既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(4)
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『週刊現代』元編集長
元木 昌彦 氏
ビデオニュース・ドットコム代表
神保 哲生 氏この国のマスメディアの腐敗は確実に、深く進行していて、もはや後戻りのできないところまできてしまっていると、思わざるを得ない。東京五輪のスポンサーに朝日新聞を始め、多くのマスメディアがこぞってなったとき、ジャーナリズムとして超えてはいけない“ルビコン”をわたってしまったのである。その後も、NHKの字幕改ざん、読売新聞が大阪府と包括協定を結ぶなど、ジャーナリズムの原則を自ら放棄してしまったと思われる出来事が続いた。
神保哲生さんは、そんななかで、希少生物とでもいえる本物のジャーナリストである。彼が「ビデオニュース」社を立ち上げた時からのお付き合いだが、時代を射抜く目はますます鋭く、的確になっている。神保さんに、マスメディアの現状とこれからを聞いてみた。(元木 昌彦)
「オフレコ取材」から見えるジャーナリズムの問題
神保 日本では、権力者側と市民社会の間には川が流れていて、市民社会の利益を代表しているジャーナリストは決して「あちら側」から報じてはならないという原則を知らずに、とくに意識しないまま橋をわたってしまっている記者が多いように感じます。ジャーナリズム教育がないので、そもそも論ができていないことと、本当はわたってはならない橋でも、みんなで渡れば(神保注:他の「わたる」をひらがな表記に変更されるのでしたら、ここもひらがな表記で統一された方がいいのではないでしょうか。私は「橋を渡る」場合の「わたる」は「渡る」が適切だと思いますが、漢字表記については御社の規定に従います。ただし、統一は必要です。)怖くないという気持ちがあるのでしょう。
米国でもその他の国でも、常に権力者の懐に飛び込むことを得意とする記者はいますが、例えばウォーターゲート事件をスクープした「ワシントン・ポスト」のボブ・ウッドワードのように、これまで十分な実績があり、権力者の懐深くに飛び込んでも、簡単に権力に取り込まれることなく、公正なジャーナリストとしての責任を十分にまっとうできるジャーナリストとしての十分な信頼を勝ち得ている記者であれば、例外的にそれも許されるかも知れませんが、そういう例外を除き、権力に近づいて情報を取ろうとする記者のほとんどは、権力者側が提示してきた何らかの条件を飲んでいるからこそ、その場にいることを許されている人がほとんどでしょう。そういう記者は単に「権力の犬」扱いされ、その報道は信用に値しないものと見做されるのが関の山です。
ただ、ジャーナリズム教育がまったく存在しない日本では、受け手である読者や視聴者に対しても最低限のメディアリテラシー教育が施されていないので、例えばある記者が大真面目に欧米基準の公正なジャーナリズムを実践しても、読者や視聴者がその報道の価値を正当に評価できないという深刻な問題も発生しています。公正な報道姿勢を貫いても読者から評価されないのなら、最初から権力の側に付いた方がずっと得になってしまいます。日本のメディアは、メディア業界の側にも、受け手の側にも、深刻な課題が山積していて、両方の意味でメディア問題は日本の民主主義の最大の弱点になっていると、私は常々痛感しています。
元木 読売新聞主筆の渡辺恒雄氏も以前、NHKスペシャルで、政治記者は権力の懐に飛び込むのが当たり前だと話していました。渡辺氏は「あちら側」に渡ることを意識していたと思いますが、権力側に取り込まれて、いいように使われているのに気づかないで、大記者ぶっている連中が多いと思います。
私もずいぶん政治部記者とは付き合いました。よくいたのが、「オレが書いたら大変なことになるから書かない」という古手の番記者でした。こういう手合いは今もいると思いますが、それなら記者をやっている資格はないですよ。
内閣記者会が仕切っている首相会見も批判されますが、いつまでたっても変わりませんね。会見では通り一遍のことしか聞かないで、本音は後からオフレコで聞けばいいという“悪習”が改まりません。神保さんはフリーの立場で会見に出ていて、指名されれば鋭い質問をすることで知られていますが、岸田文雄首相になって少しは変わってきているのですか。
神保 そこでいう「大変なこと」が何を意味しているか、ですね。誰にとっての「大変な事」なのでしょうか。大変なのはその政治家とその記者くらいでしょ。そんな事実が明らかになったって、市民社会はびくともしませんよよ。
岸田政権になってから、少しは政府とメディアとの関係が変わるかと期待しているところもありましたが、残念ながら何も変わりませんでした。コロナが変わらないことへの格好の言い訳を与えてしまいました。
2009年の政権交代で政権の座に就いた民主党は、首相を含む各省の大臣会見を従来、記者会見を独占していた記者クラブだけでなく、外国報道機関、雑誌、ネットメディア、フリーランスなどにも順次開放していきました。また、民主党政権下の大臣会見では、その後の安倍政権以降のように、事前に質問を提出を求められるようなことはなかったので、記者会見の場で大臣と記者との間で激しい応酬が繰り広げられるのは日常茶飯事となりました。
しかし、12年に自民党が政権の奪還に成功し、第二次安倍政権が発足すると、安倍政権は短命に終わった第一次安倍政権の失敗体験から多くを反省し、まず徹底したメディア対策を強行しました。首相の記者会見では内閣記者会(記者クラブ)の加盟社は事前に質問の提出を求められ、事前の質問提出に応じない社は、会見で質問する機会を与えて貰えないようになりました。結果的に、記者会見で質問するすべての記者は事前に質問を提出し、本番でも提出した通りの質問を行う。そして首相は、あらかじめ官僚が用意した答えが書かれているメモを読むだけの、にわかには信じられないような事態が首相の記者会見で続きました。同時に安倍政権は、記者クラブの記者以外には質問をさせないことで、民主党政権下で実現した記者会見のオープン化を事実上無力化させることにも成功しました。首相官邸と記者クラブの癒着と談合によって、一国の首相の会見が完全な茶番劇になってしまったのです。
安倍政権以降、首相会見は単なる「朗読会」になってしまいましたが、それでも安倍さんはまだ演技が上手かったので、身振り手振りなどを交えながら、メモを読んでいる感じがわからないようにしていました。テレビで安倍さんが話しているところを見た人の中には、自分の言葉で軽快に喋っているように見えた方も多いかも知れません。ただ、どうしても10~15秒に1回は手元のメモに目を落とさなければならないので、台本を読んでいることはわかる人にはわかりますが。ところが、安倍さんの後を継いだ菅さんは、演技が大嫌いだそうで(実際、菅さんの補佐官に取材したところ、菅さんが絶対に演技だけはしたくないと言って、秘書官や補佐官を困らせたそうです。プロンプターを使ってもらえるところまで持って行くのが大変な苦労だったそうなので、かなり頑固な首相だったようです。)記者会見中ずっと下を向いたまま用意されたメモを棒読みしていたので、なぜかその場で出たはずの質問に対する答えがあらかじめ菅首相の目の前に用意されていることが、満天下にばれてしまいました。
岸田さんは安倍さんタイプの演技派ですね。多少のアドリブも交えながら記者の方を向いて上手に話しているので、菅さんのようにいかにも用意された原稿を棒読みしているという感じではありませんが、とはいえ事前に質問を提出させる悪習は続いていると聞いています。
唯一の前進は、安倍政権の終盤に新型コロナの感染が拡大するようになると、以前よりも首相会見が注目されるようになり、さすがの安倍政権も、私のようなネットメディアやフリーランスの記者を完全に無視することが難しくなりました。普段、政府から何の特権も得ていない我々は、無論、質問の事前提出には応じないので、安倍政権が発足して7年以上が経って、ようやく1回の会見につき1問か2問だけですが、事前に提出されていないぶっつけ本番の質問ができるようになりました。安倍、菅政権の記者会見における首相の珍回答は、ほぼ例外なくネットメディアやフリーの記者の質問に対する答えです。それが、官僚が用意したものではない、唯一と言ってもいい首相の生の声ということになります。
ただ、記者会見の司会を務める内閣広報官は、ネットやフリーの記者には意識的にNHKの記者会見の中継が終わった後に当てる(注:ここで言う「あてる」は司会者が質問者を指名する行為のことなので、「充てる」ではなく「当てる」の方が正しいと思います。)ようにしているので、ネットやフリーの記者が総理が一番投げて欲しくない球をど真ん中に投げ込み、総理がその球をまともに打ち返せるかどうかという、総理会見の唯一の真剣勝負にして唯一のクライマックスとも呼ぶべきシーンが、多くの人に見てもらえないのはとても残念です。もちろんこれもNHKと官邸との間で計画的な時間調を行ったことの成果です。
先ほど元木さんから、私が安倍・菅政権の記者会見で厳しい質問をぶつけることで有名だなんていう最上級のお褒めの言葉をいただきましたが、そのシーンは必ずしも多くの日本人には見てもらえていないんです。私はだいたい記者会見が始まってから45分頃に指名されることが多いのですが、私が話す直前にNHKは総理会見の中継は終了させ、スタジオで安倍首相とツーカーの関係にあるとまでいわれる岩田明子記者による記者会見の解説が始まるんです。また会見は続いているのにですよ。しかも、これから会見はクライマックスを迎えようというのに、中継を切って、NHKで安倍さんの思いを代弁できる唯一の記者の「岩田明子による「岩田明子アワー」に切り替わるんです。放送されていないその背後で、総理と私など記者クラブの非加盟者による厳しい質疑が続いているのに、NHKは何があってもそれだけは絶対に視聴者に見せないのです。
だから、私が総理会見で安倍さんや菅さんに厳しい質問を迫ったということをご存じの方は、NHKの会見の中継が終わった後も、ネットメディアなどで総理会見を最後まで見てくれた、ごく僅かな方々に限られているんです。もちろんテレビや新聞は、私と総理のやりとりの中にどれだけニュース性があっても、いやむしろそこにニュース性があればあるほど、決して自分たちのニュースでは報じないので、そこでの出来事はほとんどなかったも同然のことになってしまいます。
もっともコロナの流行が始まってからは、記者席の席と席の間を空けるために、記者会見に出られる記者の数が大幅に絞られることになり、今は記者クラブ加盟社から1社1名に加えて、ネット、フリー、専門紙、外国報道機関、雑誌から合計で10人しか会見に出席できなくなってしまったため、記者クラブの非加盟者は毎回抽選になっています。今は記者会見3回につき1回出られればラッキーという状態です。
(つづく)
【文・構成:石井 ゆかり】
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<プロフィール>
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に講談社を退社後、市民メディア『オーマイニュース』編集長・社長。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。現在は『インターネット報道協会』代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。神保 哲生(じんぼう・てつお)
1961年東京生まれ。15歳で渡米。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信など米国報道機関の記者を経て独立。99年、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立し代表に就任。主なテーマは地球環境、国際政治、メディア倫理など。主な著書に『ビデオジャーナリズム』(明石書店)、『PC遠隔操作事件』(光文社)、『ツバル 地球温暖化に沈む国』(春秋社)、『地雷リポート』(築地書館)など。関連キーワード
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