2024年09月06日( 金 )

【経営教訓小説・邪心の世界(7)】活況を呈する建設業界

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<主要登場人物>
甲斐(創業者)
戸高(2代目社長)
日向睦美(創業者の娘)
日向崇(睦美の夫)
<作>
青木 義彦

※なお、これはフィクションである。

建設業界 イメージ    リーマン・ショックを機に建設業界が置かれた環境は一変してしまう。「建設業界は悪、談合の巣窟」というレッテルが張られたのである。そして、その次には「工事単価カットの嵐」が到来、採算割れで倒産する業者が相次いだ。また、職人たちは生活のために転職していった。専門家は、業界全体の施工力が3分の1にまで減少してしまったと見立てている。

 しかし、その後、建造物の老朽化にともなうリニューアル時期の到来と新規投資のタイミングがうまくかみ合った。民間投資だけでなく、公共事業の予算も拡大。建設業界全体の需要が拡大し始めたのだ。そうなると必然的に人手不足になる。人手不足が続けば当然、発注する側より請け負う側のほうが強くなり、「こんな単価では仕事は請けられません」と主張できるようになる。

 こうした「劇的な転換点」は2013年だ。M&Aをされたある建設会社の20年間の業績推移をみてみると、2000~2010年までの粗利率は平均8~9%で推移していたが、2010年代になって粗利の回復が顕著になり、この会社の粗利率も12%まで回復。経常利益率は5%台に到達した。おかげで、この会社のオーナーは5億円で会社を売却できたのである。

 さらに捕捉すれば、この傾向は13年から現在まで続いている。福岡の建設業界トップ100社のなかで、実質無借金の企業は20%ほどあるし、経常利益率は10%だ。00年から10年間の粗利が一桁だったことを考えると、経常利益率がそれを上回るという事実から、建設業がいかに儲かっているかがわかる。建設業には、こうした「我が世の春を謳歌する」環境が続いているのである。

 こうした状況だからこそ、誰もが建設業の看板を掲げれば儲かっていたのである。むしろ、つぶす方がおかしいのだ。戸高は、こうした状況下の13年に会社を引き継いでおり、運が良かったもいえるだろう。また、「自分の会社になるのだ」と思えば、張り切りようも違う。これまでの20年間、甲斐からの命令に従順に従っていただけの戸高とは別人のようになった。

 社長就任時点で、戸高の給料は40万円しかなかった。債務超過に陥っていたので、40万円が限度だったのだ。社長就任前の戸高は「うちは赤字で先行き不透明。幹部にも関わらず、安月給だ」と周辺の人間に愚痴をこぼしていたが、社長になって人が変わった。「私には明日がある、未来がある、頑張れば幸せになれる」という思いを抱き、日々の仕事に臨んでいた。

 戸高のそうした前向きな姿勢に好感を抱いたお客さんから次第に声がかかるようになる。とくに長年、お得意さんだった団体からの受注が増加。この団体に対する戸高の気配りは誰にも真似できないほどだった。

 その結果、新社長就任1期目の完工高は10%増加、2,000万円の税引利益を叩き出してみせた。この会社が粉飾せずに黒字化したのは3年ぶりのことである。内容を精査してみたところ、受注単価の好転で、粗利率がアップしたのである。この結果に気を良くした戸高は「あと3年で債務超過から脱出する」と誓い、社員たちにも会社の明るい未来を語った。

 「戸高体制」1年目を終えたころ、最古参社員の井出は非常勤に退く。

(つづく)

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