【徹底告発/福岡大・朔学長の裏面史(20)】独裁政治篇5:附属病院長人事での露骨な身びいき(2)
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そもそも朔学長は、シーズン2(「恐怖政治篇」)で既報の通り、不当で過剰な人事介入を行うことで医学部長時代から「札付き」といえるほどの悪評の持ち主である。
教授選考が行われるたびに、同期で腹心の眼科教授(「病院では患者を、教場では学生を、とにかく人を怒鳴り上げ罵倒する医者で、ある時期から病院にも教室にも『出禁』になっているほどの問題教授です」関係者C)を教授たちに差し向けて、恫喝まがいのやり方で投票行動を指図してきたことが知られる。
とくに問題視されてきたのは、「○○候補を落とせ」という指令である。朔氏の権力を脅かす存在になり得るような優秀な人材や、かれの言いなりにならなかった教授が推薦する人物などがその対象になった。とりわけ「九州大学医学部推薦の候補者は書類審査で落とす」というポリシーはあからさまで、「こんな出来レースに加担させられてばかりなら、うちからはもう優秀な人材を推薦することはできませんと言われた」(関係者N)ほどだ。
福岡大学医学部が推薦した候補者が「おたくの推薦は信用できない」といって断られた、地域の病院やクリニックから患者を紹介してもらえなくなった等の声も聞かれた。つまり、朔医学部長は、自分が率いる医学部の対外的競争力を低下させ、地域の医学界・医療界の連携にヒビを入れることも意に介さず、自身の権力固めに邁進してきたというわけなのだ。
そしていま、今度は西新病院が本来の使命を果たせなくなりつつある。
同病院は、移転した「福岡市立こども病院」に代わって福岡西部地区の小児医療の拠点となるよう、福岡大学が福岡市医師会から要請を受けて開設した病院である。開院初年度の福岡大学事業報告書にも、「福岡の西部地区には小児科の入院施設が少ない」という問題意識のもと、常時「小児科専門医が院内に待機」する体制で子どもの命を守っていくと謳われていた。それが朔学長の推薦で就任した後輩院長のもとで、重要ポストや常勤医師が循環器専門の人間で占められていった挙句、今年3月、小児科はとうとう廃止されてしまった。
朔学長のこうした病院長人事のうちに、「功労者」に対する「ご褒美」を見る関係者は少なくない。福岡大学病院長は、以前はかれの「候補者落とし」に異を唱えていたが、ある時期から積極的な協力者に転じたといわれる。西新病院長は、シーズン1(「『研究業績2636本』の実態」)でもお馴染み、長年かれに仕え、かれの「業績数荒稼ぎ」にも貢献してきた愛弟子氏だ。なお、閉院した「博多駅クリニック」の初代院長についても、かつてかれのスキャンダル隠しに一役買ったとの噂がある。
そんな情実人事も、病院部門については自身の福岡大学病院副院長の経験(2005年12月〜07年11月)を盾に押し通せたかもしれない。だが、まったく畑違いの部署にも同様の方針で臨むとすれば、それはもはや「大学の私物化」に他なるまい。いま福岡大学で進行しているのが、まさにそれなのである。
(つづく)
【特別取材班】
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