時代の先を見据えてきた近鉄エクスプレスのグローバル戦略と展望(前)
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運輸評論家 堀内 重人
日本のフォワーディング業界において、日本通運、郵船ロジスティクスとともに御三家と呼ばれる近鉄エクスプレス。1948年に近畿日本鉄道(近鉄)の国際貨物部門として業務を開始したことに始まる。当初は業務局観光部の管轄であったが、航空事業の将来性を見極め、航空貨物を専門に取り扱う日本初の会社となった。本稿では、この近鉄エクスプレスの沿革と今後の展望について論じたい。
日本初の航空貨物専門会社
近畿日本鉄道が航空貨物事業を開始した当時は、まだ敗戦の影響が色濃く残る時代であった。鉄道会社はどこも、それこそ国鉄・民鉄問わず、戦火で被災した路線・車両の復旧で精一杯であり、近鉄もようやく全車座席指定の特急電車の運転を開始した時期であった。そんな時代にもかかわらず、近鉄の経営陣はすでに航空事業の将来を見据えていた。
彼らはまず、外国の航空会社のフォワーダー事業に乗り出した。自社で航空機を所有して運送事業を行うのではなく、荷主と直接契約して輸送を取りつぐ事業、つまり航空代理店業である。その後、航空フォワーダー事業は55年に新たに設⽴された(株)近畿⽇本ツーリストへと引き継がれた。
折しも日本は⾼度成⻑期を迎えていた。海外とのビジネスの機会が増え、航空貨物輸送の重要性は⾶躍的に⾼まった。そして、大阪で万国博覧会が開催された70年1⽉、近畿⽇本ツーリストから分離するかたちで、近鉄エクスプレスの前身である「近鉄航空貨物(株)」が設⽴されたのだった。
航空貨物を専門に取り扱う日本初の物流会社の誕生である。同年10月には単独混載の免許を取得し、グループ混載から離脱する。結果的にこれが飛躍の原動力となった。
現在の社名になったのは89年。業界ではKWE(Kintetsu Worldwide Express)として知られている。2000年には東証一部へ株式を上場したが、22年の近鉄グループホールディングスによるTOBにより上場廃止となった。同時に、同社の持分法による関連会社から、連結子会社というかたちで完全子会社化されている。
いずれにせよ、近鉄エクスプレスの国際化を⾒据えたビジネス展開は、設⽴当時からこんにちに⾄るまで、同社の変わらぬアイデンティティーとなっている。
時代の先を見据えた事業展開
実際、常に時代の先を見極め、大胆に行動に移すその経営手腕には驚かされる。たとえば1978年、業界で初めて輸出業務のコンピュータシステムをオンライン化した。84年には物流情報管理システム「ひまわりシステム」の運用を開始。94年には品質管理部門でISO9002の認証を日本の物流業者として初めて取得している(2003年にISO9001へ認証変更)。
また、外資系荷主の顧客基盤を固め、戦略的な顧客開拓を行ってきたことも大きな特徴だ。中国では日系フォワーダーのなかでも最大級のネットワークを有する。15年にはシンガポールの物流会社APL Logistics Ltd(APLL)を買収。これにより、米国の自動車メーカーや大手アパレル、大手流通など、APLLが持つ欧米系顧客基盤を生かすことが可能となった。
最近では、創業時から一貫して手がけてきた航空貨物輸送に加えて、海上貨物輸送からロジスティクスまでのワンストップによる複合一貫輸送サービスを提供している。こうして近鉄エクスプレスのフォワーディング事業はますます拡大している。
業界に先駆け中国・米国へ進出
いち早く海外進出したのも近鉄エクスプレスである。
1969年4⽉、同社の前身である近畿⽇本ツーリストの航空貨物事業部は、⾹港に業界初となる現地法⼈を設⽴した。これは、米系の雑誌出版社の日本法人が、印刷部⾨の拠点を⽇本から⾹港へ移す計画を進めていたことと関係している。印刷部門の拠点を移せば当然、印刷物の輸送が必要となる。その輸送業務を近鉄航空貨物に委託したのだが、そのさいの条件が、⾹港における現地法⼈の設⽴だったのだ。
近鉄航空貨物はこれを海外進出のチャンスと捉えた。そしてただちに⾹港法⼈(KWE⾹港)を設⽴し、事業を開始した。
同年5⽉には⽶国の現地法⼈・KWE⽶国を設⽴する。当時は⽇系荷主を追ってニューヨークへ進出する同業者が多かったが、近鉄航空貨物はあえて⽶系の製造業が集積する中⻄部のシカゴへ進出し、⽶国における新規ビジネスの開拓に邁進したのだった。
(つづく)
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