2024年06月30日( 日 )

30年で変化、多様な表情の「唐人町」(前)

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 福岡市中央区の西北部に位置する唐人町周辺は、古くから住宅街として発展してきたまちだ。しかし、この30年ほどの間に地行浜に「みずほPayPayドーム」や「MARK IS 福岡ももち」などの複合商業エリアが形成されるなど大きな変化がみられた。「こども病院跡地」の再開発も控え、今後もまちのかたちはさらに変化しそうだ。

歴史が息づく下級武士のまち

 ここでは唐人町のほか、福岡市地下鉄空港線の「唐人町駅」から徒歩圏内にある地行、今川、黒門、福浜、荒戸、大濠、西公園の一部の地区を含め言及する。

 まず、中核となる唐人町について、その歴史的成り立ちを確認しておきたい。その町名の由来は明らかではないが、貝原益軒によって記された福岡藩の地誌・筑前国続風土記(1703年)に「其始高麗人住せり」、同じく筑前国続風土記拾遺に「往古は唐船が泊まりしゆえ、如此名あるよし」という記録がある。江戸時代に唐津街道沿いに町家が建ち並び、これが現在の唐人町商店街に発展したとみられている。唐津街道はここから一度、明治通りを越え、黒門地区や今川地区を貫き、早良区の西新を経てさらに西へ続いている。

 江戸時代には、大名周辺エリアが上級武士の居住地であった一方、唐人町周辺エリアは下級武士が居住するエリアだった。1784年には、同町に儒学者・亀井南冥(なんめい)による西学問所(藩校)「甘棠館」が設立されていたが、後に焼失し廃校となった。その跡地には今、「唐人町プラザ・甘棠館」があり、これは店舗とマンション(唐人町パークハウス)、小規模劇場などの複合施設となっている。

 今川地区には、幕末の志士で西郷隆盛らとの交流があった平野国臣の生家跡(平野神社)や、明治・大正・昭和期に活躍したジャーナリスト・政治家の中野正剛の居住地跡(荒戸地区には生家跡)がある。ちなみに、その中野の銅像は居住地跡に隣接する鳥飼神社にある。この神社は1,800年の歴史を有するが、2022年の式年遷宮でモダンな神社建築へ変化した。このほか、唐人町は(株)ヤクルト本社の創業地でもあり、明治通りからドーム方面へ続く「ホークスとうじん通り」沿いの「代田保護菌研究所」があった場所には、その記念碑が設置されている。このように、唐人町周辺には江戸時代から近代までの歴史を伝えるものが残っている。

 唐人町商店街、地行浜を除き、ほとんどが住宅街で、福岡市の資料(23年)によると当仁、南当仁、福浜の各校区を合わせた人口は3万8,507人、世帯数は2万2,263世帯となっている。また、周辺には西日本短期大学、福岡大学附属若葉高等学校、福岡教育大学附属福岡小学校、同中学校、福岡市立当仁(とうにん)小学校、同当仁(とうじん)中学校、同南当仁(みなみとうじん)小学校、同福浜小学校、専門学校が点在しており、このことから西新エリアと合わせて文教地区としての評価が定着している。

宿泊環境の充実で目立つ外国人の姿

 交通の便はすこぶる良く、福岡市地下鉄(空港線)・唐人町駅から、天神駅・博多駅・福岡空港駅まで直通で10~20分以内。西鉄バスも併走しており、福岡市中心部へ気軽にアクセスできる。また、徒歩圏内には隣駅の西新駅、大濠公園、西公園、舞鶴城公園などがあり、そうした環境を求めて市内外、県外からの居住地として注目度が高い。

「ワンズホテル福岡」の外観
「ワンズホテル福岡」の外観

    唐人町駅周辺では近年、外国人旅行者の姿も目立つようになっているが、これは大濠公園や舞鶴城公園などの観光地が近いことのほか、宿泊環境が整ってきたことが要因の1つだ。具体的には、地行浜の「ヒルトン福岡シーホーク」、明治通り沿いの3軒のビジネスホテル(ワンズホテル福岡、平和台ホテル5、ホテルニューガイアドーム前)、西公園の海側には「ホテルポートヒルズ」もあり、住宅街のなかにはアパートから衣替えした小規模な民泊施設も点在している。

虫食い開発による商店街の下町風情

 まちの中心地と位置づけられる唐人町商店街は、200m~300mほどのアーケード街に約100軒の店舗が建ち並び、そのほぼすべてが個人店であることが特徴である。その商店の経営者で、かつて商店会の会長を務めていた人物によると、「唐人町商店街は商店主を中心とした地主の影響力が強く、これまでに大手フランチャイズ店などの進出の打診があったものの、ことごとく排除されてきた歴史がある」という。そうした動きが福岡市内を代表する「上川端商店街」(博多区)や「新天町」(中央区)、「西新商店街」(早良区)などと一線を画する、良い意味でも悪い意味でも下町の風情が色濃く残る状況をつくり出してきた。このため、商店街の利用者は地元住民がほとんどであり、平日は夕方を過ぎると人通りの少ない商店街に様相を変える。

 商店街の地主層の意向や状況は、商店街周辺の開発にも強く反映されてきた。そのため総合的な開発ではなく、虫食い状態による開発に終始し、それがそこかしこに昭和の風情を残した商店が散見される状況をつくり出している。とはいえ、昨年には唐人町1丁目、明治通りと商店街に面した「グランドメゾン大濠公園THE TOWER」(地上22階、総戸数99戸)が竣工し、まちの新たなランドマークとなるなど、まちの景観と雰囲気は大きく変わりつつある。商店街の東側入り口では建替えに向けた新たな空き地もあるなど、ところどころで新たな開発の動きが散見され、その行方が注目されるところだ。

 グランドメゾンを代表例に、周囲は中高層のマンションが林立しており、多くの人々が居住しているが、商店街の北側からよかトピア通りに至るエリアは、中層マンションなど共同住宅と戸建住宅、当仁小学校、平安時代から約1,000年の歴史と福岡県内初の木造五重塔がある大圓寺など寺院が入り交じる、閑静な住宅街が形成されている。そして、唐人町地区の一角を占めるのが、「こども病院跡地」である。

(つづく)

【田中直輝】

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