【徹底告発/福岡大・朔学長の裏面史(13)】恐怖政治篇5:抵抗者は徹底的に叩き潰せ!(3)
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朔教授はY教授のような後輩だけでなく、「非正規職員や女性といった、弱い立場の人々も虐めてきた」(A氏ほか多数)。
とりわけ女性看護師に対する態度は目に余るといい、実際、「看護婦は医師のいうことを大人しく聞いとけばいいんだ」といった趣旨のことをしばしば口にしていたことが、複数の関係者の証言から明らかになっている。今年春、退職する看護部長の送別会が執り行われた際も、壇上に立った朔学長がプレゼントのテディベアを手渡しながら、“若いころは、引き倒そうかと思ったものでした “といった趣旨のことを述べたらしい。衝撃を受けた数多くの参列者から医学部内外に噂が広まり、その後もしばらくざわついていた。
そして、その「看護師」を育成する看護学科(2007年に医学部内に新設)に対しても、朔学長は「不当で過剰な干渉」を行い続けてきたことが知られる。
「ただでさえ医師が看護師を見下すような風潮が残っているところへ、意のままにならなかった看護学科長があんな目に遭うのを見せつけられて、関係者は怖くて何もいえない状況です。たとえ記者さんでも、もはや彼女たちの証言は得られますまい」。そう言いながら、何人かの男性インタビュイーが看護学科の受難を筆者に語ってくれた。
それによれば、看護学科はとりわけ15年から16年にかけての丸2年、「一時は機能不全に陥るのではないかと危ぶまれるほどの大混乱」に陥った。15年5月半ば、1カ月前に着任したばかりの4名を含む6名の教授が連名で、当時の学科主任──ここではZ教授と呼ぶことにしよう──に対していきなり要求を突きつけたことが始まりだった。
看護学科内で審議中の実習科目の人員配置に関し、ただちに正教授会を開けという要求だった。「正教授会」は看護学科の教授で構成される教授会議である。そこでは人事など重要な事案が決定されるが、実習科目の人員配置は人事ではなく業務のため、講師以上で構成される「教授会議」の議案である。それがなぜ正教授会でなければならないというのか、Z教授はじめほかのスタッフたちはすっかり困り果ててしまった。
規程を説明しても教授会議での話し合いを提案しても、とにかく正教授会を開けの一点張り。しまいには、 “Z教授は正教授会を開催せよという我々の求めに応じないから学科主任として不適格である“といった主旨の「上申書」を、執行部に提出するという暴挙に出た。これを受けて、執行部は関係者の聞き取り調査を実施。結果、6名の訴えは不当との判断が下されたようだ。6月中旬、6名に「厳重注意」が申し渡された──。
6名の振る舞いからは、Z教授に言いがかりをつけて学科主任から追い落とそうとの思惑がみてとれる。この6名は何者か。とくに4名はわずかひと月前に着任したばかりであるのに、なぜZ教授に対してかくも敵意を剥き出しにするのか。不審に思った筆者はCiNii(国立情報学研究所が運営する学術情報ナビゲーター)などで彼女たちの経歴をたしかめてみた。その結果、少なくとも2名について、明らかに不自然な動きがあることに気がついた。
2名は元から福大の教職員だった。看護学科新設後は各々准教授の資格で教鞭を執っていたようだ。ところが、12年度を以て2人揃って福大を退職し、13年4月から福岡市内の別の医療系教育機関に移籍している。それも同じ医療系教育機関に、今度は「教授」の肩書きで。それがたった2年で、これまた2人揃って福大看護学科に舞い戻り、2人揃って教授に収まっている。ある関係者はこのようにいう。
「別のところで教授の肩書きをつけさせてもらってから戻るという、いわゆる『腰掛け』就職の典型ですね。」
13年秋の医学部長選のさいは、福大を離れたというのに「医学部長には朔教授に入れてくれ」と、医学部教授会メンバーにわざわざ電話をかけまくっていたらしい。その翌年に看護学科の教員公募に応募してきたのだが、正教授会では看護学科として推薦していた候補者がことごとく落とされ、この2人を含む4人が選任された。そして着任早々6人でZ教授に無理難題を突きつけ、果ては執行部への讒訴におよんだというわけだが、これが朔氏の命を受けたことだとは、医学部内では暗黙の了解となっていたようだ。
「『上申書』は朔医学部長経由で執行部に提出されたそうです。朔医学部長に呼ばれてしょっちゅう医学科にきていたようですし、ああ、かれの指示のもとに動いているんだなと。朔氏は2年ごとに行われる医学部長選で選任され続けるために、看護学科票20票を押さえる必要がありましたから、看護学科から反抗勢力を排除したかったんだと思います。」
つまり朔氏は、いつもの人事工作だけでなく、配下に“クーデター“を起こさせるということまでやっていたのだ。看護学科の運営権が自分の意のままになる教授たちの手に移るようにし、自分がその主導権を握れるようにするために。
それまで看護学科スタッフは、優秀な看護師の育成という一つの使命で力を合わせ、いろいろな出来事に直面しながらも「看護師国家試験合格率100%」をキープしてきた。朔氏はそこへ、分断と諍いの種を蒔いたのである。学生に不利益が生じるような事態にならなければよいがと懸念する筆者に対し、インタビュイーたちが語ってくれた“後日談“は、まさにそうした懸念が現実のものとなったことを表していた。
(つづく)
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