2024年09月15日( 日 )

改憲論に物申す

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作家・金堀 豊

 安倍晋三元首相が暗殺されたことで、彼が提唱していた改憲の動きは加速していくにちがいない。これについて一言申し上げたいと思う。

 私は必ずしも改憲に異を唱える者ではない。むしろ、日本国憲法は書き直されるべきだと思っている。しかし、それは戦後をきちんと再点検したうえでなければ何の意味ももたない、とも思うのである。

 安倍氏は首相として「改憲」を何度も主張したが、それが空疎に響いた理由はそこに戦後の再点検が欠落していたからだ。何のための改憲なのか、という根本議論が欠けていた。

 安倍氏が目指したのは「美しい国」の再構築。そこでいう「美しい国」のモデルは彼のなかで理想化された明治日本であった。明治日本とは薩摩と長州の日本、とくに彼の先祖の地である長州のつくった日本である。西洋文明の摂取によって富国強兵を推進し、諸外国と対等な立場を構築する独立国家を目指す、それが明治日本の基本姿勢であった。

 明治日本の問題点は国民の育成をはかる前に国家を強固にしたことにある。安倍氏にはそのことが見えていなかったために安易な明治賛美となった。つまり、日本が結局は帝国主義戦争に走らざるを得なくなったその歴史が、彼には見えなかった。彼の言説がノーテンキなものとなり、まるで太平洋戦争も日中戦争もなかったかの如くであった所以である。

 かつて三島由紀夫は、日本国憲法は軍隊をもたないと謳っているのに自衛隊があるのは根本的矛盾であり、国家がこの矛盾の上に成り立っている以上、この国に健全な発展はあり得ないと喝破した。東大法学部出身の彼には法がどうあるべきかがよくわかっていたのだが、文学者の戯言として無視された。

 自衛隊にしても、日米安全保障体制にしても、すべてこれ敗戦の産物である。そのことを見ぬふりしてどこへ行こうというのか、三島は世に問うたのだ。世間がそれに反応しなかったため、市ヶ谷駐屯地での決起となった。

 当時の日本は憲法を神聖視しており、これを書き換えるべきという議論は「右翼的」といわれる以前に一笑に付された。ところが安倍氏の時代になると、そうした憲法観は形骸化し、天皇の存在すら神聖なものではなくなった。政治的利益のためには宗教も神話も利用すべき道具となったこの時代を代表する彼は、なにより「大国の元首」に憧れたのである。アメリカならトランプ、ロシアならプーチン、中国なら習近平に親しみを感じたにちがいない。

 彼が外遊を好んだのも、自身を大政治家だと感じたかったがためだ。日本史に残るような「偉大なる宰相」となりたかったのである。そのような人物の改憲論は内容が乏しくて当然なのだが、なぜかそれが議論されない。政治家のみならず、メディアも学者も「怠慢病」にかかっている。

 安倍氏の思惑はさておき、改憲が必要な理由として現憲法が自主憲法ではなく、占領軍が日本に押しつけたものだというのがある。これについてはある程度うなずけるのだが、それでも反論はある。誰が押しつけたものであろうと、その内容を国民は承認し、これを基に日々の生活を営んでいる。平和憲法と謳われているように、日本が戦後75年間平和でいられたのも、この憲法のおかげであると。

 日本国憲法のような平和憲法は世界に類のないもので、国際法学の観点からも称賛されている。現実を超える憲法、人類の理想を指し示す憲法というわけで、日本が原子爆弾の唯一の被爆国であるという事実とセットになって、日本という存在の独自性を支えているというのだ。

 日本人の自尊心をくすぐる観点ではあるが、現実には自衛隊という存在があり、軍備に相当の予算を充てている以上、理想とは大いに異なる。三島由紀夫が言った根本的矛盾は解消されるどころか、踏み倒されているのである。このような事態が国民の精神を知らず知らずに荒廃させていることは言を俟たない。

 憲法とはそれほどまでに大切で、国の基本精神の表現なのである。一般の法令とは異なり、国の理想を示したものでなくてはならない。そのような理想は自らの言語で表現されなくてはならず、現憲法のような翻訳語彙の羅列ではだめなのである。

 初めに私は改憲論に反対ではないと述べたが、それは現憲法が言語的にみても、思想的にみても、国民の意思の表現になっていないと思うからだ。内容だけの問題ではない、国民が暗唱できるようなこなれた日本語でなくてはならず、しかも古来変わらぬかたちを整えていなくてはならない。そうした憲法の草案には時間がかかる。法学者だけでなく、文学者や国語学者、さらには数学者や科学者の議論を踏まえて創成される必要がある。安倍氏がいうような状況主義的な一部改正ではなく、全文を書き改めなければならないのである。

 今から10年かけて、日本政府は日本の知性を結集させて歴史の総点検をし、古代から現代まで脈々と流れる精神の言語表現を真剣に構築していかねばならない。

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