【徹底告発/福岡大・朔学長の裏面史(12)】恐怖政治篇5:抵抗者への執拗な仕打ち(2)
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Y教授は2019年学長選の後の2020年度末に、医学部講座の主任教授を定年退職した。
これにともなう後任人事プロセスが19年度はじめから始動していた。そのときの医学部長は朔氏である。いつものように公募が出され、福大内外から複数の候補者が応募してきたが、朔医学部長は「応募の数が少ない」と難癖をつけて(「たしかに少なかったですが、そのときの応募数と同数の応募数だった別の講座の選考はそのまま行われましたし…」E氏)公募期間を延長したうえ、教授選考を中断してしまった。要は、同講座を消滅させようと考えていたのである。
しかし、朔医学部長が学長になったことで、皮肉にも同講座は存続の危機を脱することになったようだ。20年度に入って後任の医学部長が公募を再開したのである。教授たちの間でも、この講座を潰すのはさすがに福大医学部にとっての損失だと声が挙がるようになった。これは無視できないとふんだか、朔学長は今度はY教授が推す候補者の落選を画策し始めた。例のごとく「朔派」の面々によって、この候補者に対するネガティブキャンペーンが張られた。
「朔学長おん自ら『**(候補者の名前)君は絶対に教授にしてはならない』とか、『あの講座を潰せ』というようなことを、福大出身の教授たちに連絡していました。ただ、医学部長については、朔学長にいくら恩義がある──かれ、朔教授のご指名で医学部長になれたんですよ──からとはいえ、可哀想な気もしました。朔学長から相当の圧力をかけられていましたから…」。当時の様子を振り返り、ある教授はそう語る。
朔学長の圧力は正教授会による最終選考当日の朝まで執拗に続いたという。しかし、その候補者の能力の高さと人柄をよく知る一部の外科系教授たちの支持によって、何より医学部教授会のなかにまだ残っていた良識ある教授たちによって、同候補は僅差ながら主任教授に選ばれた。だが、このことで悔しい思いをした朔学長は、この間進めていたY教授に対する吊し上げを、学長権限を使って執拗に続けることになる。
Y教授は副学長時代、医療担当副学長として、福大が経営する複数の病院の運営や実務を担当していた。その1つの「福岡大学博多駅クリニック」は、その前の執行部時代の15年5月に決定され、学長選を経て翌16年4月、博多駅再開発にともない博多郵便局跡地に建設された大規模な商業施設ビル「KITTE博多」の8階にオープンしたものである。
開院当初こそ業績は振るわなかったが、開設後3年を経たころから患者数・収入ともに右肩上がりの増加を示し始めた。一般診療部門に加えて婦人科や美容医療なども取り入れたほか、予防接種の積極的受け入れなども奏功し、大学病院設置のクリニックとして着実に地元の信頼を獲得しつつあったようだ。
医学部長時代の朔氏はこれに対し、医学部教授会で批判を繰り返す、所長人事などに関して無理難題を要求するなど、同クリニックを目の敵にしていたことが知られる。19年の学長選もこれの閉院を公約の1つに掲げて臨み、学長の椅子を射止めた後の21年3月、開院から5年も経たないこれを閉院してしまった。それによって福大は、開設時に日本郵便と結んだ契約を反故にすることになったが、なんと朔氏は、これに係る全責任をY教授ひとりに負わせ、ついでに汚名まで着せようと画策していた。
「朔執行部はこれについて“特別委員会“なるものを立ち上げ、Y教授をしつこく追及していました。たしか、同クリニック開設は前々執行部が決定したはずだし、その決定にしても、朔氏もそのメンバーだった諮問会議の報告を参考にしたと記憶しています。さては、朔学長は責任をY教授1人にひっかぶせようとしているな、と思っていましたが、委員会の結論もまだ出ないうちから 『懲戒委員会』を設置したと聞いたときは、驚きを通り越して激しい怒りを感じましたね。」(C氏)
結局、この件について理事会は、Y教授という個人一人に責任があるという話ではない、福大ガバナンス全体に問題があったという趣旨の判断を下し、朔執行部が要求する懲戒処分を認めなかったとのことだが、Y教授はこの間対応に追われ、ずいぶん消耗させられていたと聞く。しかも、今度は「福岡市医師会成人病センター」の件──福岡市医師会からの要請で事業譲受、18年4月に「福岡大学西新病院」となる──で特別委員会を設置して、いまだにY教授を吊し上げているというから、恐るべき執念深さである。
戦慄をおぼえるのは、Y教授の大切なもの──かれがつくった講座も育てた弟子も、そしてかれ自身も──をこうしてとことん痛めつけてなお、朔学長がかれに抱く遺恨はまだ慰撫されないことである。
朔学長は退職したY教授に「名誉教授」の称号を授与することも拒否した。日本の大学では、長年務め上げた教授にほぼ自動的に「名誉教授」の称号が贈られる習わしになっている。「習わし」とは言っても、1893年の改正「帝国大学令」以来法的にも定められてきた、れっきとした一つの制度である。福大ももちろんこれに倣い、教育と研究に従事してきたその「功績」を労う意味で、思い出の詰まったキャンパスを去っていった幾多の教授にこの栄誉称号を贈ってきた。朔学長は、Y教授に対してはそれすら許さないというわけだ。
名誉教授の称号授与のプロセスは儀礼的なものである。退職する教授が所属する学部の教授会で決定され、それを執行部が承認し、学長の名でその称号を与えるというかたちをとる。Y教授に関しては、医学部教授会の決定が執行部に上がった。それを承認することを朔学長は拒否した。福大でこのような前例が認められれば、今後、長年にわたる研究と教育業績に対して与えられるはずの名誉教授の称号が、そのときの学長の恣意的な判断によって取り下げたり授けたりできることになる。そのような大学が、朔学長が目指す「一流大学」なのであろうか……。
医学部は今年も「Y教授を名誉教授に」の決定を出し、朔学長はまたもやそれを撥ねつけたと聞く。ここに浮き彫りになっているのは、たとえ学界の慣習を捻じ曲げようと、(好むと好まざるとにかかわらず)自分に従ってきた医学部教員たちの意思を踏みにじっても、自分に服従しなかった者に対する意趣返しに血道を上げる、一個の暴君の姿にほかならない。
(つづく)
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