知っておきたい哲学の常識(28)─西洋篇(8)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
ヴォルテールを忘れるな
ある夏のこと、小さな城をもつというフランスの老人に招かれてボルドー近郊の村へ行った。城といってもフランスでいうシャトーであって、日本語に訳せば館(やかた)である。
庭には鬱蒼と樹木が生え茂り、花は少なかったが小さな池があり、そのさらに向こうには広大な緑の原が広がっていた。ヨーロッパにはこんな館に住む貴族みたいな人が今でもいるのかと、今さらながら驚いた。その老人は威張るでもなく、ただ上品であった。
夕暮れどき、少し散歩しましょうと誘われて一緒に池の周りを歩いた。そのとき、彼はふとこんなことを漏らした。「フランスはだめですな。落ち目も落ち目。時代がすっかり変わりました。アメリカの時代だ。」
元気づけようというわけではなかったが、私はこう言った。「フランスにかぎらずヨーロッパ全体が落ち目ですね。でも、現代世界の基本的価値観は全部フランスがつくったということは事実ですよ。人権思想、信教の自由、教育の機会均等などなど。どれもフランスの啓蒙思想が生み出したものです。」
老人はうなずいた。しかし、その顔は相変わらず曇っている。「啓蒙の時代ですって?そんなの、200年も前のことですよ」とぽつりと言った。
一般に哲学史は個々の哲学者に光を当てがちだが、紀元前5世紀ごろのギリシャ、春秋戦国時代の中国、18世紀のフランスが哲学史の華である。さまざまな思想が出そろい、互いに火花を散らした時代だ。
古代ギリシャといえばプラトンとアリストテレスとなるけれども、この2人はそれまでの哲学のまとめ役で、ソクラテス以前の多彩な顔ぶれこそ豪華である。中国の場合は「諸子百家」と呼ばれ、さまざまな面々がそれぞれの世界観を提示した。一方、現代に直接つながるフランスの啓蒙時代はヴォルテールとかディドローとかルソーとか、これまた錚々たるメンバーなのである。彼らが演じた人間劇、思想劇は見応えがある。これこそドラマだと思わせるものがある。
思うに、こうした時代は安定した時代ではなかった。しかし、人々には活力がみなぎり、それぞれの言語がぶつかり合って「考える」ことの凄さを示したのである。私たちがすべきは、多彩な彼らのなかから1人を選ぶことではなく、全体の合唱を聴きとることであろう。この合唱こそ、過去の人類が私たちに遺したほんとうの財産なのである。
とはいえ、フランス啓蒙思想にかぎっていえば、私はヴォルテールが好きだ。欠点も多いが、それを隠そうとしなかった人だ。いつも本音で勝負するところが小気味よく、彼がもたらした思想は今でも宝石のように輝く。
若いころ彼は時の権力者を揶揄して国外追放となり、そのおかげでイギリスに渡った。彼の地でフランスとはまったく異なる文化に接し、その美質を堪能し、母国に帰ると早速英国をダシにフランス批判を始めた。その切れ味の抜群なこと。見事な役者である。
ヴォルテールといえば寛容の思想で知られる。子どものころカトリック教徒たちが大勢のプロテスタントを虐殺した聖バーソロミュー事件の話を聞いて、体の震えが止まらなかったという。三つ子の魂百まで。生涯を宗教的寛容の実現に捧げた。
彼の書いたものにはイスラム教徒や儒教学者やヒンズー教徒や神道の神主(ヴォルテールはカヌシと呼んでいる)まで出てくる。世界には五万と宗教があり、それぞれ真剣に信じている人がいるのだから、これらを尊重しなければならないというのである。この視点は宗教が理由で人を殺す人が後を絶たない以上、今でも有効である。
宗教はそれを信じ込むとほかが見えなくなるという危険性をもつ。一神教の場合はほかの神を認めないのだから、なおさら危険である。もし日本人が一神教信者であったなら、仏教が現れてもこれを新たな神として迎え入れることなどできなかったろう。そのかわりに、血なまぐさい争いが起こったはずだ。
ヴォルテールの思想は相対主義とも呼ばれる。世界各地それぞれに歴史が異なり、文化も違うけれども、それらは等価なのだという考え方だ。これまた現代には貴重な考え方で、グローバル化の名の下に世界全体を1つの文化にしてしまおうとする勢いは、この観点から止めなくてはならない。
グローバル化は経済的な運動であってそこに思想はない、などと言うなかれ。そこには思想的な諸前提があり、たとえば幕末に日本に開国を迫ったペリー提督の論理にそれが現れている。ウクライナ戦争にしても、これを欧米先進国の価値観だけで判断するのは危険であろう。
日本はアメリカの忠実な家来としてウクライナを支持し、ロシアを敵国視しているが、そこまでする必要がどこにあろう。まずは中立性を保ち、ヴォルテール流の相対主義の理念を大切にしてはいかがなものか。老子様なら、これを「悪玉も善人、善人も悪玉」とでも言ったであろう。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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