2024年12月23日( 月 )

維新分裂・橋下新党へ~狙いは「政治家引退」の撤回?

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oosaka 維新の党の創業者が党を去ることになった。維新と言えば橋下徹氏(大阪市長)、橋下氏と言えば維新という「個人商店」でもあった。橋下氏は離党表明の翌日から、橋下新党への動きを表面化させており、大阪維新の会を国政政党化し、安倍政権に接近することが予想される。

 すでに維新の党は、橋下氏の「個人商店」ともいえる関西グループと、形のうえでの全国政党とが役割分担をしているような状態。橋下氏は、寄り合い所帯の維新を解体し、純化路線をとるものとみられる。

 柿沢未途幹事長の山形市長選応援に端を発した党執行部と松井一郎顧問(大阪府知事)の対立から、橋下、松井両氏は8月27日、離党を表明した。民主党を含む野党再編か、安倍政権への傾斜かの路線対立のなか、野党再編派の松野頼久代表ら執行部と、政権寄りの橋下氏らとの亀裂は深まっていた。橋下氏、松井氏らが安倍政権寄りの姿勢なのに加え、憲法改正を狙う安倍首相には、参議院で3分の2の議席を占めるため、維新を取り込みたい思惑が見え隠れしていた。

 維新の党の歩みは、2010年4月に、大阪府知事だった橋下氏が大阪都構想をかかげて地域政党「大阪維新の会」を結成したのが始まりだ。
 2011年には、大阪府議選で単独過半数、大阪市議選で第1党と破竹の勢いを見せ、橋下氏が知事を辞めて大阪市長選に打って出て当選し、松井氏が府知事に当選。12年、国政政党「日本維新の会」を結党し、衆院選で54議席を一気に獲得。「第三極」の存在感を見せつけた。橋下、石原慎太郎両氏の共同代表体制を敷いたが、その後党勢は伸びずじまい。結局石原氏と袂を分かち、結いの党と合併して維新の党となった。
 現在の維新の党はもともと、民主党出身議員、結いの党出身議員、関西を地盤とした関西グループなどがいる寄り合い所帯だ。
 橋下氏の強烈な存在感とは対照的に、国会内では路線が政権寄りなのか対決野党なのか見えにくく、「第三極」の存在意義が埋没していた。
 「第三の選択」を示せず、「与党的な野党」「閣外与党」では存在意義は薄い。政権支持率が低下すれば、国会内で政権との対立路線の方が国民の受けがいいので、野党が対決姿勢を強めるのは当然の動きだ。安倍政権寄りの橋下氏らには、それが面白くなかったのだろう。
 安倍政権支持率の低下や安保法案反対の野党共闘などの動きに伴って、松野代表らは、橋下氏の離党でタガが外れたように民主党との合流も視野に野党再編の加速に動きそうだ。

 一方、橋下新党の視野にあるのは、「第三極」というより、11月の大阪府知事選・大阪市長選。「ダブル選挙に勝って、(大阪都構想を)バージョンアップさせたものをつくる」との発言に、橋下氏の本音が表れている。大阪都構想は5月の住民投票で否決されたが、性懲りもなく再挑戦しようとしている。
 橋下氏は住民投票後、「政治家引退」を明言し、会見で「100%ですか」と質問され、「2万%と言わせたいんですか」と断言していたはずだ。だが橋下氏は、「大阪の地方政治にしっかり軸足を移す」と発言しており、引退を撤回する意思があるのは明らかだ。

 橋下氏は、記者会見やブログ・SNSを活用した情報発信で、見解を市場(有権者)に投げかけながら、妥結点を探るという手法を駆使してきた。いわば、民主主義における「市場との対話」に長けているのが橋下氏だ。米連邦制度準備理事会のイエレン議長が利上げを匂わせながら、市場の反応を見ながらタイミングを計っているのに似ている。

 今回の離党表明も有権者の反応を探るために投げたボールの1つと言える。反応を見ながら、動くタイミングだと見ると、一気に新党をぶち上げた。さまざまなボールを投げながら、その先に狙っているのは「政治家引退」の撤回なのか。新党という橋下劇場第2幕は、「政治家引退」の12月で幕を閉じず、第3幕へのイントロになるかもしれない。

【秋山 広】

 

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