2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(15)─日本篇(5)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

宣長を知らないわけには

未開の地 イメージ    本居宣長といえば江戸後期の国学者として知られる人物で、その影響力は明治以降にもおよんでいるといわれる。では、彼はどんな考え方をもっていたのか。

 まず言えるのは、国粋主義者だったということである。日本が世界で最もよい国と固く信じ、そのことを知らない人々を外国かぶれの愚か者と弾劾したのである。

 そんなこといっても、鎖国時代だったから彼は世界のことを知らなかったのではと言われれば、その通りである。彼には「井の中の蛙」的な面が、たしかにあった。

 では、彼は単に愛国心が強かっただけかというと、愛国心はある程度自然な感情であるのに、宣長の場合は日本だけがすばらしい国だと確信していたのであるから、これは愛国心以上である。ではいったい、その確信はどこからきていたのか。

 江戸時代の多くの知識人同様、彼も中国の古典を学んだ。しかし、そこから得た結論は、中国文明は人間を悪くするもので、その根底は嘘だらけであるから、これを学ぶとかえって心が穢れてしまうというものだった。つまり、中国文明をありがたがっているうちに、日本人はダメになったと見たのである。

 たしかに文明には垢のようなものがあることはたしかで、宣長が純潔を守りたかった気持ちはわかる。しかし、どうみても彼の見解は物事の全体を見ずに、一部分のみを見ることからくる偏狭さをもっている。それでも、この偏狭さが、不満を抱いている青年などには魅力的に映ったようだ。幕末になると攘夷論が現れ、中国にかぎらず西洋も含めすべての外国は穢れた存在だという思想が勢いをもつようになるが、その源に宣長の国粋主義があったといえるのである。

 彼の過激な思想は過去のものであって、現在の日本には関係ないと言う人もいるかもしれない。しかし、今日の日本にも宣長路線を支持する国粋派はいるにちがいない。ただし、そこまで極端に走れば周囲から怪しまれると危惧し、現代の国粋派は「クール・ジャパン」とか「リスペクトの国ジャパン」といった、日本に迎合する欧米人の声を使って自らを武装するのである。彼らの本音は宣長と同じなのだが、それをオブラートに包んで国際派を装うのだ。

 宣長によれば、日本人は昔から正直者で、心が純粋である。それだけではない、日本人は自然の情を尊び、それを歌にして表現することを知っており、論理や道徳など必要ともしないのである。はたして、この日本人観、ほんとうに正しいだろうか。

 まず、彼のいう日本人の美質は世界中の「未開社会」に共通するものである。したがって、これを日本人だけのものとは言えない。鎖国時代だから彼の視野が狭かったことは仕方ないにせよ、日本人だけが純潔を保っていると言い切るのは思慮がなさすぎる。

 それに、彼のいう日本人の美質は、文明世界と接するまでは保たれていたかもしれないが、すでに過去のものである。彼は中国文明も仏教も知らなかった日本に戻りたかったのだろうが、所詮それは不可能である。

 もうひとつ言えるのは、宣長が日本人の美質に目覚めたのは、彼が中国の文明の影響を受けていたからである。彼の日本擁護の論は、それ自体が彼の嫌う文明の産物であり、彼が文明を知らない純朴な日本人であったなら、到底思いつくこともなかったのである。彼の言っていることは筋が通っており、そこには論理がある。そのような論理は、彼がたたえる日本らしさとはそぐわないものなのである。

 つまり、本居宣長という人物は大きな矛盾の塊である。だが、そうであればこそ、私たちは彼を知らないわけにはいかない。というのも、彼の抱えた矛盾はそのまま近代日本人の、すなわち私たちの矛盾だからである。彼を知ることで、私たちは自分たちの抱えている問題を自覚できるのであり、それとどう対処すべきかを考えさせられるのである。

 それに、宣長には「もののあはれを知る」というすばらしい思想もある。「もののあはれ」とは折に触れて感動することをいうのであるが、その感動を彼は「知る」こと、すなわち意識することが大切だと言っている。自らが生きていて感動するそのとき、このことを意識してそれを言葉に表現できれば、そのときこそ、人は人らしくなれるというのだ。

 彼が恋愛を人生の最大の出来事としていることも、私たちに人生の意味を考えさせる。なぜ恋愛を重視したかというと、人は恋をするときにさまざまな感情の葛藤を経験するのであり、そのような葛藤を知らなければ、人として成熟できないと考えたからなのである。このような近代的というか浪漫的というか、そういう思想家が日本に誕生したことはやはり重要である。本居宣長は知るに値する思想家なのだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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