【異色の芸術家・中島氏(8)】アトリエ・メモランダム
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絵画、一人演劇と1つの分野にとどまらず活動し、ニューヨークに加えドバイへも活躍の場を広げようとしている異色の芸術家・中島淳一氏。来年2月には昨年7月に続く2回目の福岡アジア美術館での個展開催を予定している。現在は1日のうち14時間を創作活動に充て、高さ数メートルという大型の作品を含む新作を描き続けているという。
中島氏から送られてきた「アトリエ・メモランダム」を以下に紹介したい。
2007年、後川慶三氏の招待で、イタリアへ。目的はルネッサンス期の巨匠ミケランジェロの作品鑑賞である。
システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)に入った途端に鳥肌が立つ。あまりにも空気の質が違うのだ。おびただしい観光客で溢れているというのに摩訶不思議な静寂に包まれているのである。
ゆっくりと視線を上げ、天を仰ぎ見る。ミケランジェロの天井画が網膜を通して一気に全身の細胞に飛び込んでくる。その瞬間、毛穴から自我意識が飛び散っていくような錯覚を覚えた。
思えばアメリカ留学中に絵を描き始め、手掛けた最初の作品は「ルネッサンス・六夢」と題する天地創造の抽象的表現であった。でもそれは意識と無意識の境界線に浮揚してくる淡い色彩と不定形のフォルムに身を任せるある種のオートマティズムによる手法であって、確固たる造形を構築していくような伝統的技法とは無縁の詩的アンフォルメルとでもいうべき作品であった。
だが、あの青春時代から早32年。画家として誰もが避けては通れないミケランジェロにリアルな夢のなかで遭遇してしまったのだ。
「実物を見なくてどうするんだ。ローマに来いよ」と芸神は言った。結局、私は遠回りをしながらも、システィーナ礼拝堂に描かれた「天地創造」を初めとする旧約聖書からインスピレーションを受けた9場面の天井画と祭壇壁画の「最後の審判」を己の肉眼で見なければならない運命にあったのだ。
絵を描くとは何か。画家とは何か。その原点のパワーはどこからくるのか。自分自身と対面せねばならぬ苦渋の時空のなかで、小悟を捨て大悟に至らねば、真の芸術作品を創出することはできないのだと思い知らされる。
ミケランジェロはまさしく大天使ミカエルの化身だったのかもしれない。教皇シクストゥス四世がジョバンナニ・デ・ドルチに教皇の礼拝堂の建築を依頼したとき、長方形の簡素な煉瓦建築物の天井にはやがてミケランジェロの最高峰の傑作で埋め尽くされることが定められていたのかもしれない。
そんなふうに夢想しつつ、後ろ髪を引かれる思いでシスティーナ礼拝堂を後にして、いよいよ、サン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro)に入る。再び、全身に鳥肌が立つ。ローマ・カトリック教会の主聖堂にふさわしい威厳と慈愛に充ち溢れた宇宙の子宮とでもいうべき静謐な空間である。
無論、ミケランジェロの「ピエタ」の前からはしばし動けなかった。完全無欠とはかくなる芸術作品をいうのであろう。死せるイエスの露な肉体にはもはやキリストの魂はない。それでもマリアはわが子の亡骸を優しく抱く。思うに、楽園を追放されたアダムとイヴの末裔である人間の実存的状況はイエス・キリストの十字架上の死によっていかに変容したのか。それを表現するのがかつての巨匠たちの仕事であったろう。だが、その崇高な使命は現代の芸術家によって継承されるべきものかもしれない。
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