2024年12月04日( 水 )

【クローズアップ】「コバエ」の大量発生で先行き不透明に 嘉麻市の「昆虫産業都市構想」

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 福岡県嘉麻市は1960年代のエネルギー革命以降、それまでの石炭産業に代わる新たな基幹産業づくりを模索してきた。そのなかで近年、「昆虫産業都市構想」が浮上し、特命政策として実現に向け動いてきたが、今年4月、その構想の先行きを不透明にする事態が発生した。「コバエ」がその基礎研究施設周辺で発生して研究がストップし、それを契機に構想自体の先行きがまったく見えなくなる状況に陥っているのだ。

基幹産業なく人口が減少

 嘉麻市は「平成の大合併」により、2006年に山田市・碓井町・稲築町・嘉穂町が合併して誕生した自治体だ。面積は135.11km²で福岡県のほぼ中央に位置し、市面積の約72%が森林と耕作地となっている。「嘉麻市統計書(24年4月改定版)」によると23年12月31日時点で1万8,058世帯、3万4,926人が居住している。福岡県の統計によると、嘉麻市における24年4月1日時点の高齢者人口(65歳以上)の割合は41.34%で、福岡県全体の28.13%と比べて高い水準にある。また、自治体の財政の健全性を表す経常収支比率(70~80%の間が理想とされ、高いほど健全性に乏しい)が23年度に102.5%になるなど、福岡県内で最も財政面で苦しんでいる自治体の1つといえる。4月に民間有識者らでつくる「人口戦略会議」が発表した報告書において、将来的に人口流出により「消滅可能性がある」と分類された。なお、福岡県には嘉麻市を含め8市町村がそれにあたるとし、その多くがかつて石炭産業で栄えた筑豊や京築地域だ。

 嘉麻市において人口減少の背景にあるのは、市の財政基盤を支える主要産業、特産品がないことだと分析されている。明治以降、市の全域に石炭産業とその関連産業が起こり繁栄し、第2次世界大戦後もしばらくはその状況が続いたが、1960年代に日本のエネルギー政策が石炭から石油へとシフトするなかで、基幹となっていた石炭産業が衰退。以降、新たな産業づくりを模索してきたが果たせず、人口流出・減少に歯止めがかかっていない。市が20年に作成した「嘉麻市人口ビジョン」によると、ピークだった1950年には11万2,212人だった人口は、炭鉱が閉鎖された65年には6万8,860人、嘉麻市誕生の4年後の2010年には4万2,589人、23年は3万4,926人と漸減してきた。そして、同ビジョンでは40年には2万1,000人規模にまで減少すると予測している。

九大農学部と連携協定

 人口減少を抑制、増加に反転させるには産業創造、それによる雇用の創出が不可欠だ。そうした危機感から浮上したのが、「昆虫産業都市構想」である。そして、その構想を支える最も重要な要素が、九州大学大学院農学研究院附属昆虫科学・新産業創生研究センター(以下、九大)との連携だ。嘉麻市は九大と22年8月に、昆虫を活用した新たな産業の創出に関わる連携協定を締結し、この構想を「特命政策」と位置づけるなど、大きな期待をかけていたが、今年4月の「コバエ」大量発生という思わぬ事態により、その構想実現の先行きが一気に不透明になってしまった。

 その経緯について記す前に、この構想の内容について確認しておきたい。実は、4月のコバエ大量発生後の6月に「第1次嘉麻市昆虫産業都市構想」が策定、公表されているため、これをベースとして記すのがより正確であろう。全体像は昆虫を活用した新産業の創出による持続可能なまちづくりの実現を目指すもの。「昆虫を通して、地域が直面する厳しい課題に向き合い、産学官民が協力し合い、さまざまな垣根を越えて連携することによって、地域課題の解決や大学との実証研究などの新しいチャレンジに取り組む」としている。

昆虫産業都市構想の推進体制のイメージ(「第1次構想」資料より)
昆虫産業都市構想の推進体制のイメージ
(「第1次構想」資料より)

 その実現に向けて、昆虫産業の拠点を構築し「バイオ」「フード」「コミュニティ」の3つのプロジェクトを基本の柱とした新産業を育成することで、地域に新しい価値を創出するとしている。このうち、バイオは九大の研究をベースとする実証研究に市が積極的に協力し、社会実装・事業化につなげるというもの。フードでは、九大や市内事業者などとの実証研究を通じ、農商工連携や6次化(生産・加工・販売を一貫して行うこと)を進めることを指す。コミュニティについては、昆虫産業をつなぐ共創・成長の仕組みとしてプラットフォームを構築し、産学官民連携を推進するとしている。第1次嘉麻市昆虫産業都市構想は、コバエ問題発生以前に策定されていた構想とは細部が異なり、より詳細なものであるが、いずれにせよその基幹となるものが九大との連携である点は変わりない。

カブトムシ養殖 事業はいったん中止

実験が行われていた旧千手小学校(九大提供)
実験が行われていた旧千手小学校(九大提供)

    次に、構想についての上記の内容を踏まえ、コバエ問題発生の経緯を以下で記す。カブトムシの幼虫を将来的に人の食糧資源とするための研究と社会実証実験のため、九大は23年9月から廃校となった「旧千手小学校」の教室を活用して、カブトムシの飼育を始めていた。同年12月ごろから飼育容器の1つからコバエの発生が始まり、今年3月中旬に近隣住民から「コバエのような小さな虫が飛んで、大変不快だ」との苦情が寄せられ、殺虫剤による駆除を開始。しかし、その後もコバエの住居内への侵入が継続していることが確認されたため、九大はカブトムシの幼虫を撤去し、専門業者がコバエを駆除した。

 その後、市では現在まで現地でモニタリング調査を実施し、コバエ発生、住宅侵入などの被害が収まっていることを確認した。九大は近隣15軒を訪問し謝罪。さらに周辺40軒にも謝罪し実験撤退を伝える文書を配布して、4月16日夕方に記者会見を実施した。嘉麻市議会では同日、総務財政委員会で経緯報告が行われた。嘉麻市と九大側は対応策を協議していたが、6月末に九大から嘉麻市に「カブトムシ養殖事業はいったん中止する」という連絡があったという。

コバエの拡大図(九大の資料より)

    なお、4月16日に九大が発表した報告書「嘉麻市における社会実証試験中のコバエの発生について」によると、23年9月から研究を開始。研究の内容はカブトムシを活用して採卵鶏用の飼料を生産することを目的とするものだったという。発生したコバエは正式名称を「クロバネキノコバエ」といい、成虫は体長1~6mm。「針などはなく人体に直接の危害を与える昆虫ではないが、生態の多くが解明されておらず、たびたび大量発生することで衛生・不快害虫として扱われている」としている。

九大任せが露呈

 4月16日に行われた嘉麻市議会の総務財政委員会においては、議員のなかからコバエの発生そのものより、構想に関する市の関わりの甘さを指摘する声が強くあがった。具体的には、「実証実験の進捗具合について、職員が現地に足を運び確認していたのか」といった内容で、担当職員は「実際に足を運んだことはなかった」と回答していた。また、「(今回問題が起きた)旧千手小学校以外の代替となる施設はあるのか」「研究が成果を上げ、何らかの商品化を進めるとして、誰がそれを担うのか」などの質問もあり、それに対して担当職員はいずれも「まだ決まっていない」と言葉を濁すのみだった。端的にいえば、嘉麻市は九大に土地と建物(廃校舎)を貸していただけというのが実状で、さらにいえば構想は現状、嘉麻市と九大が緊密に連絡を取り合う、高度な連携には至っていなかったわけだ。

 「この構想を続けるべきなのか」といった声もあるなか、赤間幸弘市長は「さまざまな考え方があり、そのなかで九大に実証実験などを嘉麻市で実施してもらいながら、昆虫産業都市構想にあるような昆虫関連のベンチャー企業などが関連企業としてきていただけるか、などを今実証をしているところ。将来にわたり嘉麻市にプラスになると思い、そういう実験場所を嘉麻市が貸している状況と認識をしており、構想からの撤退などを今判断するのは時期尚早であると考えている。コバエの問題もあったが、それもクリアできるようなかたちで九大と協議をしながら、実証実験は嘉麻市で行ってもらえればと考えている」と話した。

構想継続はなるのか

実験施設の様子(九大提供)
実験施設の様子(九大提供)

    嘉麻市の昆虫産業都市構想の今後の行方は九大側の出方に大きく左右される。6月末までに嘉麻市と九大の協議が行われ、そのなかで明らかになったのは「カブトムシに関する研究をいったん取りやめる」ことだけで、これは嘉麻市側にとっては構想の将来を見通せない、何とも消化不良と言わざるを得ないものだろう。田中義幸市議会議員は当社の問い合わせに対し、6月30日付けで「嘉麻市ではこれといった産業がなく、昆虫産業都市構想に期待していたが残念な結果となった。何らかの対策をして再開してほしい。九大以外による昆虫産業都市構想はないので、撤退されれば政策継続は難しいと考えている」との危機感が露わな回答をしていた。

 一方、九大に対しても8月5日、今回の問題についてのコメントを求めたところ、この問題の担当者は「旧千手小学校で行っていた実証実験は現在、九大において継続している。構想の今後については嘉麻市との協議を続けていく」と回答するのみだった。この回答は6月30日の嘉麻市と九大の話し合いの内容から変更はなく、嘉麻市の関係者の不安に応えるものではないのはいうまでもないだろう。問題発覚から4カ月となる今、九大側にもしっかりとした方針を示すことが求められそうだ。

 なお、県内では大木町が秋田県大館市のベンチャー企業と組み、キノコ栽培で出る廃棄物の菌床を活用し、カブトムシを育てて販売。また、幼虫を粉末にして魚の養殖用餌を製造する取り組みを進めており、こちらは比較的順調な進捗状況だという。このほか、全国的にみると昆虫関連ビジネスの展開はいくつか試行が行われている。

 ところで、嘉麻市は新たな産業創出の一環として工業団地の開発を計画していた。半導体関連企業の誘致を目論むものだったが、市議会は3月15日にその計画の予算を盛り込まない24年度の一般会計当初予算の修正案を可決し、工業団地計画は白紙となった。理由は「財政状況が逼迫する今は団地開発をすべきではない」という反対意見が多数を占めたからだ。コバエ問題も含めたこうした混乱は嘉麻市における新産業創出、それによる人口増加への挑戦に非常に困難なハードルが横たわっていることを表している。さらに俯瞰すると、それは嘉麻市だけの問題にとどまらず、基幹産業に乏しいほかの自治体においても将来的には似たようなことが起こる可能性が指摘できそうだ。

【田中直輝】

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