニュース・ドットコム代表 神保 哲生 氏
ビデオニュース・ドットコム 代表
神保 哲生 氏

    神保 原則としてオフレコ取材に応じるべきではないし、どうしてもやむを得ない場合は現場判断でナアナアにせずに、編集責任者の許可を得る必要があります。たとえば、ある記者がある政治家について大きなスキャンダルを暴こうとしているとき、その政治家は暴かれるのを恐れて、その記者の所属する会社の別の記者に、オフレコを条件にその情報を提供してしまえばいいんです。そうすれば、その会社はそこでもらった情報を報じられなくなってしまいます。他の記者が何をやっているかをすべて把握しているのは編集責任者だけなので、たとえばAPのような大きな報道機関で、どうしてもオフレコ取材に応じなければならない状況に直面した場合、必ず編集責任者の許可を取れというルールがあるのは、そのためです。

 また日本では、「オフレコベースで日常的に有力な政治家と付き合い、信頼を勝ち得ることで彼らに食い込み、究極的にはスクープをモノにするのが記者のあるべき姿で、それをしない記者はアマチュアだ」みたいなことを当たり前のようにドヤ顔でいう記者もよく見かけますが、これもお笑い草です。

 まず、そこでいう「信頼」というのは、「優れた記者」だとか「公正な記者」としての信頼ではなく、単に「その政治家に都合の悪いことは報じないでくれる」ということでしょう。それは信頼でしょうか。単にその政治家にとって都合が良い相手だと思われているだけではないですか。

 それに、そこでいう「スクープ」というのも、大抵の場合、表に出ていない話を自分だけ内緒で教えて貰ったというだけの話で、粘り強い地道な調査報道によって、これまで明らかになっていなかった公共性の高い事実を明らかにするというような、読者や視聴者に真に価値のあるメリットをもたらすジャーナリズム本来の「スクープ」とは異質なものではないでしょうか。

 さらに、そのスクープにしたって、それが読者や視聴者に対する公共的な使命感から出ているものではなく、多くの場合、単なる功名心だったり、社内で出世がしたいというような私利私欲に根ざしているものの場合が多いように感じます。ジャーナリズムに従事している以上、スクープの重要性は否定しませんが、権力者の太鼓持ちをするような報道はスクープと呼ぶに値しないし、我々ジャーナリストにとって奉仕の対象である読者や視聴者は、そんなスクープよりも日々の報道をきちんとしてくれることを望んでいるはずです。

 元木 一昨年、コロナ禍で緊急事態宣言が出ているなか、産経新聞の記者と朝日新聞の記者が、東京高検の黒川弘務検事長と麻雀していたことが週刊文春の報道で明るみに出ました。検事長と人間関係を築くのはいいとしても、検事長と麻雀卓を囲んでいても、検事長の本音や、安倍首相から検事総長に推されている件の背景を記事として書いたのだろうか。

 産経新聞と朝日新聞は内々の処分で終わらせて、公式なお詫びはありませんでした。時には、「マスゴミ」と批判されることもありますが、今の人々がメディアを信頼していないのは、メディアのなかにいる人間たちが時間をかけてモラルを壊してきたからです。

(つづく)

【文・構成:石井 ゆかり】

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<プロフィール>
元木 昌彦
(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に講談社を退社後、市民メディア『オーマイニュース』編集長・社長。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。現在は『インターネット報道協会』代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

神保 哲生(じんぼう・てつお)
1961年東京生まれ。15歳で渡米。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信など米国報道機関の記者を経て独立。99年、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立し代表に就任。主なテーマは地球環境、国際政治、メディア倫理など。主な著書に『ビデオジャーナリズム』(明石書店)、『PC遠隔操作事件』(光文社)、『ツバル 地球温暖化に沈む国』(春秋社)、『地雷リポート』(築地書館)など。

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