2024年09月06日( 金 )

【経営教訓小説・邪心の世界(1)】栄華の極み(前)

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<主要登場人物>
甲斐(創業者)
戸高(2代目社長)
日向睦美(創業者の娘)
日向崇(睦美の夫)
<作>
青木 義彦

※なお、これはフィクションである。

黒いお金 イメージ 甲斐が工務店を創業したのは1973年、第一次オイルショックのころである。6年後の79年、仕入れ先の建材店が大口の焦げ付きを発生させた。この建材店の“オヤジ”である平は23歳で商売を始め、まだ6年足らずだった。

 平からじっくり事情を聞いた甲斐は、「俺が金を捻出してやらないと平は“アウト”だな」と判断。2,000万円を引き出して平に手渡した。平は「甲斐さん、あなたは神さまのような人だ。このご恩は一生忘れません!ありがとうございます」と涙を流しながら、甲斐に握手を求めたという。
 それから20年が経過。時が経つと情勢が変わるのが世の常なり。平の会社は経営が絶好調となった。朝から晩まで熱心に仕事に励んだ結果、店舗数が6店まで増えた。ライオンズクラブやロータリークラブ、経営者団体などに一切所属せず、事業に専念した結果である。

 一方の甲斐は、ライオンズクラブの活動に夢中になっていた。甲斐にとって、さまざまな業種の経営者たちと交流するのは初めての経験だった。甲斐は1944年生まれだったので、その前後に生まれた会員とはとくに意気投合した。「ライオンズクラブ活動」と銘打って社会貢献活動に参加していると「社会のために尽くしている」という高揚感に浸ることができた。

 次第に「夜の付き合い」、もといライオンズクラブにかこつけた遊び、飲み会が多くなっていき、昼はゴルフ、夜は中洲での宴会の日々が続いた。果ては「海外の友好クラブとの交流」という名目で、ひんぱんに海外旅行に行くようになる。周囲からは「甲斐はいつ、どこで金を稼いでいるのだろう」と囁やかれたものである。

 バブル期は遊んでいても会社は回っていた。ところがバブルが弾けてしまうと経営状態が悪化するのは目に見えている。日に日に甲斐の会社は「火の車」状態になってしまう。周囲からは「もう甲斐さんの会社は危ないな!」と囁かれ始めた。

 そんな甲斐のピンチを救ってくれたのが平だ。平は「甲斐さんは俺の恩人だ!恩をきっちりと返す。多少の焦げ付きでウチがつぶれるようなことはなくなったから、甲斐さんには5,000万円まで“売掛金の枠を与える”」と公言していたという。聞くところによると、平は手形ジャンプにも応じていたらしい。

 連日、遊び回っていた甲斐に妻は愛想をつかし、「もう家を出ます」と“三行半”を突きつけ、2人の子どもを連れて自宅を出た。たいした度胸の持ち主である。それ以降、妻との交流は完全に途絶えた。息子もいたので、その後も上手に付き合っていれば、事業継承の可能性もあったはずだが、子どもたちも母親の影響で父親に対して強い憎しみを抱いていたものと思われる。

 このときに甲斐が上手にフォローしておけば、後の会社乗っ取り騒動にはつながらなかっただろう。

(つづく)

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