2024年11月24日( 日 )

知っておきたい哲学の常識(14)―日本篇(4)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

三浦梅園とは

宇宙 イメージ    江戸時代中期は日本思想史の頂点をなす。無論、当時の知識層の数は全人口からすればわずかで、思想史の頂点といっても、国民の大半はそれに関与していない。

 とはいえ、思想というものは同時代に影響をおよぼすとは限らず、後になってその価値を発揮する場合もある。江戸中期の思想は、その意味で重要なのだ。

 江戸中期には蘭学と国学という2つの流れが生まれた。江戸時代全体は儒教の哲学たる朱子学が支配的だったが、これは幕府の政策によるもので、それとは異なる流れが生まれたのだ。

 朱子学は天とか理とか一定の概念を前提として始まるが、蘭学はなにごとも実験しなくては本当かどうかわからないという科学的精神に基づく。概念の把握が難しく、雲をつかむような理屈だらけの朱子学より、ある意味わかりやすいのである。

 儒教といえば親孝行、主君への忠誠などを教えるものではないのかと思う人もあるだろうが、この単純な思想を難しくしたのが朱子学である。朱子学によれば、宇宙は天理によって運行する。その理をつかんで政治に応用すれば、主君に理あり、それに従う臣下にも理ありとなるのである。しかも、主君も臣下もそれぞれに心があるので、この心を修養すれば天下泰平となる。心を正せば、社会もおさまり、世界は秩序を維持できるというわけだ。

 朱子学が難しいのは抽象的な語彙が多く、しかもそれらが日本語ではなく中国語だからだ。江戸時代の知識人は中国語テキストの解読に明け暮れし、多かれ少なかれこれに毒され、あるいは飽き飽きしていた。そういう時に、オランダ船が西洋科学の書をもたらした。挿入されている精密な図画からして、なんとなく本当のことが書いてあるように見えたのである。

 そうなると、オランダ語を学んでみようという人が出てきた。アルファベットだから、文字だけなら漢字より速く習得できる。文法も語彙も日本語とはまったくちがうが、同じ人間の言葉だ、勉強すれば身につくにちがいないと判断し、少数ではあったがオランダ経由の科学書を読もうという人が出てきたのである。それが蘭学の始まりである。

 蘭学がなかりせば、日本が開国後すぐに西洋科学を輸入することなど、かなわなかったことだろう。今日の日本があるのは、少なからず蘭学のおかげなのである。明治の先覚者・福沢諭吉も蘭学から出発した。

 国学の方は、あまりにも中国に傾いていた知識界に反旗をひるがえした人たちが起こした。彼らは日本古典に帰れと呼びかけ、「古事記」や「万葉集」、「古今集」や「源氏物語」を研究し、中国文明に押しつぶされた大和の言葉と心を回復しようとしたのである。

 この学問・思想運動には一理も二理もあったが、偏狭なナショナリズムに陥る危険もあった。というのも、彼らのように儒教も仏教も排してしまったら、日本人に残るものはわずかである。そのわずかがいかにすばらしいものであったとしても、彼らは日本文化が大陸からの文明と土着の文化のハイブリッドであることを見逃していたのである。国学者には、真の日本文化とは何かという点での見誤りがあった。

 国学と蘭学が勢いをもち始めたころ、九州は国東に三浦梅園という男が出現した。この梅園は中国古代の陰陽の哲学に興味をもち、同時に蘭学の方法にも関心を抱き、それらの知識を総合して自分なりの宇宙論を展開した。まともな宇宙論がそれまでなかった日本において、彼は最初の哲学者だった。

 宇宙論が哲学なのかといぶかる人もあるだろうが、もともと哲学は宇宙論である。古代ギリシャの初期の哲学者たちは、いずれもが宇宙の原理を説いている。梅園の場合、その宇宙論が西洋の宇宙論とは異なり、また中国の宇宙論とも異なり、「宇宙の構造はこれこれです」というかわりに「宇宙はこう見ればこうなります」となっている。そこが独創的なのである。

 彼の究極の命題は「反観合一」である。「反して観ると複雑に、合せて観ると単一になるこの世界」という意味で、これが彼の哲学の骨子である。何を当たり前のことを言っているのだ、といわれるかもしれないが、哲学者とは、当たり前のことにたどり着くにも、さまざまな可能性を考え、それらを吟味して、ようやくそこに到達する人たちなのである。梅園の場合もそういう手続きを踏んでいたことが、彼の書いたものからわかる。

 世界は多様性に満ちている。そこには対立もあれば、矛盾もある。しかし、これはそう見えるように私たちが世界を見ているからである。一方、多様性の向こうに共通性を見つけ、その共通性の方に注目すれば、こんどは世界は1つになって見えてくる。したがって、世界は多様であるとか、統一されているのだとか、言い張って喧嘩をする必要はなくなるのである。

 三浦梅園から学ぶものがあるとすれば、私たちの視点に応じて世界は変わるということであろう。江戸中期のこの哲学者に、今からでも感謝しよう。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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