なぜ、週刊文春ばかりスクープを連発できるのか(後)
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『週刊現代』元編集長
元木 昌彦 氏『週刊文春』(以下、文春)一強時代である。新聞、テレビ、週刊誌を含めた雑誌、ネットメディアなどのなかで文春の情報収集力と取材力は群を抜いているといっていい。文春は、多くの修羅場をくぐり抜けてきた記者たちやノンフィクションライターたちを多く抱えているから、当然ではある。だが、彼らも情報がなければ動けはしない。文春が一番優れているのは「情報収集力」だと思う。なぜ、文春にばかり情報が集まるのか。それを考えてみたい。(7月上旬脱稿、文中敬称略)
なぜ文春一強なのか
ところで、この10年間を眺めてみても、スクープは常に文春から放たれてきたといってもいいだろう。
ではなぜ、文春だけにスクープ情報が集まるのだろうか。04年に『噂の真相』という雑誌が惜しまれて休刊したことが大きいと、私は考えている。覚えている人も少なくなったが、この雑誌をやっていた岡留安則は、自分のところに来る情報は全部雑誌に掲載するという方針で、特集で扱えない情報は、見開きページの両端に一行で掲載していた。当然、なかには不確かで危うい情報もあるのだが、岡留は委細かまわず載せた。インターネットが普及してくると、誌上に載せきれない危うい情報をHP上ですべて公開したのである。
ゴシップ雑誌と軽んじられていた同誌だったが、1999年には、当時の東京高検検事長の女性問題をスクープし、朝日新聞が1面でこれを取り上げ、検事長辞任につながった。
以来、同誌にはさまざまな情報がもたらされ、部数を大幅に伸ばした。だが、名誉毀損で訴えられることも多くなり、賠償額も増えた。寄せられた情報をすべて掲載するにはリスクが大きすぎたため、岡留は突然休刊を宣言したのである。「噂真」がなくなり、同誌に寄せられていた情報はもっていく先を長い間失ってしまった。
文春の編集長になった新谷学は、これからは「スクープ一本でいく」と狙いを定め、2014年には「週刊文春デジタル(後の文春オンライン)」に読者からの情報を求める「文春リークス」を開始した。
新谷が岡留と違っていたのは、持ち込まれた情報を精査し、「行ける」となれば徹底的な裏取取材をしたことだ。新潮を除いて現代、ポストは経費削減のため老人情報雑誌になっていたから、行き場を失っていたあらゆる情報が文春に流れ込んだのである。そのなかには、20年に「文春オンライン」が放った、東京高検の黒川弘務検事長(当時、63)が、産経新聞社会部記者、朝日新聞社員と賭けマージャンをしているという情報もあった。これは産経新聞の某記者が文春リークスにタレ込んだことで取材が始まったといわれる。
では、なぜ新潮には文春のように情報が流れないのか?私はイメージの差だと思う。新潮は昔から“硬派”で近寄りがたいところがある。実際、新潮編集部はやや閉鎖的で、我々同業者でも入っていきにくい雰囲気がある。それに比べて文春は、昔から女性読者が半分いるといわれ、若いアイドルたちの芸能スキャンダルも数多く掲載してきた。そうした「明るさ」「敷居の低さ」が文春にはある。これは私の推測だが、女性からの情報提供も多いのではないか。
我々のころは、情報提供といえば、電話か新聞を切り貼りして出所がわからないようにした手紙が主だった。提供する側も、手間と覚悟を強いられるものだった。だが今は、ネットで簡単に情報提供することができるようになった。
文春には、企業内のパワハラ、セクハラの記事が多いが、これも推測だが、女性たちからの「怒りの情報提供」が多いからだろう。情報は週刊誌の命である。ほとんどの週刊誌が窓口を設けて情報提供を呼び掛けているが、文春以外は苦戦しているようだ。
多くの寄せられた情報のなかから、これはと思う情報を探し出し、予備取材をする。「行ける」となれば精鋭をそこに投入して、徹底的な裏付け取材を行い、疑惑の相手を直撃して、そのときの答え方、表情などを観察する。新聞、テレビも含めたメディア全体のなかで、圧倒的な情報量を持つ文春の一強時代はまだまだ続くと思う。
文春一強では続かない
だが、文春とて万能ではない。毎週の誌面を読んで感じるのは、原発新増設や異次元の防衛費増額、憲法九条改悪問題にはあまり関心がないように思う。
自民党の個々の政治家のスキャンダルには熱心だが、自民党独裁体制を根底からひっくり返してやろうという、強い“意志”はないように思える。それは発行元の文藝春秋がやや保守的な体質だからだろうか。
かつて評論家の丸山邦男は週刊誌の役割についてこう言った。「週刊誌の今日に期待するものは、管理社会のなかで口や眼を封じられているふんまんを、弱き者の味方となって自分たちの眼の壁を破ることではないか」。多くの週刊誌が忘れ去って、顧みようとしない“原点”である。
メディアに一強はいらないと私は思う。新潮、テレビ、週刊誌、ネットメディア、お互いが批判し合い切磋琢磨しなければ、この国の言論・表現の自由はさらに危ういものになる。
だが、『週刊朝日』が5月に101年の歴史を閉じた。『サンデー毎日』も青息吐息であろう。週刊誌時代の終焉は思ったより早いかもしれない。いかに文春といえども、その流れを押しとどめることはできまい。雑誌の歴史に鑑みても、一誌だけでは存続ができないというのが業界の“常識”である。
ここ1、2年で週刊誌というメディアがすべて消え去ることになるかもしれない。
(了)
<プロフィール>
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に講談社を退社後、市民メディア『オーマイニュース』編集長・社長。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。現在は『インターネット報道協会』代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。法人名
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