2024年11月21日( 木 )

【倒産を追う】山形屋、事業再生ADRで再建へ 百貨店縮小、避けられず

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(株)山形屋

 鹿児島市の老舗百貨店、山形屋は私的整理の1つである事業再生ADRによる経営再建に乗り出す。長期の業績不振で財務体質が悪化、自主再建を断念した。福岡市などの大都市百貨店が富裕層消費の拡大とインバウンド復活で活況に沸くのとは対照的に、人口減と地域経済の疲弊にあえぐ地方百貨店の苦境が浮き彫りになった。再生の道筋は厳しく、大規模なリストラは避けられそうにない。江戸後期、1751年の創業以来、連綿と続いてきた創業家によるオーナー経営が終わりの始まりになる可能性がある。

借入返済を猶予

山形屋外観
山形屋外観

 昨年12月、山形屋と宮崎山形屋、山形屋商事、山形屋ストアなどグループ17社が事業再生ADR(裁判外紛争解決)を第三者機関の事業再生実務家協会に申請し受理された。

 山形屋が5月10日にホームページで発表した「今後の経営改善に向けた取り組みに関するお知らせ」によると、近年の大型商業施設の進出で競争が激化する一方、本店の耐震工事などの設備投資を実施した矢先での新型コロナ感染で経営環境が急速に変化していると説明。そのうえで持続的な経営を目指し、主取引銀行の鹿児島銀行をはじめとした取引銀行と協議し事業再生ADRの準備に入った、と表明した。銀行団との協議で収益性の確保や資本増強などを目的とした「事業再生計画案」を策定する。

 同案の骨子は①ホールディングス(持株会社)制を導入しグループ会社を再編する。②鹿児島銀行などから計3人を役員に迎え入れる。③岩元純吉会長(56)と岩元修士社長(54)は報酬を全額カットする。④借入金の一部を株式化するとともに250億円の借入金について5年間の返済を猶予する、といったものだ。

 5月下旬に開く債権者会議で協議され、債権者全員が同意すれば成立する。事業再生ADRは会社更生法や民事再生法の法的再建と異なり、取引先に負担をかけずに再建を図る手法で、流通企業では2010年にユアーズと子会社の丸和が申請・受理された例がある。

長期低迷で財務悪化

 業績は長期低迷が続いている。23年2月期の旧基準による売上高は367億1,400万円(収益認識による新基準は158億4,000万円)で、10年前に比べ116億円減、4分の3に減小した。なかでもコロナ禍による落ち込みが激しく、21年2月期は312億1,400万円と前期比で約110億円、26%減少した。22年、23年と回復に転じたが、24年同期も400億円には届かなかったと見られる。

 利益は超低空飛行を続けてきた。23年2月期までの過去10期間中、経常損益は6期、最終利益は7期がそれぞれ赤字だった。経常黒字だった4期間も、売上高経常利益率が1%を超えたことはなく、大半が収支トントンをかろうじて上回る水準だ。

 財務体質は悪化の一途をたどっている。もともと財務体質は弱体だったとはいえ13年2月期末に10.0%あった自己資本比率は23年同期末には1.1%のマイナスに転落。有価証券の評価益5億900万円を計上することで純資産2億2,700万円とかろうじて債務超過を免れた。24年2月期は不明だが、債務超過に転落した可能性が大きい。

インバウンドの恩恵なく

 長期の業績不振にもかかわらず経営難の表面化を免れたのは、鹿児島市中心部の天文館に保有する本店敷地の含み資産と、何と言っても江戸時代後期の宝暦元年、呉服店として創業以来270年を超える歴史で築かれた信用と地元市民の愛顧によるものだろう。鹿児島県では数少ない大企業であり、2代前の故・岩元恭一社長は鹿児島商工会議所副会頭を務めた。

 業績の長期低迷は地方百貨店に共通する。人口減と地域経済の疲弊に加え、コロナ禍で大打撃を受けた。東京、名古屋、大阪、福岡の大都市百貨店が富裕層の消費拡大とインバウンド復活でいち早くコロナから立ち直っているのに対し、地方百貨店はそうした恩恵をほとんど受けていないのが実情だ。

 100万人近い人口を抱える北九州市の井筒屋ですら、24年2月期は売上高225億2,100万円と0.2%の減収で、経常利益は9億4,700万円と11.9%減った。トキハはさらに厳しく、24年2月期のテナントを含めた総売上高は536億円と3.0%増にとどまり、経常利益は5億3,900万円の黒字から8,600万円の赤字に転落した。

 対照的に絶好調なのが福岡市の3社。博多大丸の24年2月期(国際会計基準)は売上高が157億円と11.5%増え、営業利益(国内基準の経常利益)は前年の1億900万円の赤字から6億5,900万円の黒字に転換した。

 岩田屋三越の24年3月期の総額売上高は13.6%増となり、経常利益は27.1%増の36億4,000万円と過去最高になる見通しだ。博多阪急の24年3月期の売上高は23.0%増の451億8,400万円とコロナ禍前を上回り、開業以来最高を記録した。3社とも富裕層向けの高額品が好調だったことに加え、外国人観光客の売上が大幅に増え、構成比が1割を超えた。

商業環境が変化

 山形屋の長期低迷は商業環境の変化も一因。鹿児島市では九州新幹線鹿児島中央駅に隣接して04年に開業した「アミュプラザ鹿児島」が家族連れや若者を中心に人気を集め、14年には新館を建設し店舗面積では山形屋を抜いて市内最大になった。JR九州はさらに23年4月、中央駅西口に専門店、スーパー、飲食店、クリニックなどの入る11階建ての複合商業施設を建設した。

 九州新幹線開通と駅前再開発を機に天文館集中型だった市の商業地図が大きく塗り替わったとされる。山形屋は九州新幹線開通に合わせJR九州から西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)に建設する商業施設への進出を打診されたが、採算難と投資負担の過大さを理由に断念した。結果として商業環境の変化に対応を誤ったことは否定できない。

経費削減追い付かず

 業績悪化に手をこまねいていたわけではない。減収には経費削減で対応、販管費を14年2月期の118億5,800万円から23年同期には84億3,500万円と9年間で29%削った。主として人件費で、期末正社員数は14年2月期の719人から22年同期に538人に削減した。売上高は9年間で24%減っており、販管費削減はほとんど焼け石に水だったことがわかる。

 過去10年間、販管費減にもかかわらず収益構造はむしろ悪化している。14年には粗利益率25.46%で、販管費率24.67%、経常利益率0.27%だった。粗利益率はその後、低下する一方で、旧会計基準で最後の22年2月期には22.68%と8年前比で2.78ポイント悪化した。

 粗利益率が一貫してダウンし続けたのは、人員削減で自社の従業員を置かない委託販売の売場が増え、取引条件が悪化したためと推察される。アパレルなどの取引先は販売員の人件費を負担するため、小売価格に対する掛け率を上げるからだ。
 旧会計基準による百貨店の粗利益率に大差はない。21年度決算では井筒屋22.83%、博多大丸21.77%、鶴屋百貨店22.91%だった。委託仕入が大部分を占め、販売も取引先に委託する場合が多いためだ。

 販管費率はコロナ禍で売上が大幅に減った21年2月期に27.61%に跳ね上がったのを除くと、23~24%台でほとんど変わらない(【図2】参照)。22年2月期は23.72%で、14年同期比で0.95ポイント改善されたのはコロナ禍の落ち込みによる反動で売上が12.9%増と大幅に増えためで、20年の23.58%からは上昇している。

構造改革に踏み込めず

 人件費を筆頭に販管費削減に努めたものの、減収に追い付かなかったことがわかる。言葉を変えると構造改革まで踏み込めず、経営改善が中途半端だった。ある取引先は「老舗企業に多いおっとりした社風で、希望退職募集などの思い切った改革はできない」と話す。根幹には創業家の温情主義があると指摘する。地方都市ではリストラを行うと非公表でも地域社会に口コミで広がる。山形屋の人員減の大半は定年退職などの自然減だったと見られる。

 九州の百貨店では、福岡三越との合併で人員の膨らんだ岩田屋三越が12年3月、早期退職募集で正社員約280人、契約社員などを含めると計約480人を削減。さらに18年にも久留米店別館閉鎖と同本館縮小で非正規を含め約130人を減らした。同社はその後コロナ禍でも人員削減し、一連の構造改革が23年3月期に業績のV字回復をはたす原動力になった。博多大丸は23年春に早期退職を募集したが、削減数は明らかにしていない。

リストラは不可避

福岡市と同市以外の百貨店の格差は拡大の一途
福岡市と同市以外の百貨店の格差は拡大の一途

    再建の行方には不透明感が漂う。地方百貨店を取り巻く経営環境は厳しく、銀行主導の財務リストラで乗り切れるほど甘くはない。

 九州地区百貨店の23年度の売上高は4,476億円と10年前から14.6%減少した。とはいえ、減ったのは福岡市以外で13年度の3,259億円から2,106億円と35.4%落ち込んだ。福岡市は博多阪急が加わったこともあって1,983億円から2,370億円と19.5%増加した。福岡市一極集中の基調は今後も変わらない。

 山形屋の予想される再建シナリオは①鹿銀主導による現百貨店体制を維持したままの再建、②投資ファンドを含め新たなスポンサーを探す、③直営売場を削減し専門店ビルに業態転換する──の3つ。いずれの場合もリストラは避けられない。

 ①は百貨店経営に素人の銀行がはたして再建できるかどうかの疑問がつきまとう。③のように業態転換を図る場合も、専門企業を導入することが必要になる。②は衰退業種の百貨店を支援する企業が現れるかどうかが問題。佐賀玉屋では京都市の不動産会社が支援することになったが、百貨店から事実上撤退する。鹿児島では百貨店の廃業は市民感情が許さないだろう。最も実現性の高いのは山形屋の看板を掲げたままで百貨店を大幅縮小し実質的には専門店ビルに転換する③となる。

最後の創業家支配

 岩元家のオーナー経営は見直しが不可避だ。同社は岩元恭一社長の後、長男の純吉氏、次いで次男の修士氏が継いだ。修士氏は営業本部長を兼務しており、経営責任は免れない。
 佐賀玉屋は新スポンサーの決まったのを機に1月、田中丸雅夫社長が退任、創業以来の田中丸一族による支配に終止符を打った。岩元家が退陣すると、九州の百貨店からオーナー経営は姿を消す。

【工藤 勝広】


<COMPANY INFORMATION>
代 表:岩元 修士ほか1名
所在地:鹿児島市金生町3-1
設 立:1917年6月
資本金:1億円
売上高:(23/2)158億4,000万円

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